第4章
自治体は「リサイクルなんてどうでもいい」と思っている⁉


リサイクルの基本ってなに?

「なぜ、リサイクルをするのか?」
リサイクルについて考えるときには、常に、このような基本にかえることが必要です。基本を忘れてしまうから、いままでみてきたような悪循環に陥ることになってしまうのです。何か物事を考えようとするときには、まず、基本をもう一度思い出すことが大切です。
子供のときから先生や親にいつも言われてきて、頭ではわかっているつもりでも、実際に生活の中で思い出すことはなかなか難しいことです。しかし、ゴミ問題やリサイクル、特に環境の問題については、多くの場合「忘れていた」では済まされません。
今、生活の中で実践しているリサイクルは、そのほとんどが、誰か人から教えてもらったもの、または、テレビや新聞、本などで知ったことだと思います。なかには、自分独自で考えついた家庭でできるゴミ処理方法、リサイクルなどもあるかもしれませんが、そのことについて、
「なぜ、あなたはリサイクルをしているのですか?」
と聞いてみると、ほとんどの人がすぐに答えることができません。ちょっとためらって、
「環境を守るため」
とか
「ゴミを減らすため」
という答えが返ってくるのです。
市や区、町や村などの自治体で、積極的にリサイクルを実践しているところも増えてきました。空き缶や空きびん、古新聞や古雑誌を、燃えるゴミ・燃えないゴミと分けて回収しているところも多いと思います。
なぜ、空き缶や空きびん、古新聞や古雑誌だけ回収されるのでしょう。
これらのものをリサイクルしようと決めたのは、自治体の清掃関連の部署の方々であるはずです。清掃関連の部署の方々はなぜ、これらのものだけをリサイクルしようとして、ほかのプラスチックや生ゴミはリサイクルしようとしないのでしょうか。回収された以外のものはほとんど、処分場で埋め立てられるか、焼却炉で燃やされてしまいます。なぜ、ゴミは燃やされなければいけないのでしょうか。私たちはそういう基本的なことについて、あまり考える習慣がありません。
例えば、カナダのオンタリオ州では、現在、焼却炉の建設は禁止されています。せっかく資源からつくった製品を、使い終わったからといって燃やして、山の中に灰として埋めてしまうのは資源の無駄遣いであるという理由からだそうです。ゴミは、すべてリサイクルされます。生ゴミは肥料に、プラスチック、鉄、紙もリサイクルして新しい製品に生まれ変わります。それも、ゴミにされた製品と同じくらいの価値がある製品に生まれ変わります。同じくらいの価値があれば、それなりの価格で売れるので、それなりのコストで回収することができますし、再加工することもできます。そうすると、お金になるので、ゴミとして捨てる人がいなくなるのです。たとえ、捨てる人がいても、お金になれば、必ず拾う人がいます。そうすると、必然的にゴミは減っていきます。
日本のある自治体では、家庭から出た食品トレイや空ケースなどを廃プラスチックとして分別回収して、植木鉢に再加工して売っています。市民バザーなどで1個100円くらいの値段で売っていますが、廃プラスチックを回収して再加工して、植木鉢になるまでの費用は1個1,500円もかかっているのです。1,400円の差額は、自治体が負担しているのです。それは当然、税金から支払われることになります。
「なにをやっているんだ」という気持ちになります。
これも清掃関連の部局の方々が考えて、実践していることなのですが、その方々たちに直接、お会いして話を聞いてみると、どなたも真面目で、頑張って仕事をしているのです。
「環境を守るため」
「ゴミを減らすために」
と、一人ひとり頑張ってリサイクルに取り組んでいるのです。毎日のように残業をして、プラスチックの回収ルートをつくり、各町内会に出向いて、一軒一軒、説明をして回っているのです。
「環境のためにプラスチックをリサイクルしましょう」
と呼びかけて、努力をしているのです。本当に素晴らしいと思います。
ただ、
「なぜ、リサイクルをするのか」
という基本的な考えを忘れてしまっていると思うのです。ちょっと考えてみれば、誰でもおかしいと気づくはずなのですが、「これはいいことだ」と思い込んでしまっているのです。
ここで言いたいのは、すべてを完全にわかっている人はいないということです。
自治体の清掃関連の部局の方々が「プラスチックのリサイクルは環境を救います」と言っていたからといって、それが本当とは限らないのです。やっている人たちは嘘をついてやっているわけではなく、「本当にそうだ」と思ってやっているのですが、基本をちょっと忘れただけで、「環境を救う」どころか、逆に「環境破壊」をしていることもあるのです。
だからといって、リサイクルは間違っているということでは決してありません。「環境のために」、ゴミをリサイクルすることは絶対に必要です。それは今までみてきた理由の他に、もう一つ重大な理由があるからです。
ゴミは分別して回収されなければ、残りの大半は焼却炉で燃やされてしまいます。実は、この焼却炉で大変な問題が起こっているのです。焼却炉からダイオキシンという有害物質が発生しているのです。ダイオキシンとは、ベトナム戦争でアメリカ軍が使った枯葉剤の中に入っていたといわれる物質で、遺伝子に異常を与える史上最強の有害物質といわれています。しかも、そのダイオキシンが焼却炉から、また、清掃工場から飛び出して、私たちの生活しているこの空間、空気に入ってきているのです。
リサイクルを徹底してゴミを燃やす量を減らしていけば、ダイオキシンの発生量も減ります。昔は今ほど発生する量が多くなかったといわれているので、やはり、最近のゴミの急増がダイオキシンの増加にも関係しているらしいのです。後述する、電気集じん機という機械で、ダイオキシンが発生しているという事実も、結局は、ゴミの急増と無関係ではありません。
また、最近の調査では、焼却炉の出口以降における飛灰が関与しているという説もあり、実際に、飛灰を空気中で120〜300℃の範囲で2時間加熱すると300℃付近でダイオキシン類の濃度が10倍に増加することが実験で認められていますが、この場合にしろ、ゴミの量が減れば、飛灰の量も減り、ダイオキシンの発生量も減るでしょう。私たちはわざわざ、自然環境を破壊して、空気をきれいにしてくれる自然を破壊して、さまざまな製品をつくり、使い終わったらすぐに捨て、そして、燃やして、わざわざ、有害なダイオキシンを発生させて、さらに、空気を汚している。そして、どうなるか。私たちが病気で苦しむだけです。僕はわざわざ、苦しみたくはありません。病気で苦しむのが好きという人は、いないはずです。苦しまなくてもいいためには何をするべきか、考えてみて下さい。それが「リサイクルをする」という本当の理由ではないでしょうか。
人間も、自然の一部です。環境の一部です。自分にやさしくすれば、環境にもやさしいのです。自分が苦しめば、環境も苦しむのです。
以下、この章ではダイオキシンがいかに恐ろしく、私たちの生活に身近であるか、現場で作業をしている清掃関連の部局の方々はリサイクルについてどう思っているのか、それに絡んだ清掃関連の部局の労働組合の問題、そして政治が絡んだ利権の問題にまで話はふくらみます。ただのゴミ問題、リサイクル問題ではありません。実は、すべてを巻き込んだ、とんでもないことに、現実はなっているのです。

ダイオキシンは清掃工場でつくられる!

「猛毒性ダイオキシン生成」
「除去のばずが、源に」
「焼却場の排出量で判明」
「捕らえてみれば、集じん装置」
「横浜国大グループで解明」
1986年12月27日、神奈川新聞にこのような見出しのついた記事が載りました。これが日本で最も最初にダイオキシンがゴミ問題と関わりがあることを示した記事といわれています。内容の一部を見てみましょう。
「発がん性や遺伝子障害の作用を引き起こす猛毒性物質ダイオキシンなど有機塩素化合物が、都市ゴミ焼却炉から検出され、深刻な環境問題を引き起こしているが、横浜国立大学環境科学研究センター(横浜市保土ヶ谷区)の研究グループは、ゴミ焼却場でのこれら有機塩素化合物の生成過程をほぼ解明する論文をまとめた。それによると、有機塩素化合物は焼却炉内ではなく、煤塵を除去する大気汚染防止装置のひとつ、電気集じん機内でほとんどが生成され、その大半が排ガスとして環境汚染を引き起こす、としている。電気集じん機を発生源として明確化したのは世界でも初めて。これにより、有機塩素化合物抑制への対応の道が開けたことになり、研究グループは自治体が早急に抜本的な対応を取るよう訴えている」
この報告をした横浜国大研究グループは、この記事が出る1カ月前の11月に、京都の大気汚染学会で、ダイオキシンは焼却炉からではなく、電気集じん機で生成されるということを訴えたのですが、会場では何の反響もなかったそうです。当時は、誰もダイオキシンが電気集じん機から発生するなどとは考えてもみなかったのです。このような事実をつきとめ、研究・調査した横浜国大研究グループの実績は素晴らしいと思います。
ガリレオ・ガリレイがその昔、地動説を唱えた時のように、最初に発見された事実というものは、なかなか理解されないものです。理解されないどころか、ときには、反発されることすらあります。当時、このダイオキシン発生の新事実は地動説のような扱いを受けていたのです。
しかし、その翌月、新聞で大々的に報道されると、大反響が沸き起こりました。日本では、ゴミのほとんどは焼却されます。日本全国に焼却場があります。ほとんどの焼却場には、炉でゴミを焼くときに発生する排ガスである煤塵を集める、電気集じん機が設置されています。有害ガスを集めるための電気集じん機で、ダイオキシンという有害物質が発生しているということになります。日本全国で、ダイオキシンが発生しているということになります。電気集じん機は、かなり以前から稼働しています。その間、何も手がつけられていませんでした。それどころか、そんな事実さえも知らなかったし、発表されても嘲笑していたのです。
世間の大きな反響を受けて、各省庁や自治体も、焼却場の電気集じん機から発生するダイオキシンについて調査を始めました。
ダイオキシンが、実験用マウスに催奇形性と胎児毒性を示すことが1970年に報告されて以来、欧米各国ではダイオキシン問題が熱心に調査研究されるようになりました。その結果、以下のことが明らかにされています。
1.産業革命以降、ダイオキシン類の環境中への排出が始まり、
2.現状では、特定の排出源周辺に限らず、大気、水、土壌などの生活環境全体が広くダイオキシンに汚染されていること
3.汚染レベルそのものは極めて低いために、人間健康に直接に害を与える可能性は薄いが、
4.食物連鎖によって、地域・人種を問わずに、人間の体内にダイオキシン類が濃縮・蓄積されてきている(脂肪組織と肝臓への蓄積が多い)
5.農薬や関連する製造プロセス及びゴミ焼却などでの燃焼加熱プロセスからダイオキシン類が排出されていること。

それではいったい、ダイオキシンはどこで、どのくらい発生しているのでしょうか。アメリカにおける発生源別の排出量については、1990年の「パルプ・アンド・ペーパーインダストリー」に掲載された表が有名です。表1として示しておきました。
この表によると、アメリカ全体でダイオキシンの60.3%が廃棄物焼却場から発生しており、続いて、燃料の燃焼が15.4%、銅の二次精錬行程が11.2%、山火事4.5%などがこれに続き、この表にあげられた原因だけでも10の発生箇所が特定されています。いずれにしても、廃棄物焼却場からの発生量が圧倒的に多いことがわかります。
残念ながら日本での同様な調査結果は見当たりませんが、国土が狭いにもかかわらず、世界のゴミ焼却炉の3分の2が日本にあるといわれているほどゴミの焼却率が高く、日本もアメリカ同様、または、それ以上に廃棄物焼却場からダイオキシンが発生していると推測することができるでしょう。

 実際、図1のように、世界における日本のゴミ焼却施設の数は、他の国より圧倒的に多く、2番目に多いフランスの、実に約9倍にもなります。また、1万km2当たりの施設数も、日本はなんと51カ所もあります。2番目に多いオランダの12カ所の4倍以上です。
日本はまだまだリサイクルとは正反対のこと、ゴミを燃やして処理しているのです。これは日本の昔からの国民性が反映しているのかもしれませんが、それによって猛毒性のあるダイオキシンが発生している事実を知ると、改めてゴミ焼却について考え直さなければいけない時期にきているといえるのではないでしょうか。

表2には東京、関西、アメリカ、西ドイツ、そして、ベトナムのそれぞれの地域で観測した環境中のダイオキシン類の濃度レベルを示しました。あらゆる国、地域がダイオキシンに汚染されていることが推測されます。
すでに動物実験の結果から、ダイオキシン類の許容摂取量を定めた国も多くあります。日本では1984年に「1日に体重1kg当たり0.1ナノg(100億分の1g)までは影響ない」という安全指針が出されました。
ゴミ焼却施設から毒性を有するダイオキシンが日夜、環境中に排出されて、食物連鎖を経て人間の体に蓄積される一因となっていることは明らかです。排出量が人間の健康に影響を与えるレベルより、はるかに低い値であるからといって、ゴミ焼却プロセスにおけるダイオキシン対策をおざなりにできないことは当然であるといえます。
そこで、東京にある清掃工場に勤務している方に、実際の焼却工場の現場について聞いてみました。
焼却炉の中でダイオキシンが発生しているということは、だいぶ以前から知っていたそうです。しかし、電気集じん機からも発生しているという事実は、現場で働いている人たちに大きなショックを与えたそうです。なぜなら、炉をはじめ、電気集じん機の中に、1年のうちに何回も出入りしていたからです。ダイオキシンの発生現場に直接、生の身体で入っていたのです。焼却炉の中へは、トラブルがあれば、実際に入らなければなりません。それには、身の危険が伴うのです。1年間に相当な時間、ダイオキシンの発生している炉の中に入って作業をしているので、正直なところ、その蓄積については、かなり怖いと言っていました。厚生省は1年間に5日は焼却炉の中で作業しても大丈夫という基準を作っていますが、実際はそれ以上、数えきれないくらい多く入っているのです。それだけ、焼却炉内のトラブルが多いのです。
さらにショックなことに、電気集じん機は焼却炉よりトラブルが起こりやすいのです。それだけ、中に入って作業することも多かったのです。
電気集じん機は、焼却炉でゴミを燃やす際に発生する、粒子が細かいパウダー状の有害ガスを集める機械です。集めるものが粒子の細かいパウダー状のものなので、機械のすき間などに入りこみやすいのです。それがある程度、蓄積すると機械が動かなくなり修理が必要となるわけです。その他にも灰を集める装置が詰まってしまう、放電線が切れてしまう、放電板がはずれてしまうといったトラブルは、常に起こります。しかし、いずれも大きなトラブルというわけではなく、ある程度、機械を動かせば当然起こると、最初から予測されたものなのです。最初から、電気集じん機の中に入って補修するように設計されていたのです。
ダイオキシンは、300℃から950℃の間の温度で発生します。それ以下でも、それ以上でも発生しません。1,100℃から1,200℃で分解してしまうからです。日本の焼却炉の燃焼温度は、約800℃から950℃ぐらいの間です。この温度は、ちょうど、ダイオキシンが発生しやすい温度なのです。ダイオキシンを発生させないようにするには300℃以下か、1,000℃以上でゴミを燃やさなければなりません。しかし、300℃以下では温度が低すぎてゴミを焼却することができません。また、1,000℃以上で燃やすのにも問題があります。あまり高温で燃やすと、早く炉を痛めてしまうのです。
ヨーロッパでは、日本の焼却炉より200℃も高い温度でゴミを焼却しています。ヨーロッパには、熱を電気に変換する装置が設置されている焼却炉が多く、ゴミを燃やした熱を利用して電気をつくり、それを売っています。収集が入ってくるので、相当のコストをかけることができます。ただし、火力発電所では熱量に対して40%の発電量を確保することができますが、焼却炉では14%しかできません。これは原料がゴミで、いろいろなものが混ざっていて質が悪く、高温で燃やすことができないためです。それでも高温で燃やそうとすると炉を痛めてしまいます。
ヨーロッパでは高い温度で燃やして炉を痛めさせても、電気をつくって売るために、また取り換えるだけの収入があるのです。日本の焼却炉は平均して3年ぐらいで取り換えますが、ヨーロッパでは1年ごとに取り換えています。焼却炉を取り換える工事はとても大変ですし、数億円というコストがかかります。炉を造るためのエネルギー(炉を造るために大気を汚染しています)、原材料(鉄をつくるために石を採掘します。そのためには自然環境を破壊します)など、相対的に考えると環境のためにはなっていない点も多くあります。また、日本の現状では、電力収入があったとしても、炉を1年ごとに取り換える工事費はまかなえません。
しかし、高温で燃やしているヨーロッパの焼却炉からは、それほどダイオキシンの検出量は多くなく、日本のほうが多いのは事実です。しかも、日本にはヨーロッパの数倍の数の焼却炉があります。このまま、猛毒性のあるダイオキシンを大気中に放出させておいてよいのでしょうか。高温で炉を使い、取り換えるのも環境破壊です。ですから、どちらかを選択するのではなく、抜本的な考え方の見直しが必要なのです。ところが実際には、抜本的な見直しどころか、表面的な対処しかなされていないのが現状です。
焼却場で働いている清掃関連の部局の方々の職員たちも、ダイオキシンを有害物質として認知してほしいと厚生省に頼んだのですが、焼却炉や電気集じん機の中に入るときには防じんマスクをつけるように指導されただけでした。1986年に横浜国大研究グループがダイオキシンについての新事実を発表してからも、さまざまな新しい事実がわかってきました。しかし、マスコミで報道されるたびに、厚生省はガイドラインを発表して沈静化に努めるのです。最近でも、NHK特集でダイオキシン問題が取り扱われて騒がれましたが、すぐに、新しい内容に合ったガイドラインがつくられ、沈静化してしまいました。しかし、現場の清掃工場には、実は、実際にはガイドラインはきていないことも多いのです。マスコミ向けに発表されただけで、ガイドラインに載っているようなことは焼却場では行なわれていない場合も多いのです。厚生省の人たちは実際の現場がわからないので、事態を深刻に受けめていないらしいのです。  
昔から清掃工場で働いている人たちは、マスクもつけず、暑いので半そでのTシャツ1枚で炉の中で作業をしています。年輩の職員たちは、
「ダイオキシンが怖いなんて生ぬるい」
と若い職員に言っています。しかし、昔と違い、今は「生ぬるい」などと言っていられません。年輩の人たちはダイオキシンがどれくらい恐ろしいものか、わからないのです。焼却炉や電気集じん機の中は暑いので、マスクをつけたがりません。その中をいつも掃除する係の人たちもいるのです。

私たちもダイオキシンの犠牲者!

ダイオキシンは、人間にどのような影響を与えるのでしょうか。直接的には皮膚に吹き出物が出るぐらいで、症状があまり表面に出てこないところが原因を究明しにくくしています。症状のほとんどが、長い期間の間に間接的に表れます。ダイオキシンは、ベトナム戦争のときに、枯葉剤の中に入っていたといわれる有害物質です。以前に、ベトナムから、ベトちゃんとドクちゃんという、腰が一つにつながった奇形の男の子が、体の切り離し手術のために来日したことがありましたが、あれはまさに枯葉剤の影響です。ベトちゃんとドクちゃんの母親が、枯葉剤に接触したのです。母親本人はそれほど影響を受けませんでしたが、遺伝子に多大な影響を与えたのです。ベトちゃんとドクちゃんだけではありません。ベトナム戦争後、戦地で生まれた子供たちの奇形率は圧倒的な高さでした。指が6本の子供、眼球のない子供、足が3本の子供、足が後ろ向きについている子供など、その異常ぶりはあげればきりがありません。ベトちゃんとドクちゃんは幸運にも日本に来て手術を受けることができましたが、ほとんどの子供は体力が弱く、大人にならないうちに命を落としてしまっているのです。 
この話は、他人ごとではありません。私たちにとって身近なことでもあるのです。ある焼却場で働いている一人の職員の方から聞いた話によると、ある焼却場が15年間稼働した場合に排出されるダイオキシンの量は、2,220gになるのだそうです。1カ所の焼却場で約2kg排出されたとすると、全国には約2,000の焼却場があるので4,000kg、4tものダイオキシンが放出されたことになります。ベトナム戦争で、アメリカ軍が散布した枯葉剤の中に入っていたといわれるダイオキシンの総量が約760gといわれているので、およそ、その5倍の量が日本中に散布されたことになります。この量は2,600万人の致死量に相当します。つまり、この量で東京都民全員が2度死ねる計算になります。
よく思い出してみてください。周りの人たちの中で最近、特に、流産の人が多いと思いませんか。赤ちゃんが流産してしまった話をよく聞きませんか。実は、流産ではなく、奇形の赤ちゃんが生まれているらしいのです、今、日本では奇形の赤ちゃんがお母さんのおなかの中にいるときにレントゲンなどで発見されると、すぐに流産してしまえるようにしているらしいのです。
奇形児が生まれてくる確率が最も高い物質は、ベトナム戦争の枯葉剤のお話をしたとおり、ダイオキシンです。そのダイオキシンが、ここ数年間でベトナム戦争で使われた量の5倍も日本で放出されているのです。この問題は決して他人ごとではありません。みなさんの子供が、孫が、いつ犠牲になるかわからないのです。
その中でも最も影響を受けているのは、やはり焼却場の現場で働いている人たちです。「再生不良性貧血症」という病気で死亡する人も多いそうです。原因がわからないので治療法もわからない、わかっているのは、年輩の、特に、焼却炉の中でマスクもつけずにTシャツで作業をしてしまうような人ほど多く、この病気で亡くなっているということです。若い職員の人たちはダイオキシンが原因だということに気づいており、とても心配しています。特に、子供が生まれたとき、遺伝子異常が起こるのではないかという不安を、常に持っているそうです。清掃工場の近所に住んでいる人たちは流産が多いという話も聞きました。
とにかく、私たちが生活する上で便利というだけで使っているいろいろな“物”はすぐに消費され、ゴミとして捨てられ、そして、焼却されています。焼却することによって、このような恐ろしいダイオキシンがつくられるのです。ゴミ問題は、環境問題以前に自分の問題なのです。自分で自分の体を苦しめているのです。 
最近では、ゴミの増加に伴い、焼却場をもっとつくろうという動きがあるようですが、このような事実を知ってしまうと、とても恐ろしく感じます。抜本的な解決方法は、ゴミを減らすしかありません。ゴミが出たらリサイクルするしかないのです。こうしている間にも、大量のダイオキシンがつくられています。この問題については、早急に考える必要があるのではないでしょうか。
最近、ダイオキシンを99%以上除去するという画期的な機械が開発されました。従来の電気集じん機の除去率の1,000倍の能力を持つこの機械も、その威力のために設置価格がかなり高額なものになっていますので、自治体ではなかなか設置することができません。現実問題としては、やはり、リサイクルでゴミを減らしたり、ゴミになるのものは買わないといった方法をとるしかないのです。

「塩素を制すれば、世界を制す」

焼却炉でゴミを燃やす際に発生する、粒子が細かいパウダー状の有害ガスを集めるのが電気集じん機です。その電気集じん機が集める有害ガスの中には、塩素も含まれています。塩素イオン系のゴミを燃やすと、塩素が出ます。塩素イオン系のゴミとして代表的なのは、ラップ類とプラスチック類です。一般廃棄物として収集されるゴミ中のプラスチックの混入率は、年を追って増大しています。全国にある焼却施設のうち、710カ所に聞いたところ、回答のあった493カ所での焼却対象ゴミ中のプラスチック平均混入率は、10〜20%の範囲だったそうです。
このプラスチックのうち、塩素ビニールを中心とする塩素系プラスチックの割合は、生産量から推定すると約17%であり、都市ゴミについての実測値からみると、15%前後です。したがって、焼却対象ゴミ全体に対する塩素系プラスチックの割合は、多くてもせいぜい3%ということになります。
しかし、ラップの原料である塩化ビニールと塩化ビニリデンは塩素含有率が非常に高く、理論上では前者が57%、後者はなんと73%とされており、実際に行なわれた焼却実験でも、そのうちの80%の発生が確認されています。燃焼によって、塩素は塩化水素となって揮発してきます。
何かと問題となる塩素。人体にとって有害であるにもかかわらず、なぜ、大量に使われているのでしょうか。塩素がいかに有害であるかということは、第一次世界大戦中、ドイツ軍により毒ガスとして使われていたということを知れば、納得がいくと思います。なぜ、そのような有害な塩素が原料であるラップやプラスチックが、これほどまでに商品として出まわっているのでしょうか。
海の水や、岩からできる食塩。食塩はNaCl(塩化ナトリウム)、これを分解するとNa(ナトリウム)とCl(塩素)に分かれます。ナトリウムは苛性ソーダのことで、いろいろな金属元素や化合物と反応させて化学薬品をつくったり、金属の精製、不純物の除去、漂白、中和などの材料として使われています。代表的な例として、無機薬品の原料、化学繊維、紙・パルプ、アルミニウムの製造工程に使われています。食塩から苛性ソーダをとると、必然的に塩素が残ってしまいます。この塩素はとても有毒なので、処理に困っていました。第一次世界大戦中、この余剰塩素はドイツ軍により、毒ガスとしての用途が見出され、他のヨーロッパ諸国もこれに続きました。当時からドイツは、世界でトップの化学産業を誇っていました。 
しかし、戦争が終わり、毒ガスなどの化学兵器の使用が国際的に禁止されると、膨大な数の塩素製造装置が残り、再び“厄介もの”の余剰塩素をどう扱うかという問題に直面せざるを得なくなりました。塩素を無害なものに処理するには、逆に、ナトリウムを加えて食塩にしなければなりません。そのために、ナトリウムを購入しなければならないので、莫大なコストがかかります。したがって、塩素を商品として売ることができれば、“世界を制する”ほどのビジネスになるのです。
アメリカでは、これを農薬として売り込むことに成功しました。広大な農地をもつアメリカでは、塩素を空中から大量に散布する方法は、害虫を駆除するのに効果的でした。しかし、散布された塩素は、山や森、川や海などに蓄積され、自然を汚染していきました。山の木は枯れ、野生の昆虫や鳥、動物たちは次々と大量に死んでいきました。この地獄のような光景は、レイチェル・カーソンの書いた人類初の環境問題のバイブルである『沈黙の春』にリアルに表現されています。この本が発表されると、世界的に大反響が起こりました。事実上の環境問題を訴えた最初の本といえるでしょう。
有害物質の付着した野菜や果物は、すぐに人体に影響を与え、再び塩素は厄介ものになってしまいました。ちょうどその頃、高分子化学工業が発達してきて、塩素は塩化ビニリデンとして、使いやすく便利なビニールのラップやプラスチックに加工され始めたのです。その他にも、塩素は生活の中で幅広く使われたため、1965年以降は苛性ソーダよりも塩素の使い道のほうが多くなってしまいました。
例えば、ビニールハウス、水道管、電線、建材、おもちゃなどに塩化ビニールが使われています。また、公衆衛生や医療の世界でも、上水道やプールの殺菌、白衣、シーツや手術器具などの漂白や消毒に塩素の化合物が使われています。さらに、コンピュータの中の情報を記録する重要なLSIには、塩素を中間原料とする高純度のシリコンが半導体として、また、画像による情報伝達に欠かせない光ファイバーにも使われています。
使い終わったそれらの塩素系製品は、いずれ処理されます。産業廃棄物とて扱われた物の中には再資源化されるものも少なくありませんが、一般廃棄物として処理された物の多くは焼却場で処理されます。焼却場で燃やされたラップやプラスチックなどの塩素系製品は、塩素に戻ります。その塩素などの有害ガスを集めるのが、電気集じん機です。その中で塩素よりも、もっと猛毒のダイオキシンが発生しているのです。
また、清掃工場は事故が多いことでも有名です。焼却炉の点検中に回路が放電して、感電してしまった人、深さ数十mもある巨大なゴミ溜め場に落ちて一酸化酸素中毒で亡くなった人などもいるそうです。それに、ダイオキシンによるものと思われる再生不良性貧血症や塩素問題と、毎日を身の危険にさらしながらゴミと戦っているのが、自治体の清掃関連の部局の人たちなのです。たかがゴミ問題といってはいられません。犠牲者は、確実に出ているのです。

清掃労働組合がリサイクルを始めた理由

そのため、自治体の清掃関連の部局の職員たちは、ほとんど、清掃労働組合に入ります。職員全体の問題として自治体に自分たちの身の危険をわかってもらい、意見を聞いてもらいたい、そして、対処してもらいやすくするためです。他の部局や産業に比べて清掃労働組合は圧倒的な力を持っています。仕事が危険なために、ほとんどの人が参加し、その数が多く、また、強い団結力を持っているといわれています。
それには理由があります。清掃関連の部局の職員たちの数は、確実に減らされています。東京都のある清掃工場では、10年前には200人いた職員が、今では119人に減らされてしまいました。清掃工場は次々とオートメーション化されていき、人手が必要ではなくなってきたのです。それまで、人間がやっていた、さまざまな作業を、機械がやってくれるようになりました。人間は、モニターから監視していればよいのです。しかし、機械の故障などによるトラブルの数も比例して増えました。先ほどの電気集じん機のように、はじめから故障する可能性があることを想定してある機械もあるのです。人手が減っている分、トラブルに対処する人手も減り、個人の仕事は増大しました。しかも、ゴミの中に化学化合物が増え、有害なガスの発生している中で行なわなければならない危険な作業が増えたのです。これでは、労働組合に入って、なるべく自分の身に危険が少なくなるよう、自治体に要求しようという気持ちになるのも無理ありません。
そんな状態の中、最近のように環境問題が騒がれ始めると、ある労働組合の人たちは、これに着目しました。清掃関連の部局でリサイクルを実施して、リサイクル課を設置すれば、それだけ清掃関連の部局の職員が増えます。そうすれば、労働組合員の数も増え、さらに、さまざまな要求が通りやすくなります。自治体がリサイクルに乗り出した最初のきっかけは、こういうことだったのです。確かに、清掃工場で働くということに身の危険を感じているでしょうが、それを回避するためにリサイクルを利用するというのはどうでしょうか。ある自治体では、このような不純な動機からリサイクルを始めたところもありました。そのため、その自治体はリサイクルにそれほど力を入れるということはありませんでした。だから、「地球のためにリサイクルしましょう」とか、「環境を守るためにリサイクルしましょう」というキャンペーンになってしまうのです。
安易に環境問題を考え、実践すると、とんでもないことになるということを、今までみてきました。まさに、そのような状態になってしまっているところもあるのです。安易な環境への取り組みは、逆に、環境問題を悪化させ、私たちの健康を害するかもしれません。
そこで、まずは簡単にできる、空き缶や空きびんだけを資源ゴミとしてリサイクルさせようということになったのです。やり始めた頃はアルミ缶もスチール缶も、ある程度の値がついていて売ることができました。回収業者さんたちの間の市場原理が働いていたからです。前の章でも詳しくお話しましたが、そこに自治体が乗り込んできて、何も考えていない過剰な回収が始まり、たくさん集まり過ぎて市場原理が崩れ、価格が暴落してしまいました。そしてとうとう、スチール缶やびんに対して、逆に、お金を払って引き取ってもらうということになってしまったのです。 
そのように、安易な気持ちでリサイクルを始めてしまった自治体の職員の方々も、ここまでは考えていなかったようです。もともと、労働組合の人手を増やす目的で始めたリサイクルですから、それほど真剣に取り組んでいなかったのです。この安易な行動によって、それまで、日本の産業を支えてきた基盤である回収業者さんたちが、次々に倒産していったのです。本来ならば自治体は、回収業者さんたちと協力をして、なるべく無駄な税金を使わず、自分たちの健康を守るために環境問題を考え、リサイクルを実践するべきだったのです。 
本来の目的がずれていたので、よいと思ってやっていたことも、実は、よくない結果を引き起こし悪循環に陥ってしまったのです。
当然、すべての自治体がこのような状態であったのではなく、あくまでもほんの一部です。多くの自治体は、リサイクルは、ゴミ処理場や焼却炉の延命が目的という認識のほうが強かったようです。
「リサイクルなんかやられたら、ゴミが減って俺たちが喰いっぱくれる」
と、実際に焼却場で働いている現場のある人は言っていました。

最終処分場と政治の問題

それともう一つ、自治体がリサイクルに取り組んだ理由があります。
バブル景気以降、一般廃棄物の量が著しく増加したため、焼却場でゴミを処理するのが追いつかず、埋め立て量を増やしてきてしまったため、埋め立て地=最終処分場が急速に少なくなってきてしまったのです。
東京都下の場合は、西多摩郡の日の出町に最終処分場があるのですが、予想をはるかに超えるスピードでいっぱいになってしまいました。東京23区をはじめ、海に面している地域は埋め立てることができるので、ある程度は大丈夫ですが、内陸の地域、特に、東京都下は人口が多い上に土地がないということで深刻な問題になっています。
日の出町の最終処分場は本当にもういっぱいで、ゴミは焼却した灰の形でしか引き取ってくれません。燃えないゴミは市内でリサイクルさせるしかないのです。ある一定量を超えたゴミを出した自治体は、ペナルティーのお金を払って埋め立ててもらうしかないのです。それも、私たちの税金が使われています。そのため、燃えないものからリサイクルさせる必要があったわけです。また、この最終処分場は重さで引き取ってもらうので、重いゴミをリサイクルさせたほうが自治体としては得をするわけです。そこで、ゴミの中でも燃えないゴミ、空き缶や、空きびんが、はじめに分別回収されてリサイクルされるようになったのです。
ゴミは汚いというイメージがあります。これは生ゴミが腐ると臭くなるので、ゴミ全体が悪いイメージになっているのです。生ゴミ以外のゴミは汚いでしょうか。紙、プラスチック、缶、びん、ビニール、いずれも汚くはありません。ですから、生ゴミをまず分別すれば、「ゴミは汚い」というイメージがなくなり、リサイクルもしやすくなるのではないでしょうか。
ある自治体では、リサイクルに取り組む際、まず、生ゴミだけを回収しました。回収した生ゴミは家畜のえさとして売っています。生ゴミがないので、家庭のゴミは汚くありません。臭くありません。これによってゴミに対するイメージも変わり、住民の人たちも快くリサイクルに協力してくれているそうです。
日の出町の最終処分場は、東京都下27市町のゴミを埋め立てています。予定より早くいっぱいになってしまったので、次の処分場の用地の買収に入っています。山を切り開き、自然を壊してつくるのです。これに反対している地元住民の人たちが、現在、使っている最終処分場から有害物質がもれていないか、独自に調査をしました。処分場には、とても厚いゴムとビニールのシートが敷かれていて、外にはもれないようになっているのですが、自然界にはありえない有害物質が、そのシートの外から検出されました。そこで、新しい処分場をつくることに、地元住民は猛烈に反対を始めました。
ある自治体のリサイクル課の担当者は言っていました。
「リサイクルの目的は、ゴミの最終処分場の延命ですよ。それには、いくらコストがかかっても仕方ありませんね」
別の担当者はこう言いました。
「回収業者の人たちとは、あまり接したくありませんね。だって、ゴミを集めているんでしょ」
また、別の自治体の方は言いました。
「今は、リサイクル・ブームだからね。いくらでも予算が出るんだよ。もらったからには無理してでも全部使わなくちゃね。なかなか大変ですよ」
ある自治体の市長や知事などのトップは、このような清掃関連の部局の腐敗した状態を知っていました。健全化をはかるために、ゴミ、リサイクル関連については民営に任せようとしていました。そうすれば、他の部局の予算を削らなくてもすみ、効果的で合理的であると考えたのです。しかし、そこにも今度はトップの人たちの利権が絡んでいたのです。
トップの人たちは選挙で票を得るために、市内・町内の有力な回収業者さんを大事にしたいと思っています。なぜなら、有力な回収業者さんは市内・町内全体の産業と関わっていることが多いため、政治家としてはそういう人たちと良い関係を保っておくことは必要不可欠だからです。ゴミ、リサイクル関連事業を民営に任せるということは、清掃関連の部局の職員数を減らすということになります。しかし、清掃労働組合の人たちは人数を増やそうとしています。
そこで、市や町の有力な一つの回収業者さんと独占契約を結び、トップの人たちと清掃労働組合の人たちとの双方がお互いに歩み寄りを図るというパターンが多いようです。そうすると、1つの回収業者さんを残して、他の回収業者さんたちがつぶれていくということになってしまうのです。すべてに利権が絡んでいるので、ひとつ、いいことをやると、必ず、おかしなところが出てきてしまうのです。これは、ある自治体の特殊な例ですが、似たような事例が他に全くなかったとはいえません。多かれ少なかれ、実際にあったことなのです。

頑張れ! リサイクル

今までは確かに、このような清掃労働組合や自治体のトップの利権が絡んだ腐敗したリサイクルがあったかもしれませんが、最近になって、かなりの変化が起こってきました。環境問題も一過性のブームではなく、一般住民に定着してきたらしく、いい加減な自治体の対応に厳しく反発するようになってきたのです。
さまざまな情報を得て、知識を身につけた住民たちは、自治体の行なっているリサイクルに疑問を持ち、積極的に自治体の担当者たちとセミナーなどの話し合いの場を持つようになったのです。また、環境問題、リサイクルに関する、さまざまなイベントなども催されるようになり、一般住民の熱意ある行動にじかに触れ、気持ちを改めたという多くの清掃関連の部局の職員の方々もいます。1992年6月の地球サミットの際も、日本中で環境に関するシンポジウムが開催され、住民と自治体がひとつになる機会も多く生まれました。
「今までは直接、住民のみなさんと対話をしていなかったことが、リサイクルに無関心だった原因だった」
と、ある清掃関連の部局の職員の方は言っていました。
また、別の職員の方は、
「2年前の4月22日、東京の夢の島で行なわれた『アースデイ』のイベントには感動しました。リサイクルなんてどうでもいいと考えていた自分が恥ずかしくなりました。とにかく頑張ろうと思いました」
と話してくれました。
とにかく、リサイクルの背景は、よい方向に変わりつつあります。清掃関連の部局の方々も頑張っています。住民のみなさんも頑張っています。ただ、
「なぜ、リサイクルをするのか」
という基本は、いつも考えておくべきだと思います。ゴミの最終処分場の延命という理由もあるかもしれません。労働組合の人手を増やす理由もあるかもしれません。選挙の票集めのためかもしれません。でも、ダイオキシンや塩素の問題を思い出してみて下さい。やみくもに、ゴミを燃やしていた“つけ”が、きちんと私たちに返ってきているのです。正しいリサイクルをしなければ、これからもこのような問題は起こるでしょう。前の章でもみたように、そのリサイクルさえもさまざまな形で悪循環に陥っています。
これまでも、ときどき、
「自治体は、実は、リサイクルなんてどうでもいいと考えているんだ」
と言われていましたが、これからはそんなことは言われないように、これまでの問題を、改めて考え直してみる必要があるのではないでしょうか