第1章
あなたはなぜ、リサイクルをするのですか?


「あなたはなぜ、リサイクルをするのですか?」
ひとつの質問から、この本は始まります。そして、このひとつの素朴な質問の答えをみつけていこうというのが、この本の目的です。
この単純な質問の答えを探すのに、僕は日本中を歩きまわりました。1年間に、90ヵ所以上を自分の足で実際に歩いて調べました。
実際にゴミ処理、リサイクルの現場で働いていらっしゃる回収業者の方々、自治体の清掃の部局の方々、企業の方々、そして、リサイクル活動を行なっていらっしゃる各団体、市民の方々の“生”の声をもとに、僕は、リサイクルについてのひとつの質問の答えを求めました。
すると、常識と思われていたリサイクルの活動に、ちょっと、おかしいことがあることがわかりました。でも、この本は、それを、ただ暴露するだけの本ではありません。事実を体系的にみて、ひとつの質問の答えを、みんなでみつけていく本です。
最後まで読み終わったときに、その答えをみつけることができると思います。
では、「間違いだらけのリサイクル」、早速、始めることにしましょう。

リサイクルってなに?

「あなたはなぜ、リサイクルをするのですか?」
僕はよく、こういう質問をいろいろな人にします。そうすると、
「地球にやさしいから」
「環境を守るため」
「ゴミを減らすため」
という答えが多く返ってきます。
では、「なぜ、地球にやさしくしなければならないのですか?」
「なぜ、環境を守らなければならないのですか?」
「なぜ、ゴミを減らさなければならないのですか?」
という質問をすると、多くの人たちは答えられなくなります。
なぜ、答えられないのでしょうか。
答えは簡単です。僕は答えます。
「みんなと自分が『いい人生』を送るため」と。
べつに、哲学を話しているわけではありません。体系的な理由があります。
「『いい人生』とは何か」
というと、
「『幸せ』に生きること」です。
「『幸せ』に生きるためには、何が必要か」というと、
「『健康』が必要」です。
病気で苦しんでいるのが、『幸せ』という人はいないはずです。では、
「『健康』でいるためには、何が必要か」というと、
「『いい環境』が必要」です。
ここで初めて、
「あなたはなぜ、リサイクルをするのですか?」という質問に、
「環境を守るため」という答えを出すことができるのです。
そして、「なぜ、『環境を守る』のですか?」という質問の答えとして
「みんなと自分が『いい人生』を送るため」ということができるのです。
では、なぜ、『地球にやさしくしなければいけないのですか?』という問いに対する答えが、みんなと自分が『いい人生を送るため』なのか、説明したいと思います。

なぜ、地球にやさしくしなければいけないの?

図1を見て下さい。
直径13cmの円を地球として、世界一高い山・エベレストの高さを表すとすると、どれくらいになると思いますか?
①1cmより高い
②1cmくらい
③5mmくらい
④1mmくらい
⑤もっと低い
30人の主婦のみなさんに、この質問をしたところ、1cmよりも高いと答えた人が2人、1cmくらいが8人、5mmくらいが6人、1mmくらいが4人、もっと低いが10人という結果になりました。
あなたは、どのくらいと予想しましたか?
実は、図1の円は、地球を約1億分の1にした大きさなのです。
エベレストは8846m、約9000mですから、
9,000,000(mm)÷100,000,000=0.09(mm)
ということで、正解は0.09mm、⑤の「もっと低い」でした。
では、同じ、直径13cmに縮小した地球で、世界一深い海・マリアナ海溝はどのくらいだと思いますか?
[ア]1cmより深い
[イ]1cmくらい
[ウ]5mmくらい
[エ]1mmくらい
[オ]もっと浅い
同じく30人の主婦のみなさんは、1cmより深いと答えた人が3人、1cmくらいが10人、5mmくらいが5人、1mmくらいが10人、もっと浅いが2人という予想でした。
マリアナ海溝は深さ1万1000mですから、
11,000,000(mm)÷100,000,000=0.11(mm)
ということで、正解は0.11mmで、これも[オ]の「もっと深い」でした。
地球を1億分の1の模型にすれば、こんな高い山や、深い海も、地表面を表す“線”の中に入ってしまいます。この事実は、どういうことを意味するのでしょうか?
私たち人間が地球環境を壊そうが、自然を破壊しようが、それは地球にとっては、ほんの表面上だけのことで、地球そのものを破壊しているわけではないということです。「地球を守ろう」といっても、地球そのものを守っているわけではないのです。私たち、人間が住んでいる周りを守っているだけなのです。
地球は、私たちが考えているより、もっと、ずっと大きくて、素晴らしいものです。人間の眼は上へ上へ、宇宙へ向きがちですが、下のほう、地下、いわゆる、地球そのものを見る方向にはなかなか向きません。実はまだ、『地球とは何か』ということは、ほとんどわかっていないのです。
先ほどの図にあったように、地球の表面のたかが線の上だけで、私たちは生活しているのです。線の上の限られた狭い世界の中で生きていかなければならないのです。そう考えたら、私たちの周りにあるものは祖末に扱うことはできません。あらゆるものが大切です。こんな狭い線の中ですから、私たち人間だけが好き勝手なことをしていれば、すぐに自分にはね返ってきます。森林を破壊すれば、異常気象になり、私たちが大変なめに遭うかもしれません。
例えば、1kgの木が1年間に、光合成によって吸う二酸化炭素の量は1.6kg。それによって作り出される酸素の量は1.2kgです。森林1ヘクタール(100m×100m)が吸う二酸化炭素の量は16t、作り出される酸素の量は12tです。
人間1人が1日に呼吸するために必要な酸素は750g、1年間では270kgです。
ということは、1ヘクタールの森林は1年間に12tの酸素を作るので、約44人分の酸素をまかなっていることになります。
100m四方の広さの森林で、ようやく、44人分の酸素を作ることができるのです。森林の大切さがよくわかると思います。その森林を過剰に伐採していけば、酸素は減り、炭素が増え、温室効果により、異常気象が起こるといわれています。そして、それは、私たち人間に、はね返ってくるのです。異常気象になり、環境が悪くなれば、『健康』を維持することが難しくなります。『健康』でないと、『幸せに生きる』ことはできません。ということは『いい人生』は送れないということです。
自分たちで、自分たちの首をしめているとしか思えません。自分をいじめて楽しんでいるのが、今の私たち人間の真の姿かもしれません。
説明が長くなりましたが、以上のようなことから、『地球にやさしくする』ということは、本当はそうではなくて、『自分にやさしくする』、『家族や友達やみんなにやさしくする』ということなのだということがおわかりいただけたと思います。マスコミのキャンペーンなどで『地球にやさしく』などといっているから、多くの人はピンとこないで、何か遠い、別の世界の話のような気がしてしまうのです。
「私たちは地球に住んでいる」という実感は、ふだん、生活をしていたら、ほとんど、わきません。しかし、これが「自分にやさしくしましょう」とか、「自分の家族を大切に」だったらどうでしょうか。
「地球を守るためにリサイクルをしましょう」というと実感はわきませくんが、「自分の健康を守るために、病気にならないように、リサイクルをしましょう」といわれると、ピンとくると思います。私たちが住んでいる狭い世界はすべてつながっています。環境を破壊したら、ゴミを出したら、自分の健康が損なわれる…、このような体系的な考え方が私たちには必要です。実際、第6章で紹介するスウェーデンでは、子供のときから、このような『何をしたら、どうなるか』という体系的な教育が行なわれています。それによって、国全体もそうした考え方で動いているのです。

なぜ、ゴミを減らさなければいけないの?

次に、どうして「なぜ、ゴミを減らさなければいけないのか」という問いに対する答えが「みんなと自分が『いい人生』を送るため」なのか説明したいと思います。
僕は3年ほど前から、外出するときには必ず、自分の箸を持参するようにしています。歌手の加藤登紀子さんがデザインした『箸インbag』というネーミングの箸です。従来の箸箱に入れていると、かさばって音がうるさいということで、箸を三角の紫のおしゃれな布で巻き、黒いプラスチックのキャップで止める仕組みになっています。黒いキャップは箸置きになり、その下に紫の布を敷くと、とても趣のあるものになります。箸も本漆塗りや竹箸があり、いずれも使いやすく、一度使うとやみつきになり、割り箸などは使えなくなります。値段も2,000円から3,500円くらいと手頃なので、僕はよく、人にプレゼントします。
ところが、外食のとき、自分の箸を使っていると、
「割り箸は、木材として使わない枝など、本来、捨てるべきものをリサイクルして使っているのだから、どんどん使うべきだ」
と言う人がいます。たしかに、日本人が使っている割り箸は、カナダから日本に輸入される木材の枝など、本来は捨てられるべきものをリサイクルして使っているものです。
しかし、割り箸は使った後、ゴミになります。自然環境問題にはなっていないかもしれませんが、ゴミ問題にはなっています。特に、日本の場合は、外食産業が発達しているため、大量の割り箸ゴミが出ています。一本一本は大したゴミではありませんが、毎日、莫大な数が使われ、捨てられる割り箸、永い年月続けば、相当な量のゴミになります。日本全国で発生するゴミの量は後で示す通り、すごい量です。そのゴミを少しでも減らすために、割り箸一本でもゴミにしないという気持ちは大切だと思います。
その大量のゴミが、日本国内だけの問題ではなく、日本が“世界のゴミ溜め”となっている話をしたいと思います。
日本は経済規模の大きな先進工業国であり、貿易大国です。世界の中で人口の2.4%、国土面積で0.3%しか占めていないにもかかわらず、国民総生産で数10%の活動を行なっています。

表1にまとめたように、日本の主要製品の生産状況は、家電で世界シェアの50%を占めているのをはじめ、自動車、工作機械でも25%近くを占めています。これは、世界でもトップに位置するものです。国内でこれだけ生産しているということは、日本にはほとんど資源がないので、外国から材料を輸入して造っているということであり、その過程で出る廃棄物、ゴミの量も多いということです。

表2で示すように、日本の原材料輸入状況は、木材、絹、石炭が、世界のシェアの20%以上を占めています。原材料とは、もともとはすべて自然のものです。自然から摂取して日本に持ってきて、ゴミとして捨てているのです。
日本は海外から大量の原材料を輸入して、国内で消費して、そして、処理しているのです。1989年、日本の総輸入重量は約6億6,000万t。これに対して総輸出重量は約7,000万t。残りの5億9,000万tは国内で消費されたということになります。その後は、いずれは、廃棄物として国内で処理されることになるのです。
それでは、国内で消費、または廃棄されてゴミとなった量は、どのくらいなのでしょうか。
1988年、日本全国で約4億tのゴミが発生しました。そのうち、主に、家庭から出される一般廃棄物の量は4,800万t。これに対して、産業廃棄物の量は3億2,000万tと、一般廃棄物の約6.7倍でした。
一般廃棄物の量を1日にすると約13万t。日本の人口を1億2,000万人として計算すると、1日1人当たり約1,100gのゴミを出したことになります。
また、一般廃棄物を処理するために自治体が支払った費用は約1兆2,000億円。1人当たり1年間に1万円、税金の中からゴミの処理のために使われた計算になります。1988年の国家予算が約62兆円だったので、1兆2,000億円は国家予算の約2%に相当します。
ゴミが増えることによって、ゴミ処理のために必要な費用が、私たちの税金の中から使われています。極端な話、この世の中からゴミがなくなれば、ゴミ処理は必要ありません。ゴミ処理のための費用も必要ありません。この世の中からゴミがなくなれば、環境問題の一つは解決することになります。ただ、現実的には、おそらく、経済活動を続けている限り、人間が生活をしている限り、それは、ほぼ不可能に近いと思います。太古の昔、大森貝塚の時代から、ゴミは存在し続けているのです。ゴミが存在し続ける限り、ゴミ処理は必要です。でも、これからは、なるべく、ゴミにならない容器・包装などの工夫が必要だし、ゴミとして出たものは、できる限り、最適な形でリサイクルできる仕組み作りが必要なのです。ゴミ処理に費用がかかる分、私たちは、やはり『幸せな生活』からかけ離れていくといえるでしょう。

「環境」問題は、「自分」の問題

これで、
「なぜ、地球にやさしくしなければいけないのか?」
「なぜ、環境を守らなければいけないのか?」
「なぜ、ゴミを減らさなければいけないのか?」
ということがおわかりいただけたと思います。それと同時に、その答えが
「『いい人生』を送るため」
であったことがわかっていただけたことと思います。
「地球にやさしく」するために、「環境を守る」ために、「ゴミを減らす」ために、リサイクルは必要です。自分の『健康』を守るために、『幸せ』な生活のために、『いい人生』を送るために、リサイクルをしなければならないのです。
しかし、多くの人は、この根本的な考えがないために間違ったことをしているのです。体系的に物事を考えないために、本人はいいことだと思ってやっていることが、実は、とんでもない、全く逆のことをやっていたということが起こるのです。本人は「環境のため」と思ってやっていたことが、実は、環境破壊をしていることがあるのです。なぜかというと、そこに、“自分”が入っていないからです。自分の身になっていないから、本質と違うことをしてしまうのです。献身的な行為というものを否定するわけではありませんが、「自分のため」、「家族や友達やみんなのため」と思うほうが、とかく、人は真剣になるものです。
僕は実際、ある体験を通して「環境問題は、自分の問題」であることを実感しました。そのことを、次にお話しようと思います。
僕は高校生のとき、新宿を通って通学していました。学校帰りに友人たちといっしょに新宿を通り、いつも大笑いしながら帰っていました。今思うと、なぜ毎日、あんなに笑っていたのか、なにがあんなにおかしかったのかわかりませんが、若かったということもあり、まさに、“らっきょが転がるだけで笑う”年頃だったようです。
ある日、ふと気づいたことがありました。新宿の西口と東口とでは、笑ったときに苦しくなる度合いが違うのです。西口では長い時間、大笑いしていても大丈夫なのですが、東口では、すぐに息苦しくなってしまうのです。気がつくと、いつもそうでした。西口の超高層ビル街や中央公園のあたりは、ふつうに笑うことができるのですが、東口のアルタ周辺や靖国通り沿いの道、歌舞伎町などでは、笑っていると、すぐに息苦しくなってしまうのです。当時、僕は不思議でなりませんでした。
そんなある日、NHKのニュースかなにかの番組で、いろいろな場所の温度を調べる実験をやっていました。その中で、たまたま、新宿の西口と東口の温度の違いも調査していたのです。その結果、東口のほうが、西口よりも温度が高いということがわかりました。東口のほうが、自動車の排気ガス、空調等、さまざまな排熱を含む消費活動が多いので温度が高く、二酸化炭素の量が多い。それに対して西口は、消費活動も東口ほど多くなく、中央公園の緑が酸素を供給しているため、東口に比べると温度は低く保たれているというのです。 
高校生の僕は、この番組を見て、なるほどと思いました。笑ったとき、東口のほうが、早く息苦しくなるというのは気のせいではなく、これが原因だったということがわかりました。普通に呼吸しているだけではわかりませんが、笑うときというのは、息をおもいっきり吸ったり吐いたりします。そのため、普段生活していたらわからない、このような事実を自分で経験することができたのです。
このことを知ってから、僕は“環境”という問題に大いに興味を持つようになりました。そして、思ったのです。「環境問題は、自分の問題である」と。

思いもよらないことがいっぱい

この章では、「なぜ、リサイクルをするのか」という、本当に根本的な部分をお話しました。最も簡単で、最も基本的なこのことを考えないと、リサイクルはできません。やったとしても、必ず行き詰まってしまいます。出口のない迷路に迷い込んでしまいます。まさに、今の日本のリサイクル活動の現状はそうであると思います。
ただ「周りがやっているから」とか、「イメージがいいから」やっているという人も、実際はいると思います。そういう人たちは、たとえ、間違ったことをしていても気づかないのです。先頭に立って「環境のため」と言って頑張っている人も気づかないのです。
これは、日本では体系的にものを考えるという教育をしていないので、仕方ないことではあるのです。学校の勉強、受験勉強、大学の勉強…、すべて、そうです。縦割り教育で、いろいろな教科の関係性は学びません。役所もそうです。会社もそうです。多くのことは、それでも、うまくやってくることができました。しかし、環境問題、リサイクル問題はそうはいきません。すべての問題が関わってきます。思いもよらない問題が関わってくるのです。
僕は自分の足で歩いて、実際のリサイクルの現場を自分の目で見て、実際に現場で働いている人たちにいろいろなお話をお聞きしました。本当に思いもよらない事実が、たくさんあることを知りました。もともと、体がそんなに強くない僕は、“健康”というものに大きな関心がありました。ゴミ問題は、実は、空気の問題、大気汚染の問題だったのです。ゴミはリサイクルされなければ、そのほとんどは埋め立てられるか、燃やされます。そこからダイオキシンという有害物質が発生するのです。
ダイオキシンとは、ベトナム戦争の時、アメリカ軍が使った枯葉剤の中に入っていたといわれる有害物質です。そのダイオキシンが東京、いや、日本中に飛び散っているのです。そこに住んでいる以上、大気汚染から逃げるわけにはいきません。水が汚染されたらミネラルウォーターを飲むことができます。食物が汚染されていたら汚染されていないものを選んで買うこともできます。しかし、空気だけはそうはいきません。
『健康』に生活をしたいと思っている僕は、必死で事実を探しまわりました。ゴミを出せば空気が汚れて、病気になる。リサイクルをするしかないのです。それも、根本的な問題を認識した上での体系的なリサイクルをするしかないのです。それにはまず、現状を客観的にみる必要があります。真実を知る必要があります。
この本は単なる暴露本ではありません。『健康』に生活をしたい、『幸せ』な生活をしたい、『いい人生』を送りたいと思っている若い1人の学生が、リサイクルの事実を1人でも多くの人たちに知ってもらいたい、間違ったリサイクルは、逆に、環境を破壊している事実を知って、間違っていた点は改善してほしいという願いを込めて書いた本なのです。以下の章では、その事実をお話していくことにします。