ちょっとおかしい、牛乳パック・リサイクル?
「牛乳パックをリサイクルして森林を守ろう‼」
マスコミの報道でも、市役所や区役所でも、最近では、スーパーまで、このようなキャンペーンをして、牛乳パックを回収しています。小学校や町内会の主婦のみなさんも、ボランティア活動の一つとして積極的に牛乳パックを回収しています。しかも、次のように大変な作業の上、やっと回収されるのです。
1.まず、はさみ等で切り開く。
底はあっちこっちにくるようにする。束ねたときに1カ所に片寄らないようにするために、底は切り落とさない。
2.きれいに水洗いし、乾かす。
(牛乳の成分が残っていると再生不能になる)
3.底は1枚ずつ中へ折り込み、段ボールや紙袋へ入れて保管する。
束ねる単位は、10〜20kg以内(1,000ml容器が30枚で約1kg)
集められた牛乳パックは、近くの役所やスーパーなどに持っていきます。多くのみなさんは、そこでもう「リサイクルした」という充実感を味わうのでしょう。しかし、この段階では、まだ「リサイクルした」のではなく、「回収した」にすぎません。
日本全国で1年間に回収される牛乳パックは、約1万tあるといわれています。1カ月にすると約800tです。この数字は日本全国のものですから、市町村単位だと数kgということになります。役所では「せっかく集めてくれたのだから」ということで、専門の業者さんに委託します。そして、再生メーカーに運びます。たった数kgの牛乳パックのために、少なからぬ量のトラックの燃料費と、人件費がかかります。そうして、運ばれた牛乳パックはというと、トイレットペーパーにしかなりません。
牛乳パックは、ミルクカートンと呼ばれるアメリカやカナダの、マツやツガなどの針葉樹から作られる特別な上質紙でできています。この紙はたいへん丈夫で、再生紙にすれば、10回は使えるといわれています。トイレットペーパーは一度使ってしまえば、それっきりです。二度と再生はできません。なぜ、そんな丈夫な紙がトイレットペーパーにしかならないのでしょうか。
牛乳パックには、丈夫でリサイクルしやすい上質紙が使われていますが、すぐにやぶけないように、丈夫で長持ちするようにと、さらに、ラミネート加工と呼ばれるビニールの加工がなされていて、酸化しにくくなっています。使うときにはたいへん便利なのですが、処理するときに困ってしまいます。
リサイクルをするときには、まず、ビニールをとらなければなりません。そのビニールをとることができる特殊な技術を持った工場は、日本全国で7カ所しかありません。最も牛乳パックの使用量が多い、東京を含めた関東地区には、その工場はないのです。東京から最も近い所にあるのが、静岡県の製紙工場です。ですから、東京で回収された牛乳パックは、わざわざ、静岡まで運ばなければならないのです。
運ぶためには普通、トラックを使います。たった数kgの牛乳パックを運ぶために、再生されてもトイレットペーパーになって水といっしょに流されてしまう牛乳パックを運ぶために、わざわざ、人件費や燃料代を使って私たちが生きていく上で必要な空気を汚しているのです。
牛乳パックは、日本の全製紙量の0.05%しか占めていません。そのわずかな数をリサイクルするために、他のエネルギーが浪費されたり、大気が汚染されていたのでは何の意味もありません。また、牛乳パックはラミネート加工されているため、古新聞など、他の紙類とは別の回収ルートを作らなければなりません。そのためには、高い回収コストが必要です。しかし、せっかく回収したものも、結局は、トイレットペーパーにしかならないのです。
しかも、トイレットペーパーは安いものです。工場は牛乳パックを安い値段でしか引き取ってくれません。1kg当たり3円が相場になっています(1992年当時)。1カ月に数kgしか集まらない上に、東京から静岡までの往復の燃料代、人件費、諸経費等を考えると、コスト的には全くの赤字です。この牛乳パックを運んでいる専門の業者さんは当然、赤字なのですから、その差額分相当の代金を、委託された役所からもらいます。役所から出たお金ということは、私たちが払っている税金が使われているということです。これが牛乳パックのリサイクルの現状なのです。
たしかに、牛乳パックのリサイクルはゴミ問題のほんの一部の解消にはなるかもしれません。牛乳パックを捨ててしまうとビニール加工してあるので、焼却炉で燃やすと、ビニールは化学物質ですから、焼却の際、微量ですがダイオキシンが発生します。今はほとんどの焼却工場では、ダイオキシン除去技術が設置されていますので、大丈夫だとは思いますが…。
しかし、牛乳パックのリサイクルは、自然環境問題の解決にはなっていません。牛乳パックのリサイクル運動は、パック入りの牛乳を買う運動になってしまっているのです。実際、ここ数年、パック入り牛乳の売り上げは伸びています。牛乳パックの原料であるミルクカートンというパルプは、アメリカやカナダのマツやツガなどの針葉樹を現地で加工して、日本に輸入します。そのマツやツガを使う場合も、幹の部分は建築用資材として使われ、ミルクカートンには、ほとんどの場合は枝など本来なら捨てられる部分を使っています。これは、ミルクカートン以外の普通の紙をつくる場合と同じです。
また、普通紙同様、ミルクカートンも植林した木を使ってはいますが、上質紙を作るためには木の繊維が長く、丈夫でなければならないため、自然林も使っているそうです。最近では、建築の需要が減ったかわりに、ミルクカートンの需要が増えているため、幹の部分も使い始めたという話もあります。
そうなると、牛乳パックを作るために、自然林の木が伐採されていることになります。しかも、自然林も違法で伐採されているらしいのです。
こうなると、いくらリサイクルしようが、パック入りの牛乳を流通させた時点で、自然環境を破壊しているということになるのです。
パック入りの牛乳を買うと野生動物がいなくなる⁉
日本は紙の原料となる、木から作られたパルプを年間約2,900万t輸入しています。そのうち、牛乳パックの原料であるミルクカートンは14万tで、0.5%を占めています。ミルクカートンは他のパルプに比べて繊維が長いのが特徴で、それが上質紙を強くしている理由です。
ミルクカートンを作れるような、繊維の長い、丈夫で、質のよい木を育てるには何十年もかかります。牛乳パックを作るために、そんなに長い時間をかけているわけにはいきません。自然林を伐採してしまえば、コストもかかりませんし、時間もかかりません。それに、植林された木というのは、あくまで人工的なものなので、自然の中で何十年もかけて生き生きと育ってきた木と比べると、明らかに質が落ちるのです。
アメリカやカナダでは、このように、ミルクカートン製造に伴う、さまざまな木材需要のために、従来の管理された林業経営だけではなく、違法の林業経営も増加し、自然林を伐採し、森林の生態系が壊れてきているという話も聞きました。今までは、熊が川で魚をつかまえて、キツネが森の中を走り抜け、鳥たちがその中でさえずる…、そんな光景が当たり前に見られたのに、森林の伐採が進むにつれて動物たちの姿も減ってきています。毎年、この地方にキャンプにやってくる人たちも、とても残念がっているそうです。しかし、まさか、その緑豊かな森が、日本で牛乳パックとして使われているなどということは、キャンプにきていたアメリカやカナダの人たちは知らないでしょう。もし、それを知ったら、どのような気持ちになるでしょうか。
たかが、牛乳パックと思われるでしょうが、体系的にみてみると、このように、現実はすごいことになっているのです。
日本全国で“1日”に作られる牛乳パックの数は、900万箱にものぼります。これだけ大量の牛乳パックを作るには、高さ8m、直径16cmの立木が、なんと、6,000本も必要なのです。この数の牛乳パックを作るために伐採される森林面積は2ヘクタールです。その森林が出す酸素で、88人分の呼吸がまかなえます。
この数字がすごいところは、すべて“1日”の数字だということです。これが1カ月だったら、どうでしょうか。1年だったら、どうでしょうか。まして、これが10年、20年続いたら…、考えるだけで怖くなってしまいます。この怖いことを私たちは毎日、やらせているのです。
大量の牛乳パックを作るために、アメリカやカナダの自然の動物たちが犠牲になっているとも考えられはしないでしょうか。森の動物たちがいなくなるということは、森が死んでしまうということです。第1章でもお話しましたが、私たちは、地球のほんの表面、線で表される狭い世界に住んでいるにすぎません。「自分がしたことは必ず自分に返ってくる」のです。牛乳パックは便利だということで、私たちが生きていく上で必要な酸素を供給してくれる森林を伐採しているのです。これは、必ず自分たちに返ってきます。どのような形でかはわかりませんが、必ず返ってくるでしょう。
「環境を守るため」にやっている牛乳パックのリサイクルは、体系的に考えると、実は、それを買った時点で「環境破壊」をしているのです。
第6章で詳しくお話しますが、体系的に物事を考える国スウェーデンでは、牛乳パックを使うと、必ずこのような自然破壊が起こることを予測して、10年前にパック入りの牛乳の国内での製造を禁止しました。牛乳はびんに入って売られています。そのびんも、昔の日本のように、何度でも使えるリターナブルびんです。最近では、びんをリサイクルするのも、輸送の時に、トラックが環境破壊をするということで、牛乳の量り売りをする店が増えているそうです。うちから大きなびんを持っていって、牛乳を入れてもらう…、まるで『アルプスの少女ハイジ』のようで、素敵だと思いませんか?
それに比べて日本では、ただ便利だということで、その製造量を拡大してきました。アメリカやカナダでも、“コスト的に安く、儲かる産業”ということで奨励してきました。現在でも、ミルクカートンの量はダブついていますが、あと数年のうちには、不足気味になるだろうといわれています。
なぜ、牛乳パックが使われるようになったの?
紙パックが日本市場に登場したのは1960年代半ば、テトラパック社のいわゆる“三角容器”が最初でした。続いて「ゲーブルトップ型」といわれる屋根型容器が登場しましたが、当時の消費者の反応はあまりよくなく、最初は学校給食用の開拓から始まりました。その後、徐々に紙パックに対する理解が得られていき、びんよりも扱いやすいということで、1970年代半ばから、飲用牛乳の分野で、急速に紙パック比率が高まっていきました。
十数年前を思い出してみて下さい。まだ、びんの牛乳を飲んでいる人も多かったのではないでょうか。毎朝、牛乳屋さんが配達してくれるびんのふれあう音で目が覚めたりしたものです。早起きをして、牛乳屋さんに、
「おはようございます。ごくろうさま」
と、あいさつをしたものです。
それが、音がうるさいということで、なくなっていきました。お店で買って持って帰ってくるときに重いという理由で、なくなっていきました。
その裏には、コンビニエンスストアの普及、夫婦の共働き、生活レベルの向上による余暇・レジャーの増加と飲料のアウトドア需要拡大など、さまざまな社会的変化があります。
今では、リターナブルびんを使っているのは、業務用と宅配ルートの一部と学校給食用ぐらいになってしまいました。びんなら、洗いさえすれば、何十回も使うことができます。それを、重くて、かさばるため、輸送コストがかかるため、持ち運びに便利、音がしないという理由で、牛乳パックにかえてしまったのです。その結果、日本全国で1年間に使われる牛乳パックは、45億個という莫大な数になってしまいました。
1990年の紙容器入り飲料の生産量は622万1,000kl、実数で約131億個と推定されます。1981年と比較すると64.2%も増加しています。そのうち、牛乳・乳飲料の割合は80%を超えています。
1988年から1990年の清涼飲料の容器別のシェアの推移を図1に示しました。1988年には紙容器の占める割合は17.4%で199点であったのが、1990年には23.1%と、約6ポイントも増えています。
この数字でも示されているように、「環境を守るため」に行なっているリサイクルのおかげで、パック入りの飲料を買うこと自体に何の抵抗もなくなってしまい、逆に、「リサイクルされるのだから、紙パックを買ってしまおう」といった気持ちになり、パック入りの飲料の生産を増やしてしまっています。
牛乳パック・リサイクル工場のお話
牛乳パックを再生することができる、数少ない製紙工場に見学に行きました。先ほどお話したように、ビニール加工してある牛乳パックを、ビニールと紙に分離することができる技術を持った、数少ない工場の一つです。関東地方をはじめ、東北から近畿地方まで、日本全国から1カ月に500tの牛乳パックが集まってきます。10tトラックで1カ月に平均50台、1日に約2台、来るそうです。
こうして集まった牛乳パックで、1日に約40万ロールのトイレットペーパーが作られます。1,000mlの牛乳パック30枚は約1kgの重量があります。1kgの牛乳パックから、65mのトイレットペーパーが5個できます。
全国で1カ月に800t集められる牛乳パックのうち、500tはこの工場に集められているのですから、日本で回収された牛乳パックの過半数が、この工場へ来るといっても過言ではないでしょう。ちなみに、この工場で作られた製品はトイレットペーパー市場の約30%を占めています。その多くは、「セブンイレブン」などのコンビニエンスストアや「ダイエー」などのスーパーで売られています。
もともと、この工場は、ポスターやパンフレットなどのラミネート加工された、さまざまな商品や製造の過程でミスしたパッケージなどからトイレットペーパーをつくる工場でした。いわゆる、産業廃棄物からトイレットペーパーをつくる工場だったのです。
それが、1980年の第2次オイルショックで省エネが叫ばれ、環境問題がクローズアップされたとき、この工場のある課長さんも
「自分も何かしなければいけない」
と思い、自分の働いている工場の、ラミネート加工してある紙を、ビニールと紙に分離する特殊な技術を使って何かできないかと考えました。
考え抜いた結果、思いついたのが、“牛乳パック”だったのです。牛乳パックはそれまで、使った後、そのほとんどは捨てられていました。当時、まだ、牛乳パックをリサイクルさせようと考えていた人はいませんでした。
「牛乳パックなら、うちの工場の技術で再生させることができる」
課長さんのこの思いつきは工場で承認され、1982年に実行に移されました。
実施するにあたって、埼玉県の業者が物流を担当、全国50カ所以上の回収ルートを作りました。ちょうどその頃、山梨県の主婦が牛乳パックの再利用を考える市民団体を発足させていました。
「物やお金があり余る豊かさのなかで、子供たちは人間らしく育っているか。親の生き方として、せめて、物を大切にする実践活動をしよう」
という気持ちが発端でした。その運動が今や全国に広がり、約250団体が参加し、数十万人という規模で各地の住民が参加しています。その市民団体と、前述した製紙工場の課長さんの考えが一致し、牛乳パックのリサイクルルートが確立しました。
ちょうどこの頃、読売新聞も古新聞のリサイクルに乗り出しました。新聞紙が5kg入るビニール袋を各家庭に配り、その中に古新聞を入れて玄関に出しておくと、それと交換にトイレットペーパーを置いていってくれるというシステムです。
しかし、この頃はまだ、住民の環境保護に対する理解が低く、タバコの吸いがらやみかんの皮など、いろいろなゴミが多く入っているというような始末でした。そのため、このシステムは長くは続きませんでした。
このような時代だったので、水で洗ったり、ハサミで切ったりしなければならない牛乳パックの回収は、とても大変だったと想像できます。しかし、全国的な市民団体への呼びかけによって、牛乳パック回収は着実に認知されていきました。ねばり強い住民の熱意が少しずつ世の中を変えていきました。
埼玉県の業者では、1990年に月200tしか集まらなかった牛乳パックが、翌年の1991年には600tも集まったのです。ごみの増加に頭を痛める自治体のキャンペーン、生協やスーパーの協力拡大、そして、マスコミの毎日のような報道などが弾みをつけました。そして何よりも、今日、議論されている地球規模の環境問題を、家庭で、地域でとらえ、一つずつできることから取り組んでいこうとする住民の輪が広がっていったのです。
ある自治体のリサイクル担当者は、次のように話しています。
「牛乳パックを回収することで、市民のライフスタイルが変化してきています。他のゴミや古新聞なども、きちんと分別する習慣がついてきています。相乗効果が確実に表れてきていますね」。
こうした苦労の末、回収された牛乳パックは業者によって製紙工場に運ばれます。回収された牛乳パックは100℃以下の低温蒸煮で繊維状にほぐされます。ここで、苛性ソーダを加えて(苛性ソーダについては、第4章で詳しく述べます)、ミルクカートンと呼ばれる紙の部分とビニールの部分に分離させます。苛性ソーダがミルクカートンとビニールに間に浸透していき、両方をほぐしていくのです。このとき、どのような温度のときに、どのくらいの量の苛性ソーダを入れるかというのが、最も重要な問題です。このような特別のノウハウを持っているということが、この製紙工場が特別な工場といわれる理由です。
牛乳パック1kgのうち、350gはビニール、インクなどの副産物です。これは700℃で不完全燃焼させてガス化し、ボイラーに戻して再利用されます。ビニールやインクは不完全燃焼させると、ヘドロになります。このヘドロは保温剤として、製鉄所などに売られます。
繊維を含む液状の原料を、150〜160℃のドライヤーと350℃の熱風で、2段階にわたって乾燥させて原紙をつくります。そして、規定の長さに巻き上げられた長いロールを一定の幅にカットして、トイレットペーパーが作られます。
このような苦労の末に牛乳パックからつくられたトイレットペーパーが、最近では売れなくなってきたという問題が起こっています。なぜ、売れないかというと、木からつくった「ヴァージンパルプ」を使ったトイレットペーパーのほうが値段が安いからです。なぜ、ヴァージンパルプからつくった紙のほうが安いのかということについては第5章で詳しく述べることにします。
トイレットペーパーが売れないということで、この製紙工場では、牛乳パックからつくる量を減らしています。ということは、それほど、牛乳パックはいらないということです。今まで、牛乳パックを持ってきてくれていた市民団体や回収業者、自治体には1kg当たり5円払っていましたが、3円しか払えなくなってしまいました。市民団体のみなさんは、
「せっかく回収した牛乳パックが使われないのでは困る。なんとかたんさん使ってもらわないと」
と言って、市役所や小学校のトイレットペーパーを、牛乳パックからつくったものに替えて下さいとお願いする運動をしています。
パック入りの牛乳をどんどん買って、どんどん回収して、それからつくったトイレットペーパーをどんどん使おうという運動をしているのです。
牛乳パックは本当に必要ですか?
ここでもう一度、質問したいと思います。
「なぜ、牛乳パックをリサイクルするのですか?」
牛乳パックをリサイクルさせることは、「ゴミを減らすため」にはなっているのですが、「環境を守るため」にはなっていません。パック入りの牛乳をどんどん買ってどうするのでしょうか。アメリカやカナダの動物や自然のことは何も考えていないのでしょうか。
それからもうひとつ。
なぜ、 1回流したら、もう終わりのトイレットペーパーにしか、牛乳パックはリサイクルされないのでしょう。
牛乳パックには上質紙が使われています。再生紙として使えば10回は再生されます。しかし、現在、回収してリサイクルしている工場がたまたま、トイレットペーパーを作る工場だったので、トイレットペーパーにしかなっていないだけなのです。トイレットペーパー工場の課長さんが牛乳パックの再利用を考えついて、全国に先がけて熱心に普及したため、市民団体を巻き込み、社会現象にまでなったのです。牛乳パックを再生紙として何度も使用することもできるのですが、他のメーカーには回収するルートがないのです。
この工場では、牛乳パックからつくられたトイレットペーパーが売れないので、今度はキッチンペーパーをつくろうという計画があるそうですが、残念ながら、これも1回使ったら、2度とは使えない商品です。
生協でも牛乳パックを回収しています。埼玉県が主催した『さいたまエコエコ92』というイベントのシンポジウムの中で、NHKの『ミッドナイトジャーナル』のメインキャスターだったノンフィクション作家の山根一眞さんが、埼玉県生協常務理事に質問をしていました。
「数年前まで生協で売っている牛乳はびん入りでしたよね。でも、今は牛乳パックです。びんなら洗えば何回でもリサイクルされます。でも、牛乳パックからつくられたトイレットペーパーは、今では売れなくなって余っている。どんどん牛乳パックを買って、どんどんリサイクルして、どんどんトイレットペーパーを買いましょうと言っているのはどうしてですか?」
それに対して、常務理事は、しばらく黙ってうつむいていましたが、やがて、こう答えました。
「コストの問題なんです。牛乳びんだと重いのでコストが高くなるんです」
「環境を守るため」にと牛乳パックからはがきを作っている市民団体があります。新聞紙に水をふくませ、その間に牛乳パックを入れて繊維をほぐしてビニールをとります。そして、ミキサーの中に入れて混ぜ合わせ、ドライヤーで数十分乾燥させて、はがきを作ります。水をふくませた新聞紙は捨ててしまいます。水をふくませなければ、新聞紙は、新聞や段ボールに再生されます。新聞紙を再生させる工場はたくさんあります。
この市民団体は、このはがきをつくるためにミキサーを10台以上、壊してしまったそうです。それに、ドライヤーを数十分使う電気量はどうでしょうか。電気の多くは火力発電所でつくられます。火力発電のエネルギーは石油です。石油を燃やして、排ガスを出して電気をつくっているのです。これも立派な、大気汚染です。ミキサーを使うための電気も同じです。
特に、僕は牛乳パックのリサイクルを批判しているわけではありません。否定しているわけではありません。牛乳パックがある限り、リサイクルは必要です。牛乳パックのリサイクルを通して環境という問題を考えるきっかけになった人は、実際とても多いのですから。
牛乳パックのリサイクルは素晴らしいことです。ただ、ここで僕が言いたいのは、地球にやさしくするために、自分にやさしくするために、そして、友達や家族やみんなにやさしくするために、さらに、もう一歩進んでみようということなのです。
考えられる余地はたくさんあります。トイレットペーパーだけにリサイクルするのではなく、もっと何回も使える商品にリサイクルさせるとか、もっと付加価値のついたものにリサイクルさせるとか、牛乳パックを再び牛乳パックに本当の意味のリサイクルをさせるとか、もっといろいろ考えてみようということなのです。
ただ、牛乳パックは使えば使うだけ、自然の森林が破壊されていくということだけは頭に入れておく必要があると思います。