ファッションの一アイテムとして、すっかり定着した“古着”。
街中には古着ショップがあふれているが、その古着はいったい、どこの人が着て、どういうルートを通って古着ショップに並んでいるのだろうか。
古着ショップの店頭に並んでいる古着を追いかけていくと、国際的でグローバルなリサイクルルート、アメリカのスリフトやウエアハウスと呼ばれるシステム、そしてユダヤ系のマフィアの存在が…。
「リサイクルの文化論」、第7回の今回は、世界を舞台に独自のリサイクルシステム を形成している古着文化と古着市場の現状と、東京・代官山と原宿にある老舗の古着ショップ「VOICE」の古着に対するスタンス、そして、日本の古着ファッション定着の歴史なども合わせてみてみる。
1. 古着ショップ「VOICE」の地道な一日
ファッションの街、代官山と原宿に「VOICE」という古着ショップがある。1983年にオープンした老舗の古着ショップだ。
代官山店には、高校生や大学生、最近では中学生も多く来る。主に男のコが多いが、デートコースの一つとして立ち寄るカップルも多い。古着が大好きというのではなく、ショッピングの途中に寄っていくという感じのお客さんが多い。
それに比べて原宿店には、学生から年配の方、場所柄、アパレル関係者など、年齢に関係なく、本当に古着が大好きというお客さんが集まる。最近では、学生時代に古着が大好きだった人が社会人になり、お店に集まるために、スーツ姿のサラリーマンも多く見かけるようになった。
両店とも、平日で200人、休日ともなると、500人から1,000人ぐらいのお客さんが立ち寄る。
このお客さんたちに対応しているのは、ほとんどがアルバイトの店員さんたち。店員さんの仕事というと、ほとんどの場合、販売を思い浮かべるが、「VOICE」ではちょっとちがう。ここの店員さんの主な仕事は、なんとミシンかけ。
多くの古着ショップでは、仕入れたら、少しぐらい汚れていても、そのまま店頭に並べて売ってしまう。
ところが、「VOICE」では仕入れたら、まず、近所のコインランドリーで古着を全て洗う。これはものすごい量になる。シミがついていたら、シミ抜きをしたり、ボタンがとれていたら、新しいボタンを買ってきてつけかえたり、破れているところがあれば似たようなボロボロの古着を切って生地にして縫い付けたりする。
アルバイトの店員さんが「VOICE」で働きはじめ、まず最初に習うことは布きれやボタンを手縫いでつけることである。そして、慣れてきたら、今度は工業用ミシンの使い方を習い、裾上げやサイズの変更などを行なう。
販売をイメージして働きはじめたアルバイトの若者たちは、現実とのギャップに戸惑うという。一日の大半がショップの裏でのあまりにも地道な作業で終わるからだ。
しかし、このような地道な作業のおかけで、古着好きな年配の方から、古着にそんなに興味のないカップルまで、多くの人たちが、汚れやサイズを気にせずに、気軽に立ち寄って古着を買うことができるのである。
2.1980年代以降の古着の歴史
現在、主に、10代から30代の人たちの間では古着は洋服のアイテムの一つ、ファッションの一部として、完全に定着している。
渋谷、原宿、代官山には100軒近くの古着を扱うショップがあるという。下北沢、高円寺、吉祥寺なども含めれば、東京だけでもすごい数になるだろう。
最近では、デパートのデザイナーズ・ブランドのショップの中にも、整然と古着がファッションの一アイテムとして並べられている。
では、いつから、日本のこの古着の文化は定着したのだろうか。
1980年代初頭、それまでの70年代的なサイケデリックやフォーク的なファッションは衰退し、アメリカのカジュアルなファッションが流行りはじめた。この頃に、「VOICE」や「シカゴ」、「サンタモニカ」といった古着ショップがオープン。今の古着ショップのモデルとなった。リーバイス501のジーンズやGジャンなどが大流行、若者のファッションの定番として定着したのもこの頃だ。
アメリカン・カジュアルの流れと並行して、日本のデザイナーズ・ブランドの流行もあり、高価でデコラティヴなデザイナーズ・ブランドのアイテムと、チープな古着を組み合わせるミスマッチが“オシャレ”であると、ファッション誌などで大々的に紹介された。
さらには、それまで、テレビアイドルはフリルのワンピースなどを着るのが当たり前とされていたが、キョンキョンこと小泉今日子は、デザイナーズ・ブランドに古着のジーンズやGジャンをうまく組み合わせたファッションで多くの番組に出演し、その価値観は日本中に広まった。
1986年以降になると、円高ドル安となり、いわゆる、バブル景気が始まる。デザイナーズ・ブランドは衰退し、カジュアルなファッションが主流になる。高価なデザイナーズ・ブランドの洋服を買うよりは、洋服にあまりお金をかけずに、チープでカジュアルなファッションをして、海外旅行などの遊びのほうにお金をかけるようになる。円が高くなったことで、若者たちは気軽に海外に出かけるようになり、欧米の古着文化の定着を肌で感じた。
この時代は、土地、株、絵画など、値が上がるようなものには、惜しまず投資するという気運が高まっていた。古着もそんな気運に巻き込まれた。
1940年代の年代物や、古いタグのついたもの、少量しか生産されなかった限定品など、ボロボロのジーンズやGジャン、Tシャツやトレーナーなどに多くの若者たちが殺到し、その結果、値段がどんどん上がり、ついには数十万円もするボロボロのジーンズやTシャツなどが現れはじめた。バブル景気で、若者たちはお金に不自由していなかった。それをファッション誌なども助長し、“お宝”としての古着ブームが訪れる。
しかし、1990年代に入り、バブルな気運は去り、古着ブームも落ち着きはじめ、本来のチープで気軽なファッションアイテムとなった。
3.全米から集まる古着の山
今、日本の古着ショップで売られている古着のほとんどはアメリカのものだ。いったい、どのような市場、ルートを通って、アメリカの古着は、日本の古着ショップに並べられるのだろうか。ここでは、その過程をみてみることにする。
アメリカでは、一般家庭から出た不用となった洋服類は、民間の業者が集めに来る。業者はその洋服類を数十枚単位でプレスし、ベールと呼ばれる服の塊をつくる。ベールは、スリフトと呼ばれる不用となった家庭雑貨の販売会場に運ばれ、古着として売られる。スリフトでも売れ残ったものは、再び、ベールにして、ウエアハウスと呼ばれる大きな倉庫に山積みにされる。基本的には、この倉庫に運ばれた古着は途上国などに安価で売られることになる。このようなウエアハウスは、アメリカには数多く存在する。
日本の古着ショップの買い付け人たちは、3階建てのビルの高さほどもある、この古着の山の中に入って、売れそうな古着を探し出す。買い付ける古着は数万枚のうちの一枚。数百、数千万枚の古着の山での作業はまさに過酷な労働だ。
このウエアハウスを管理しているのは、アメリカでも経済的には底辺の人たち。ヒスパニッシュ系のメキシコ人が多い。ウエアハウスを仕切っているのはユダヤ系のマフィア。
古着ショップの買い付け人たちにとって、いかにこのマフィアたちとの信頼関係をつくっていくかが“鍵”となる。マフィアたちに信頼されれば、「今度、どこそこのウエアハウスに、いいベールが入荷するぞ」といったような情報が得られるからだ。
しかし、マフィアたちのほとんどはユダヤ系の人たちのため、とてもシビアな商売が要求される。古着は目方で買うのだが、ある程度の量を定期的に買う資金力を持つことが、信頼を得る第一歩である。
また、現場では、主にメキシコ人の年配の女性たちなどがウエアハウスの管理をしているので、その女性たちとも、親密な関係になることも重要。それには、スペイン語が話せなくてはならない。彼女たちは低賃金労働者なので、チップも大切となる。
アメリカから古着を仕入れるためには、このようなウエアハウスのコネクションをいかに多く持っているか、ウエアハウスを仕切っているマフィアたちといかに親密な関係を築いているかが重要なのである。
また、ウエアハウスの古着の山で悪戦苦闘しているのは日本人だけではない。フランスやドイツ、スペインの古着ショップの買い付け人たちも多くいる。国ごとに探しているテイストは多少違うが、やはり、どこの国の買い付け人たちも“カッコいい”アメリカを探しているのである。
4.若い連中をカッコいい気分にさせてあげたい
実際に、アメリカのウエアハウスで買い付けの経験がある「VOICE」のスタッフ、高橋健さんにアメリカの仕入れの話、古着市場の現状などについて、お話を伺った。
もともと、古着っていうのは“安い”というところに、よさがあるわけです。安くて誰でもアメリカの気分になれる。それが古着だったんです。
ところが、一時の古着ブームで値段がどんどん上がってしまい、最終的には“アンティーク”、いわゆる、骨董品にまでなってしまった。ジーパン一枚数万円なんていうのは異常ですよ。もう、洋服という枠を飛び越えている。洋服はやっぱり、“着て、なんぼ”でしょ。それには、売る側、こちら側のミスもあります。ブームに乗じて、どのショップもどんどん値段を上げてしまった。
その結果、どこの古着屋さんも自分で自分の首をしめる形になってしまったんです。
例えば、アメリカのウエアハウス。うちみたいに15年も前から地道にマフィアとのコネクションを築いてきたところはいいのですが、若い人がいきなりブームに乗って古着屋をやろうとする。ところが、ウエアハウスとのコネクションがないわけですよ。では、そういう人たちはどうするか。ウエアハウスは、商品の値段の高いところも安いところもたくさんあるんですね。安いところというのは当然、昔からのコネクションがないと入り込めない。だから、そういう人たちは高いところで買わざるを得ない。そうすると、日本に持ってきて売ったとしても、採算が合わないんですね。で、長続きしない。
それだけならいいんですけど、たいがい、そういう人たちは現場のメキシコ人のおばちゃんたちと仲良くないから、例えば、日本のファッション雑誌なんかを持っていって、おばちゃんたちに「これがあったら探しといて」と、日本で人気の出そうなジーンズやTシャツをさして、言うんです。「あったら、高く買うから」なんて言うんです。おばちゃんたちも商売ですから、そのジーンズやTシャツを探して売ります。
そうすると、おばちゃんたちも生活がかかってきますから、今度、別の人が来て、その日本で人気の出そうなジーンズやTシャツを買おうとすると、それは日本では人気があって高く売れることを知っちゃいましたから、高く売るんです。こうして、現場でどんどん値段が上がってしまうのです。一度、高くなった値段は下がることはありません。
うち、「VOICE」では、今、10軒のウエアハウスと契約していますが、少しでも安く仕入れて、少しでも安く売ろうとがんばっています。やっぱり、自分も、古き良きアメリカが好きですから、お金のない若い連中にも、安い古着で“カッコいい”気分にさせてあげたいですから。
5.世界を流れる“古着の川”
今回、古着の市場の取材をして、正直に筆者は驚いた。まさか、原宿や渋谷で“オシャレ”に売られている古着のほとんど全部が、アメリカの不用になった洋服、いわゆる廃棄衣料で、しかも、それをシステム化しているウエアハウスの存在と、それを仕切っているのがユダヤ系のマフィアとは。
原宿や渋谷は、アメリカの大きなリサイクル市場と化しているわけだ。そうすると、アメリカという国が、やはり、いかに消費大国かということがわかる。洋服でさえも大量生産、大量廃棄して、その後は日本で売られている。日本だけでなく、ヨーロッパの国々もアメリカの廃棄衣料を買って、自国で売っているわけである。
しかし、もし、この大量の廃棄物が古着としてリサイクルされないで、処理されたとしたら、ものすごい量の廃棄物になるにちがいない。これは、ある意味、国際的に機能しているリサイクルシステムの好例の一つではないかと思う。
しかし、このまま日本にアメリカの古着が大量に入り込んでばかりでは、その数は増える一方だ。
最近、日本でも、ウエアハウスのようなシステムができ始めているという。一般家庭から出た不用な洋服を中古業者が引き取り、ウエアハウスのような倉庫に保管する。1970年代、80年代ブームで、日本製の不用になった洋服でも、古着としての価値が出始めたのである。
今の日本の若者はとにかく、みんな“オシャレ”であるから、今後、1980年代、90年代ブームとなり、今、着ている洋服が高く売れるようになったり、古着ショップに並んだりする日も、そう遠くないかもしれない。
先進国の中でも、若者が平均的に絶対数で“オシャレ”なのは日本だということは、海外へ行けば一目瞭然である。欧米では、“オシャレ”な若者は圧倒的に“オシャレ” なのだが、そうでない若者は、全くそうでないのである。
さらに、アジアでも、今、古着は大ブームなのだそうだ。6~7年前の日本と同じような一大ブームになっているそうである。アメリカのウエアハウスにも、台湾や香港の古着ショップの買い付け人たちの姿が増えているという。
バンコクでは、18才の若者の初任給の平均が日本円で約3万円程度にもかかわらず、古着のジーンズが1本1万円もするという。それでも、飛ぶように売れているという。そのバンコクにジーンズを輸出しているのが、今度は日本なのだそうだ。日本では一時のような古着ブームが過ぎたため、今度はブームになっているアジアへ、日本がアメリカから買った古着や日本の古着が流れている。
まさに、川の流れのように、高いところから、低いところへ、世界的なグローバルな市場で、古着はリサイクルし続けている。こうしてみてみると、古着市場は究極のリサイクルシステムを形成しているのではないかと思われる。
日本の若者が“オシャレ” になればなるほど、その“オシャレ”な洋服たちは廃棄物とならずに、ウエアハウスを経由して、古着ショップに並べられたり、輸出されて、アジアの古着ショップで売られたりして、廃棄衣料は減るだろう。世界中の若者が“オシャレ”になればなるほど、世界の廃棄衣料は減るだろう。“オシャレ”は、廃棄物を減らすのである。
一度はアメリカで廃棄物となり、いのちをなくした古着が、その中で“オシャレ”で“カッコいい”ものは、日本の古着ショップで、見事に生き返る。
今日も、老舗の古着ショップ「VOICE」では、アルバイトの若者たちが、一度はいのちをなくした古着たちに新たないのちを吹き込むべく、コインランドリーで洗濯し、汚れをとり、ボタンをつけかえ、裾上げをするためにミシンをかけているのである。このような地道な仕事が、廃棄物問題解決のための第一歩としてとても重要であり、何よりも、“カッコいい”と思うのである。