第5章
リサイクルをできなくしているODA(政府開発援助)⁉


紙のリサイクルをできなくしているのは、ユーカリ⁉

再生紙が売れない理由…、それは、木材から直接つくったヴァージンパルプの紙の値段のほうが、再生紙の値段よりも安いからということを、第3章で話しました。なぜ、わざわざ、海外から輸入した原料でつくった紙のほうが、国内でゴミとして集められてつくった再生紙よりも安いのでしょうか。たしかに円高で、海外から日本に入ってくるものが安くなったということもあるのでしょうが、実は、問題は別のところにあるのです。
ふつう、紙は木を細かく砕いたチップという状態から繊維をほぐして、それをからませて乾燥させてつくります。その木というのも、ふつうの紙をつくるのであれば、森に生えている樹木を、そのために伐採して使う必要はありません。建築用として伐採した木の枝や、使えない部分を、紙の原料として使うのです。本来は捨てられてしまう部分を使っているということで、ヴァージンパルプの紙も、実は、リサイクル品であるといえるのです。
それにしても、ここ数年の紙の値段の暴落には目を見張るものがあります。円高になったからといって、本来、捨てられるべき枝などが突然増え、安くなるでしょうか。紙の値段が安くなっている、決定的なもうひとつの理由があるのです。それが、ユーカリです。コアラが大好物の、あのユーカリなのです。ユーカリからつくられる紙の量が増えたのです。
ユーカリは全世界的に植林され、安い値段で大量に日本に入ってきています。最近、特に、ユーカリからつくった紙は広く使われています。事務用紙から雑誌にいたるまで、特別に宣伝はしていませんが、“ふつう”に使われています。ユーカリは他の樹木よりも早く成長するため、早く大量に、しかも、安く紙をつくることができます。私たちが紙をゴミとして捨てた後、回収業者さんが集めてつくり直す再生紙よりも、はるかに安い値段でつくることができるのです。
例えば、製紙会社の中でも、板紙の最大手である製紙会社は、次のように言っています。
「弊社は森林資源育成のひとつとして、パプアニューギニアの林業プロジェクトとして大規模な植林事業を行なっています。弊社は製紙原料となる木材チップの生産を1974年に開始しており、同時に熱帯早成樹種の試験植林を早くから手掛けてきました。
当初、熱帯地域での大規模植林はまだ実行例がなく、事業を進めるにあたって数々の障害はありましたが、森林資源保護、パプアニューギニア国の経済発展、地域住民のための社会環境整備などを考慮して、1991年3月末までに約5,000ヘクタールの植林を実行、一部はすでに収穫を始めています。
植林地の成長も非常に良好で、植林樹種のユーカリは7〜10年で成木となり、従来の天然林に比べ、遜色のない美林となっています。今後は、さらに成長がよく、品質の良いアカシア、マンギウムを中心に、年間植林面積をこれまでの2倍の1,000ヘクタール以上に増やし、最終植林面積を1万1,000ヘクタールにまで広げて、同国から運ぶチップをすべて植林からのものとし、製紙原料供給の安定化を図る計画です」。
また、ある別の紙パルプ会社は、ブラジル・ミナスジエラス州で、1974年から1990年までに約7万8,000ヘクタールのユーカリを植林し、現地パルプ工場の必要原林の70%を自給していて、さらに、13万ヘクタールまで植林を続けています。このほか、別の大手企業では、チリで1万ヘクタール、他の大手製紙企業では、ニュージーランドで15万ヘクタールの植林計画を実施中と、世界各地で原料調達のために紙パルプ産業は植林事業を営んでいます。
このように、大規模にユーカリが植林され、紙の原料として日本に入ってくればくるほど、紙の値段は下がり、紙のリサイクルはしにくくなります。
「たとえ、そうであっても、ユーカリを植林すれば、木が増えて、環境のためにいいじゃないか」
と言う人がいるかもしれません。しかし、先ほどの話を思い出してみて下さい。今まで紙の原料は、建築用の木材の使わない枝などの部分でした。ユーカリを原料にしてしまえば、建築用の使わない部分は必要ではなくなります。捨てられて、燃やされてしまうのです。せっかくリサイクルできるのに、燃やされてしまうのです。それなら、ユーカリを建築にも利用すればいいではないかと思われるかもしれませんが、ユーカリの枝は細く、しかも、燃えやすいので、とても使えません。
これだけなら、まだ許せます。しかし、ユーカリは、紙のリサイクルを阻害するだけではありません。実は、自然環境を根本から破壊する、恐ろしい樹木なのです。
ユーカリは乾燥地に生えることができる唯一の樹木で、アフリカやオーストラリアの乾燥地が原産といわれています。そこから世界各地に運ばれ、植林されているのです。
ブラジルのある企業と日本の合併企業が、ブラジルの半乾燥地にユーカリを植林しています。そのプロジェクトには、日本政府のODA(政府開発援助)の一機関が資金援助をしています。もともと、半乾燥地なので人口密度が低い地域だったのですが、そこに、ユーカリのプランテーションを始めたのです。そこでは当然、現地のブラジル人たちが雇われて働いています。 
プランテーションを始めたということは、他の植物はつくらせないということです。このプロジェクトが行なわれる前は、いろいろな野菜や果実を栽培して自給自足をしていましたが、ユーカリのプランテーションを始めると、それができなくなってしまいました。他のものをつくらせてくれないからというだけでなく、ユーカリには周りの植物を根こそぎ枯らしてしまう恐ろしい毒性があるのです。長い間、自給自足をしていた現地の人たちは、自分の畑にユーカリを植えたばっかりに、今までの生活ができなくなってしまいました。 
ユーカリに毒性があるということを知らない彼らは、自分たちが育てていた野菜で食べ物はまかない、さらに、ユーカリを育てて売って生活が豊かになると思ったのです。ところが、ユーカリの毒性のため、食べるものを自分でつくることができなくなってしまったのです。そうすると、食べ物は買わなくてはなりません。今まで自分でつくっていた豆や小麦も、お金を払って買わなければなりません。
その収入は、ユーカリに頼るしかありません。そのユーカリは当然、日本に輸出されるわけですが、世界各国で大規模につくっているため、値段がとても安いものになってしまっています。そのため、ユーカリを育てて売っても、大した金額にはならないのです。彼らの生活は以前と比べ、豊かになるどころか、どんどん貧しくなっていってしまったのです。
人間としての最低限の暮らししかできない安い賃金でユーカリ植林を続けるか、都市のスラム街に行き、不安定な日雇いをするか、どちらかの選択しかありません。ブラジルのスラム街にいるほとんどの人たちが、このようにして土地を追われた人たちなのです。
ユーカリからはユーカリ油が採れます。ユーカリ油は防虫剤、殺虫剤などに使われるほか、消炎・殺菌作用があめため、皮膚クリーム、トローチ、うがい薬としても使われていますが、『メンソレータム』の原料になっていることで有名です。ユーカリ油にはシアンという毒素が入っていて、それが細菌、カビ、昆虫、植物などに対して、発育・増殖を阻止したり、死にいたらしめる作用があるのです。
「コアラなど、オーストラリアに住む動物には悪影響を与えないという結果が出ているが、他の国、地域に植林すると、弱い動物にまで影響を及ぼし、少なくとも昆虫を殺す毒があることは確かで、食物連鎖で確実に、その地域に影響を与えるだろう」
と『未来の生物資源ユーカリ』で、西村弘行さんは書いています。
また、ユーカリは成長が早いことでも有名で、スギやマツの育苗期間が最低2年なのに対して、ユーカリはたったの3カ月です。成木となるのも、他の樹木なら数十年はかかりますが、ユーカリは7〜10年です。これが植林に適しているといわれる理由です。
なぜ、ユーカリは成長が早いのでしょうか。ユーカリの根本には瘤根と呼ばれる、水分や栄養の貯蔵器官があります。この瘤根が、急激に地下の水分を吸いとるのです。そのスピードと量が強烈に早く多いので、周りの井戸や水田が枯れてしまうほどです。稲も小麦も、ダメになります。現地の人たちは食べるものが生産できなくなり、どんどん貧しくなります。周りの土地の水分を吸収してしまうので、ユーカリの近くには植物は育たなくなります。5年目以降は下草も生えなくなり、他の植物は壊滅状態となり、ミミズなどの土中生物も全滅してしまいます。土壌を酸性にするとともに、地中に毒性の物質であるユーカリ油を蓄積するためです。成長時に水分を急激に吸収し、地下水位を押し下げるため、土壌が弱くなり、土壌流出の原因にもなります。ミミズなどの土中生物がいなくなることも、さらに、拍車をかけています。また、ユーカリの枝や葉は密集して茂ることがないので、ユーカリの生えている地面に直接、太陽熱が当たります。直接、地表を暖めるので、裸地と同じような環境を形成します。
このように、ユーカリは、自分の生えている周りを乾燥地にしてしまう力をもっているのです。他の植物の育生を許さないのです。もともと、乾燥地の植物なので、周りをこのように変えてしまうのです。
さらに、ユーカリは山火事を引き起こす原因にもなっています。ユーカリは他の樹木に比べて非常に比重が低いので、燃えやすいのです。先ほども述べたように、枝や葉が密集していないので、地面に直接、太陽熱が当たり、それが、ユーカリの周りの温度を上げる原因にもなって、自分で自分を燃えやすくしているのです。自然に発火して、森を焼き尽くすこともよくあります。 
火事で他の樹木は全滅してしまっても、最も初めにまた生えてくるのはユーカリです。ユーカリの瘤根は地下深くに埋まっているので、いくら地面から出ている樹木の部分が燃えてしまっても、その瘤根から再び芽が出てくるのです。この瘤根がある限り、ユーカリは不死身なのです。「瘤根は他の樹種には決して見当たらない、ユーカリ唯一の特有器官」と、前出の西村弘行さんも言っています。たとえ、伐採したとしても、その切り株から、また、再生する能力も持っています。これほど利己的な生物は、本当に珍しいそうです。生き残るために、自分のみ繁栄するための能力であるとしかいいようがありません。
ユーカリの大規模な造林が始まったのは1870年以降、イタリアが最初だといわれています。ローマ南部のトレ・フォンターネにある聖パウロ僧院の修道士たちによるもので、当時、大流行していたマラリア病対策としてでした。彼らは数年にわたって、一帯の低湿地にユーカリを植栽し、ついに、湿地を乾燥地に変えて、マラリア蚊撲滅に成功したのです。フランスのユーカリ研究家はこの事実を、
「ユーカリは、まさに、神の与え給うた奇跡の木!」
と絶賛しました。このことから、ヨーロッパではユーカリは“”聖なる木”と言われるようになったのです。
たしかに、蚊の撲滅には役立ったかもしれませんが、プラスの面だけをみていてはいけないのです。マイナスの面もよく考えてみる必要があります。 
その後、ヨーロッパではユーカリの植林が大々的に始まりましたが、マイナスの影響が出てくるに従い、次第に植えられなくなってきました。ユーカリを植えても周りに雑草が生えている間は野ウサギも出入りしますが、5年を過ぎて、雑草の消失とともに、これらの小動物もいなくなります。昆虫はユーカリの若木のシュートを餌に飛来しますが、成木になると、その葉の強い臭いのために、その数は急減します。また、ユーカリ林には鳥の餌となる昆虫がいないため、鳥の鳴き声を聞くこともなくなります。さらに、ミミズもいなくなり、食物連鎖の生物ピラミッドのバランスが崩れ、ユーカリ林には、“ユーカリしかいない”ことになるのです。ユーカリ林の“静寂さ”はこのような森林生態系のためなのです。
このようなユーカリが、日本でも大規模に植栽されようとした時期がありました。太平洋戦争後、日本は空前の森林資源窮乏の危機に見舞われました。戦争のために、多くの森林が乱伐されたのと同時に、復興のために大量の木材需要が生まれたからです。昭和28年、ユーカリを対象とした外国樹種導入研究会が発足し、5カ年計画に基づいて、ユーカリを植栽していきましたが、十分な知識を持たないまま、大失敗してしまったのです。その原因は、次の3つにまとめられます。
1.寒害(日本では寒すぎる)
2.降雨(日本では雨が多すぎる)
3.平坦地(ユーカリには緩やかな丘陵地が適しているが、日本には山間部が多い)
このため、日本の森林はユーカリによって破壊されずに済んだのです。もし、ユーカリの植栽に成功していたとしたら、日本の森林の生態系は完全に破壊され、“死の森”と化していたことでしょう。

早く育つという理由だけで、ユーカリを、国をあげて大規模に植林する国はたくさんありました。ユーカリ植林国の1位はブラジルで、2位はインドです。図1に、主な国をあげておきました。これをみると、乾燥地が多い国ほど、ユーカリを植林しています。1977年の少し古いデータですが、残念ながら、新しいデータが手に入りませんでした。今、改めてみてみると、発展途上国が多いことがわかります。どういうことかというと、もともと、乾燥地で作物のとれない地域にユーカリを植栽すると、地下水が急激に減り、ますます、乾燥地化してしまうのです。そのため、その地域の土地では、ユーカリしか育たなくなります。しかも、どの国も大規模に植栽を行なっているので、ユーカリの価格は低くなってしまいます。こうして、ユーカリを大規模に植栽した国は、ますます、貧しくなるという悪循環に陥ることになるのです。
さらに、ユーカリは日持ちが悪いことでも有名で、植栽国第1位のブラジルでは、現地で紙の原料になるパルプの形にしてしまいます。パルプの形で日本に輸出されるのです。ユーカリをパルプ化するときには、ものすごい有害なヘドロが出ます。このヘドロは河川や近海を徹底的に汚染し、今、リオデジャネイロでは深刻な問題になっています。私たちが日本で使う紙のために、ブラジルでは深刻な公害に悩まされているのです。
輸入されたユーカリは、どのように使われているのでしょうか。古紙配合率の高い再生紙をつくる、つまり、古紙をたくさん混入すると、紙の繊維が弱くなってしまい、なかなか、丈夫な紙ができません。そこで、古紙以外の残りの原料には、つなぎとして良質のヴァージンパルプのチップを使うことになります。その良質のチップの代表がユーカリなのです。結局、古紙配合率の高い良質の再生紙をつくるには、ユーカリが必要ということになってしまうのです。
今、日本の紙の値段は下がっています。需要に対して、大量に生産しているからです。“つくりすぎ”とも言われています。それにもかかわらず、今のユーカリの大規模植林のように生産量を増やしています。その理由は、製紙業界がスケールメリット追求型だからです。大きくなればなるほど、儲かるのです。ですから、縮小はなかなか、できません。利益を求める限り、大きくなり続けるのです。しかし、大量に生産しているために価格競争を余儀なくされ、原価割れ、すれすれまでに設定せざるを得ず、実際、最も困っているのは製紙業界なのです。
製紙メーカーは単独では動けないため、製紙連合会という組織をつくり、「いっしょに縮小しましょう」という方向に進んでいますが、日本の製紙メーカーは国際競争力が弱いので、GATTにより市場をオープンにしてしまうと、すぐにつぶれてしまうという弱点があるため、なかなか、実行できないでいます。製紙メーカーも苦労しているというのが現状なのです。
しかし、自然環境を破壊するユーカリを植林しているということは事実です。しかも、これら一連のプロジェクトには日本のODA(政府開発援助)によるお金が使われています。タイのユーカリ植林の場合、製紙会社の資金のバックアップはODAによる貸し付け、または援助で、私たちの税金でユーカリが植林されているのです。紙のリサイクルをできなくしているユーカリ植林は税金で行なわれているのです。

1兆9,000億円の「援助」は誰のため?

ODA(Offical Development Assistance)は「政府開発援助」という意味で、先進国の政府や各実施機関が、開発途上国の経済発展などのための援助をすることです。
1993年度の日本のODA予算は、グロス・ベースで1兆9,000億円です。日本国民はODAのために、老人も子供も含めて、1人当たり年間1万4,000円ずつ負担していることになります。5人家族であれば、年間およそ7万円もの金額を出していることになるのです。
そのODAの使い道は、なぜか、国民には伝えられません。それどころか、国会にも知らされないのです。政府は、ODA予算の全体枠を国会の承認さえ得てしまえば、あとは、どのような援助に資金を割り当てるかは、閣議で決定してしまえるのです。

ODAは図2のように、二国間援助と多国間援助に分かれています。二国間援助は、日本がタイやインドネシアなどに直接に資金援助を行なうような形で、多国間援助は、国連や世界銀行などの国際機関を通じて行なわれます。
二国間援助は、技術協力と資金協力に分けられます。開発途上国から研修生を招いたり、日本から専門家や青年海外協力隊を派遣したりすることが技術協力で、これはJICA(Japan International Cooperation Agency=国際協力事業団 )が窓口になって行なわれます。
資金協力には、無償資金協力と有償資金協力があります。無償資金協力は、開発途上国に返済を義務づけずに「贈与」するものです。有償資金協力は、返済を前提に「貸付」をするものです。援助を受ける開発途上国の立場になってみれば、「貸付」よりも「贈与」のほうが望ましいと思うかもしれませんが、問題はそれほど簡単ではありません。
開発途上国の政府に、直接に現金を手渡すのが「贈与」ではないのです。例えば、フィリピンに贈与を行なったという場合には、日本政府は日本国内の指定銀行(外国為替銀行)のフィリピン政府名義の口座に援助額を振り込むだけなのです。現金は日本国内にとどまっていて、実際にフィリピンに渡っているわけではないのです。そして、“経済援助”ということで日本政府は、日本の商社や建設会社に開発途上国のダム建設や道路建設を発注します。その代金は日本国内の銀行のフィリピン政府の口座から引き落とされるのです。結局、開発途上国に援助する予算は、ほとんど、日本の企業が受け取ってしまっているのです。

日本のODAには、2つの問題点があります。1つ目の問題は「贈与」よりも「貸付」のほうが多いということです。図3のように、1989年と1990年の平均で「贈与」の比率は45.6%と、援助国中、唯一50%を下回っています。「貸付」は残りの54.4%ということになります。「貸付」には当然、借り入れ国に返済の義務が生じるため、開発途上国の借金が増えていく大きな原因になっています。
「貸付」のもうひとつの問題は、「贈与」に比べて、その金額が大きいということです。「貸付」はダム、発電所、道路、橋、港湾、空港などのインフラストラクチャー(経済・社会基盤)関連の大規模開発プロジェクトに向けられる傾向が強いのです。インフラ関連の大規模開発プロジェクトは自然環境に大きな影響を及ぼします。しかし、日本のODAは、自然環境にはほとんど配慮がなされていません。次々と自然環境を破壊しているのが現状です。

なぜ、このようになってしまうかというと、図4でもわかるように、日本の場合はODAを扱う職員の数が極端に少ないからです。ODA総額が、1976年から10年後の1986年には、5倍以上になっているにもかかわらず、職員数はあまり増えていないのです。ということは、1人の職員の担当する金額が5倍になっているということです。ちなみに、1人の職員が担当する金額を国別にみると、日本の382万ドルに対して、フランスは186万ドル、アメリカは181万ドル、旧西ドイツは126万ドル、イギリスが89万ドルと、日本が圧倒的に多いことがわかります。1988年には、ODA総額が2年間で倍近い90億ドルという、とてつもない金額になったにもかかわらず、職員は6人増やしただけにとどまっています。
職員が少ないと、小規模の草の根的な、本当に開発途上国が求めている援助をすることができず、どうしても大規模プロジェクトを行なうことになってしまいます。そのほうが、予算を一度に早く、簡単に消化できるからです。担当職員は大規模な援助をみつけてきたコンサルティング会社に予算を任せ、それを建設会社に発注するのです。援助プロジェクトは、その規模が大きくなればなるほど、受注企業にとっては大きい仕事ができます。多くの場合、コンサルティング会社は建設会社と癒着しているので、自ずとプロジェクトを大きくしようとする傾向が強いのです。
プロジェクトの規模が大きくなることは、日本政府にとっても、それを取り巻く産業界にとっても好都合なのです。しかも、日本の援助を欲しがっている開発途上国の現地政府の役人にとっても、コミッションの額が増えるので、好都合なのです。こうして、日本企業、日本政府、現地政府の三者の利害が合致することから、大規模プロジェクトが選択され、自然環境や開発途上国の現地の人々が犠牲になっているのです。

「援助」が環境を破壊する!

次のインドネシアのダムの例は、日本弁護士連合会の公害対策環境保全委員会が調査したもので、詳しくは『日本の公害輸出と環境破壊』に書かれていますので、参考にして下さい。
ダムによる水力発電でつくった電気で、アルミをつくっている国があります。このようなダムは、自然環境を破壊して造られます。その資金は、日本のODAによる「貸付」です。そして、ダムを「援助」によって造ってもらった被援助国は、借金を早く返そうと、猛烈にアルミをつくります。しかし、大量につくると、日本に輸出する際、ダブついてしまい、価格は下落します。援助を受けた国が、いくらアルミをつくり日本に輸出しても、アルミの価格が低いので、ダムや発電所を造った借金を返済することができないのです。こうして、アルミの価格が下がっていくために、日本にアルミがどんどん輸出されます。すると、国内でリサイクルされるはずのアルミが、リサイクルされなくなってしまいます。
ここでも、再生紙と全く同じ問題が起こっています。海外から輸入されるヴァージン材料のほうが、国内で回収されるアルミよりも安いので、そちらのほうが使われるのです。そうなると、回収されたアルミ缶は必要ではなくなって、さらに価格が下がり、リサイクルされなくなっていくのです。
インドネシアのスマトラ島の山中に、トバ湖という湖があります。面積は1,100km2で、琵琶湖の1.6倍の大きさです。このトバ湖からアサハン川という川が、急流となって流れ落ちています。アサハン川の水力を利用してダムを造り、水力発電を行なうことには、アメリカ、フランス、オランダなども目をつけていましたが、結局、インドネシア政府は1970年、住友化学、日本軽金属、昭和電工の3社にアサハン川の調査を依頼しました。この3社は、いずれも、アルミ精錬会社であったことから、開発の中心目標がアルミ精錬工場の建設とされました。 
その後、1974年に住友化学とインドネシア政府との間で、アサハン・プロジェクト基本協定が結ばれ、3社のほかに、三井アルミ、三菱化成も加わり、これら、アルミ精錬5社の呼びかけに応じて、住友商事、三菱商事、伊藤忠、三井物産、丸紅、日商岩井、日綿実業の7つの商社がプロジェクトに参加することになりました。そして、1975年7月、日本とインドネシアの政府間協定が東京で調印され、同年11月、12社による投資会社「日本アサハン・アルミニウム株式会社」が設立され、翌年1月にインドネシア政府と日本アサハン・アルミニウムの合弁会社「P.T.インドネシア・アサハン・アルミニウム」が設立されました。

政府間協定が結ばれた当初、アサハン・プロジェクトに要する資金は2,500億円でしたが、2年後には、地質調査に基づく設計変更や物価上昇のためとの理由から4,100億円と、大幅に増加されました。表1のとおり、プロジェクト建設資金のうち、日本政府資金が占める割合が最も大きく、78%に達しています。これが、日本のODAなのです。日本の民間12社が負担するのは8%、インドネシア政府の負担は13%です。アサハン・プロジェクトは、日本のODA資金を活用した代表的な事例といえるでしょう。
プロジェクトの実施にあたっては、まず、ダム建設用地、アルミ精錬工場建設用地、従業員宿舎など、関連施設用地と、発電所から工場までの約120kmを結ぶ送電線を設置するための鉄塔を建設する用地など、合わせて約2,500ヘクタールという広大な土地を確保しなければなりませんでした。この用地取得については、インドネシア政府が特別に、アサハン開発庁という役所をつくり、開発庁の強力な指導のもとに、県の土地買収委員会が、安い補償金で農民から土地を迅速に買い上げていったのです。
こうして、農地を追われた人々のうち、アサハン・プロジェクトの建設現場で働く機会を得た人はごくわずかで、大半がわずかな補償金を生活費に使い果たしたあとは、プロジェクトとも、以前のゴムやパーム・オイルなどの巨大プランテーションとも関係のない、別の仕事に就くしかなく、貧しい以前の生活よりも、さらに苦しい生活を強いられることになりました。
農地を買収される以前が貧しい人たちほど、政府から「アサハン・ダムが建設されれば、村に電気がきて、村の生活はよくなる」と聞かされれば、長年、大事にしてきた農地も手放しやすかったのです。しかし、結局、アサハン・ダムができ上がっても、農地を手放した農民の所へは、とうとう電気は送られてきませんでした。発電所でつくられた電気は、すべて、アルミ精錬工場へ送電されていたのです。一部は地元の電力会社へ供給されていますが、その割合は、なんとたったの1%です。
このダムは、日本のODAの「貸付」により造ったものなので、その借金を返済しなければなりません。そのため、発電した電気でアルミをつくり、それを日本に輸出して、その金額で借金を返すしか方法がないのです。そのためには、地元の農民の犠牲は仕方ないということなのです。ある程度の借金を返し終わる目処はあったのですが、猛烈にアルミをつくるために価格が下落してしまい、返済期間が延びてしまっているのが現状です。延びている間にも、どんどんと利子は増え続けているのです。利子の分、日本は儲かっていることになるのです。いったい、誰のための援助なのでしょうか。
私たちの税金が使われてできたアサハン・ダム。援助という名目で造られたこのダムは、いったい何をもたらしたでしょうか。森林伐採などの自然環境破壊、現地の農民の生活の破壊、さらに、このダムでつくられた電気はアルミ精錬に使われますが、アルミ精錬工場による公害も大きな問題になっていて、周囲の自然を次々と破壊して、農業さえも営めない土地にしてしまっているのです。
さらに、大量に生産され、輸入されてアルミの価格は下がり、アルミのリサイクルさえも阻害されています。アルミを回収していた回収業者さんは倒産し、多額の税金を使って自治体がリサイクルをしなければなりません。そのリサイクルさえもが、このようなODAによる大規模プロジェクトによって、できなくなっているのです。なんのことはない、実は、自分で自分の首をしめているのです。次々と環境を悪くして、自分の体を痛めつけているのです。
たしかに、アルミは生活する上で必要です。しかし、価格が下落しているということは、余っているということです。余っているにもかかわらず、次々とつくり続けています。借金をした国にしてみれば、借金はなるべく早く返したいのが当然です。しかし、それをできなくしている市場原理というものが、実際にあるのです。
よく、「関税をかけて、海外から日本に入ってくる輸入品の価格を上げればいい。そうすれば、紙やアルミもリサイクルしやすくなる。国内で回収されたもののほうが値段が安ければ、工場もそちらの材料を使うようになる」という人がいますが、事はそれほど単純ではありません。今、世界は自由貿易が原則になっています。健全な貿易が行なわれるよう、GATT(関税貿易一般協定)が結ばれていて、自国の産業を守るために、外国から輸入される商品に対し関税をかけるのはやめよう、ということになっているのです。他の国のものが自由に買えるようになるという点では、このGATTは素晴らしいのですが、こと環境問題に即して考えると、これほど、よくない協定はないといえます。
安い木材や鉄、アルミが、どんどん日本に入ってきています。そのために、輸出国では自然環境が破壊されています。日本国内でも、輸入され、商品として一度、消費された後はゴミとして捨てられ、さまざまな公害や環境問題を引き起こしています。それらを解決する唯一の手段であるリサイクルさえも、阻害されています。本当に、悪循環に陥っています。
しかし、だからといって、商社や関連企業、政府の役人の人たちだけを責めるわけにはいきません。その人たちの生活もまた、あるのです。家に帰れば、奥さんも子供もいるでしょうし、生活費や学費も大変です。会社では出世しなければならないでしょうし、そのためには、仕事をとってこなければなりません。そうしたところに、このような問題が発生するのです。
「私たちの税金が、ODAという形でも何でもいいから、日本の企業に使ってもらえれば、そのお金は日本で流通するから、結局は日本の経済として循環して、自分たちのところに返ってくる。これは、もしかしたら、当然のことなんじゃないか」
と言う人もいます。たしかに、私たちの生活にとってはプラスになるでしょう。木材やアルミも安く買うことができます。しかし、資源を浪費されている開発途上国の人たちはどうでしょうか。森林を伐採されたり、工場を造るために、長年、耕してきた農地を手放し、生きる上でギリギリの貧しい生活を余儀なくされているのです。彼らの犠牲があって、私たち、日本人のこの豊かな生活があるということを忘れてはいけないと思います。第1章でも述べたように、私たち、人間の住んでいるのは地球の中でも、ほんの狭い環境の中です。どこかの環境を破壊すれば、それは自分たちに返ってくるのです。例えば、大気汚染、異常気象という形で、すでに、それは起こっています。
誰を責めることもできないと思います。あえて、責めるのならば、この社会全体を責めるべきです。この社会の仕組み自体がおかしいのです。間違っているのです。どちらかを修正すれば、どちらかが悪くなるシステムというのは、その根本が間違っているのです。環境・リサイクル問題に関しては、もう表面だけ修正しても無駄です。身近なゴミの問題はつきつめていくと、このように、世界貿易の問題にまで発展していってしまうのです。