前回の第1回では、概論として、オピニオンリーダーの“カッコいい”、“カワいい”というキーワードが、ごみ問題解決の糸口になるのではないかという提案を行なった。
今回、第2回では、筆者が1992年、「レゲエ・ジャパン・スプラッシュ」という、ジャマイカの音楽であるレゲエの、日本での2万人以上の観客を集めて行なわれる大野外コンサートでの、オピニオンリーダーたちを集めて試みた、空き缶リサイクル・プロジェクトの事例を紹介しようと思う。
1.レゲエ・フリークたち、立ち上がる
ジャマイカの音楽、レゲエ。これは、世界各地でカリスマ的人気を誇る音楽のジャンルの一つである。
日本でも幅広い層に圧倒的な人気があり、特にレゲエ・フリークたちは、街のオピニオンリーダーとなっている場合が多い。
アフリカを精神の母国としている黒人のレゲエ・アーティストたちにとって、レゲエ・ミュージックは、自然や環境問題と密接に結びついており、これらの問題を取り上げた曲も数多くある。
1985年から始まった「レゲエ・ジャパン・スプラッシュ」(ジャパスプ)は、毎年、2万人以上の観客を集めて行なわれる大野外コンサートである。
それまで、「よみうりランド」で開催されていた「ジャパスプ」は、1991年から横須賀のポートランドに場所を移した。この年、会場から出されたごみの量、何と13t!! 一日で、これだけのごみが出た。
「自然を愛するレゲエのコンサートが自然環境を破壊している!」と不評を買ったことから、主催者側は、このごみを何とかしようということになり、レゲエ・ミュージック好きで、ごみ問題を研究していた筆者に相談がきたわけだ。
当時から、ごみ・リサイクル問題における文化的解決・オピニオンリーダーを使った潜在意識プロジェクトを考えていた筆者は、早速、それを実行に移すことにした。
そのプロジェクトとは、街のレゲエ・フリークたち、約100名を組織化し、コンサート会場で空き缶を分別回収しようというもの。
この100名のレゲエ・フリークたちは、髪はドレッド、鼻にピアスをしたり、派手な格好で街を闊歩している、社会からは一見、はみだしもののように見える連中だが、実は街のオピニオンリーダーであり、ファッション、デザイン、マスコミ業界に多大な影響を及ぼしている20代の若者たちである。
彼ら、彼女らは、筆者の呼びかけに、レゲエの魂である自然環境を守るため、立ち上がってくれたのである。
おそらく、彼ら、彼女らがコンサート会場で、レゲエで踊りながら、空き缶を回収していれば、コンサート会場に来ている一般の人たちは、それを“カッコいい”と思うだろう。
派手な格好をしたレゲエ・フリークたちが、ごみを拾うことに対して、“カッコいい”という価値観がそこに生まれる。
“カッコいい”ことは、多くの人たちが真似をする。そこにリサイクルは“カッコいい”というイメージが定着し、ごみをきちんと分別すること、ごみを散乱させないことが、レゲエを愛する人たちにとっての常識となる。
1992年8月2日、おそらく、日本では初めてだろう、このレゲエの大野外コンサートでの空き缶リサイクル・プロジェクトの様子を、「FUSE」というフリーペーパーが取材し、記事にしてあるので、ここではその全文を掲載しようと思う。
2.「レゲエ・ジャパン・スプラッシュ」リサイクル・プロジェクト
1992年8月2日、日曜日。去年同様、横須賀ポートランドで「レゲエ・ジャパン・スプラッシュ」が開催された。
今年は例年と違う点が二つある。
一つは、雨が降ったこと。いままで「ジャパスプ」といえば“晴れ”が代名詞であった。去年などは、台風が来ていたにもかかわらず、横須賀だけ晴れていたのだ。毎年、8月の第二週目の日曜に行なうというのが恒例だったが、なぜか今年は第一日曜日。今にして思えば、第二週の9日の日曜日は快晴だった。おかげで、会場で最も売れた商品は“雨カッパ”だった。
もう一つは、環境保全のために、空き缶のリサイクルを始めたこと。去年の「ジャパスプ」ではコンサートが終わった後、会場内で拾われたごみは、なんと全部で13t!! 各業界から「自然を愛するレゲエのコンサートが自然環境を破壊している!」と不評を買ってしまった。
そこで、「ジャパスプでも環境のために、地球のために何かいいことをしよう」ということになり、まずは空き缶のリサイクルをしようということになった。
「ジャパスプ」主催者は早速、渋谷区を中心に空き缶回収のボランティアをしている「グリーンルネッサンス」に依頼、コンサート会場の空き缶のリサイクルをすることになった。
「グリーンルネッサンス」は1991年の7月に設立された、まだまだ新しいボランティア・グループ。「Think Globally Act Locally (地球的規模で考えて、身近なところから行動する)を合言葉に、代表・岡部高弘さんが発足。熱帯林を守るため、アルミ缶リサイクルによる収益でアフリカの熱帯林に植樹する運動を展開。“アルミ缶80個でアフリカに緑の樹1本を植える”という、わかりやすいコンセプトで、今では、1,000人を超えるメンバーがいる。
回収したアルミ缶は、1個1円でアルミメーカーが買ってくれる。アフリカでは、苗木1本が80円で買える。ということは、アルミ缶を80個集めれば、苗木が1本買えることになる。
「ジャパスプ会場でも、空き缶を回収して、アフリカに木を植えよう」ということになった。
レゲエのアーティストの出身国はジャマイカ。ジャマイカの主要資源はアルミ原料のボーキサイト。これによって作られたアルミ缶が「ジャパスプ」の会場で回収され、リサイクルされ、レゲエにとって精神の母国とも呼ぶべき大陸、アフリカの緑の木となって再生する。
こんな素晴らしいことは他にはないともいうべきプロジェクトがここに誕生した。
さらに、「グリーンルネッサンス」は、専修大学大学院で廃棄物リサイクルについて研究している、レゲエ・フリークの伊藤吉徳氏に依頼。彼が約100名のボランティア・クルーを集めた。
ボランティア・クルーといっても、みんな、ただものではない連中ばかり。そのほとんどが「ジャパスプ」常連のレゲエ・フリークたち。毎夜、「キングストン」や「MIX」、「69」や「ハイタイム」に出没している強者たちばかり。
そのような連中、約100名が、1992年8月2日、早朝7時40分、京浜急行の堀の内駅に集合した。
伊藤吉徳氏を中心とするメインスタッフは前日の深夜0時、青山のカウンターバー「C・O・D」に集合、6台の車で横須賀ポートランドに着いた。
車の中で仮眠をとった後、朝8時、小雨の中、残りのボランティア・クルーと合流、「グリーンルネッサンス」テント前でミーティングが行なわれた。
約100名のクルーは6班に分かれ、それぞれ、担当のごみ箱を決めた。ごみ箱は、「燃えるごみ」と、「燃えないごみ」、そして「空き缶」の3分別にした。その内の「空き缶」だけを「グリーンルネッサンス」は回収する。1つの班に3つのごみ箱を割り当てた。
クルー全員に「ECO AID」と書かれたTシャツが配られた。クルーの表情は堅い。みんな、地球の緑を守るため、アフリカに樹を植えるため、愛するレゲエのために、1つでも多くの空き缶を回収しようという意気込みにあふれていた。
今回の「ジャパスプ」空き缶回収作戦のポイントは2つ。
1つは、昨年、最も問題になった、1,000人を超える徹夜組。周りの三春公園や海辺つり公園、そして近所の家の塀の上などに空き缶を捨ててしまっていた。実際、かなりの苦情がきたらしい。
そして、もう1つは、3回の幕間でステージから空き缶回収を呼びかけ、いっせいにクルー全員で集めること。
あとは、分別してあるごみ箱の空き缶がいっぱいになったら回収するということになった。
この他に10人の「ぴあ」で募集したクルーも加わった。この10人のクルーは主に電動空き缶プレス機の係になった。
10時、クルーは三春公園と海辺つり公園の2つに分かれて出発。
懸念されていた徹夜組のごみ散乱は今年は雨だったということで、全くなかった。三春公園に多少、落ちていたが、他は全くきれいだった。
12時からコンサートが始まると、支給された、からあげ弁当を食べた後、ライブを楽しんだ。
2時のナーキのライブが終わると、セットチェンジの幕間、クルー全員はいっせいに指定エリアに大きなビニール袋を持って入っていき、空き缶回収を呼びかけた。舞台からも放送で呼びかけてくれたおかげで、ビニール袋から中身がもれているにもかかわらず、観客のみんなは文句一つ言わず、空き缶を持ってきてくれた。やはり、レゲエを愛する人に悪い人はいない。LOVE&PEACEの心が生きているんだなと実感した。
その後は、堀の内駅までの往復の道をみんなで歩いて回収した。
さすがにこの道のマナーは悪い。至る所に空き缶が落ちている。特に木が植えてあるその下、ガードレールの下など。なかには、塀の上にきれいに並べているものもあった。
これでは苦情が出てきても、当然。みんな、れっきとした大人なのに、全く常識がないとしか思えない。気持ちを疑ってしまう。
再び、コンサート会場に帰って来ると、今度はごみ箱があふれていた。しかも、燃えるごみにも、燃えないごみにも、空き缶がごちゃ混ぜに捨てられていた。このごみの山を見た時は唖然とした。ここまでモラルがないものかと、うんざりしてしまった。しかし、注意深く観察していると、おもしろいことを発見した。
まずはじめに、ごみをごちゃ混ぜに捨てるのは、外人さんだった。外人さんたちには「燃えるごみ」とか、「燃えないごみ」とか、「空き缶」などと日本語で書いてあってもわからないのだ。そうした、ごみが増えていくと、日本人も、それにつられて適当にごみを捨ててしまう。分別の表示を英語でも書かなければいけないところに、こちら側のミスがあったわけだ。
ココ・ティーとニンジャマンが終わり、再び幕間のセット・チェンジ。クルーは再び指定エリアに飛び込んで行った。その後は、注目のマキシ・プリースト。会場はこの上ない盛り上がりを見せていた。昼まで降っていた雨はすっかりあがり、空の雲のすき間からうすい夕陽ものぞいていた。これも、みんなの熱気のせいだろうか。
この頃になると、回収した缶の数も多くなり、電動プレス機2台がフル回転しても間に合わなくなってしまった。このプレス機は、1つの入口からドサッと200個の空き缶を入れると、スチール缶とアルミ缶が分かれてプレスされて出てくるという優れもの。この日はほとんどフル稼働で空き缶を処理していた。
8時の終了予定が1時間半延びて、コンサートが終わったのは9時半。京浜急行の電車がなくなってしまうということで観客のみんなは速やかに帰って行った。
その後も、クルーたちは帰りの駅まで道に落ちている空き缶を拾って帰り、各自自由解散ということになった。
朝7時40分に堀の内駅に集合ということで、始発に乗ってきた人もいたらしいが、とにかくクルーのみんなは、朝早くから、夜遅くまで、よく頑張った。文句の一つも言わず、みんな楽しく笑いながら、空き缶を回収していた。 それも、一つでも多くの缶を拾って「ジャパスプ」を成功させようというスタッフの意識が強かったからかもしれない。そして、みんな、口々に言い合って別れて行った。「また、来年もやろうね!」
その結果、回収された空き缶は全部で2万3,500個!! 80個で1本の樹を植えることができるので、計293本の樹がアフリカに植えられることになる。
3.増殖する価値観
以上、1992年8月2日の「レゲエ・ジャパン・スプラッシュ」のリサイクル・プロジェクトの様子をみてもらった。
当日の模様は多くのマスコミに紹介され、NHKラジオに出演した、このリサイクル・プロジェクトの主催者である筆者は、青年NPO団体の「A SEED JAPAN」の代表・羽仁カンタ氏と対談し、その後、この「A SEED JAPAN」が活動を引き継ぐことになり、今では、このリサイクル・プロジェクトを毎年、行なっている。
「ジャパスプ」の主催者は昨年8月、「レインボー2000」というテクノミュージックの大野外コンサートも開催し、「A SEED JAPAN」は、そこでも、リサイクル・プロジェクトを実施した。この時の様子は次回のこの連載で紹介したいと思う。
この1992年8月2日の「ジャパスプ」でリサイクル活動を行なったレゲエ・フリークたちの多くは、それまで、環境問題、特に、ごみ問題に関しては、それほど関心がなかった。しかし、この活動を契機に、彼ら、彼女らは関心を持つようになった。
当日はボランティアで、お金がもらえるわけでもなく、始発でやってきて、終電で帰るという、ものすごいハードスケジュールだったにもかかわらず、彼ら、彼女らのほぼ全員が「楽しかった」、「来年もやりたい」と語っていた。
実は、この「楽しかった」、「来年もやりたい」という気持ちこそが、環境に取り組むときに最も重要な点なのである。
“楽しく”なければ、長続きはしない。“楽しく”なければ、“来年、またやろう”という気持ちにはならない。いくら、“カッコいい”ことでも楽しくなければ、すたれる時間は早い。
この点において、この「ジャパスプ」でのリサイクル・プロジェクトは成功したといえる。
楽しそうにレゲエで踊りながら、空き缶を、ごみを回収しているオピニオンリーダーであるレゲエ・フリークたちを見て、多くの人たちは“カッコいい”と思ったに違いない。そして、それを見た人たちは、ふだんの生活に戻っても、ごみを散乱させないであろう。そうしないことは“カッコ悪い”ことになるからだ。
少なくとも、会場に来ていた2万人の人たちは、そう思ったに違いない。
実際、ボランティア・クルーであるレゲエ・フリークたちが及ぼした影響は図り知れない。そして、この2万人の人たちの多くは、街のオピニオンリーダーであるから、彼ら、彼女らが日常の生活に戻り、周囲の多くの人たちにその価値観を知らずのうちに“増殖”させていくのだ。
おそらく、自治体や広告代理店が数千万円、数億円かけて、若者向けにポスターやコマーシャルをつくって「ごみをきちんと分別しましょう」とPRするよりも、この戦略のほうが、はるかに効果を上げるに違いない。