第6章
こうでなければリサイクルは成功しない‼
—スウェーデンの場合—


スウェーデンの日常生活

これまでみてきたように、日本のリサイクルを含む廃棄物と環境の問題は、完全に悪循環に陥っています。
牛乳パックはリサイクルされますが、一度しか使うことのできないトイレットペーパーになるからといって、どんどん買おうということになってしまい、結局は、森林伐採に拍車をかけています。プラスチック商品は、いくらリサイクルして、再び、新しい商品になっても、結局は、燃やせば有害ガスが出て、根本的解決にはなっていません。紙のリサイクルさえも、ユーカリ植林など、ODAによって阻害されています。だからといって、ゴミとして燃やしてしまえばいいかというと、今後はダイオキシンが発生して、私たちの健康を損ねます。
全く袋小路にはまっている状態です。体系的に問題を解決していないのです。常に行き当たりばったりで、目先のことしか考えず、対処的にしか問題を見ていないのです。では、体系的に、予防的に解決している国など、あるのでしょうか。
実は、あるのです。それが、スウェーデンです。
スウェーデンは日本より国土面積が21%広い、しかし、総人口は800万人と、東京都の人口の約3分の2といった、北欧の国です。今までも、ときどき、スウェーデンという名前が出てきましたが、この国は体系的に物事を考えられる、さまざまな社会問題を予防することのできる優れた国です。まずは、スウェーデンの典型的な家庭の日常生活をみてみましょう。
スウェーデンの首都・ストックホルムの郊外にある団地のマンションに住んでいる一家は、30代の夫婦と5才になる男の子。
新聞、雑誌、びん、乾電池は、団地の一角にある、それぞれのためにデザインされた資源ボックスに入れます。「ゴミの日」はありません。毎日が「ゴミの日」です。お母さんは5才の子供を毎日、いっしょに連れて行き、ゴミの分別を教えます。完全に、生活習慣の一部になっているのです。近所の人たちとは、買い物をする段階で、環境のための商品について議論をします。
普通のゴミはポリ袋に入れて、ダストシュートへ投入します。マンションには、ゴミを真空パルプで一気にゴミ集積場まで送る穴があり、特に分別せずに、そこに捨てます。この地域のゴミは、3,500世帯のゴミ資源化を行なうセントラルスーグ社の「ゴミ吸引所」に集められ、定期的に直接、コンテナに詰められ、ゴミ集積所に送られます。
ゴミ集積所からは、50の市のゴミを扱っているセルベリー・ビック社という100年の歴史を持つゴミ収集会社によって、機械アームでパッカー車に積み込まれ、さらに、ストックホルムのほぼ中央に山を掘って造られた地下ゴミ集積所(いざという時には、市民の核シェルターにもなる)に集められ、コンテナに圧縮され、大型トレーラーに積み替えられて、郊外のセルベリー・ビック社のゴミ処理場に向かいます。
ここは、ゴミを無限の資源として利用する、世界でも最も近代的になゴミ処理場です。日本では、ゴミは何でも燃やそうとしますが、ここでは、まず、重さによって分別します。それまでの過程で一応は分別されていますが、さらに、念入りに分別されます。資源化される鉄くずは、立方体に圧縮され、生ゴミ以外は圧縮して棒状にし、さらに、角型枕状に固型化されて、「ブリニ」という固型燃料になります。
主に、紙やビニールのゴミからできる、この「ブリニ」は年間1,500t生産され、地域暖房に使われています。スウェーデンは将来的に原子力発電所をなくす予定なので、その代替エネルギーとして注目されています。石炭の60%の火力があるそうです。セルベリー社の社長は言っています。
「私たちが利潤をあげようと思えば、ゴミが減っていく」
大きな木材ゴミは、キャンプ用の薪となって売られます。生ゴミは埋め立てられますが、地中からメタンガスが発生するのでパイプを通して採取され、近くの街の熱供給会社に売られます。コービック・ゴミ処理場のある、ナッカ市の市民は住宅の暖房源に、この熱を使っています。
最近、生ゴミの処理に、ミミズを使う家庭が増えています。台所で発生した生ゴミは、ミミズに食べさせてしまうのです。キッチンの流しの下を開くと、衣装ケースほどのプラスチックの箱があり、その中に、およそ500匹のミミズがいます。ミミズが生ゴミを食べて出すふんは、最高級の肥料です。ふんがたまると、家の鉢植えにまぜたり、庭にまいたりします。かなり、栄養度が高い土になるので、植物の成長も予想以上に早いそうです。ある地域では、数カ月に一度、数世帯で集まったミミズのふんを近くの公園にまき、花を植えています。そうすると、冬でも、春の花が生き生きと咲いているのだそうです。生ゴミがなければ、「ゴミは汚い」というイメージはなくなります。スウェーデンでは早くも、そのイメージ戦略を実施しているのです。しかも、ミミズは農薬のついた野菜や果物は食べません。ミミズを飼い始めた家庭では、無農薬の野菜や果物しか買わなくなるそうです。そのため、スーパーや商店でも無農薬の野菜や果物しか売らなくなります。そして、農家も無農薬のものしか作らなくなります。こうして、スウェーデンの農業は農薬を使わなくなり、環境の破壊も行なわれなくなっているそうです。
スーパーマーケットでは、野菜はすべてラッピング無しで、ほとんどが山積みになって販売されています。トレイを使ったものなどは全くありません。歯みがき粉もチューブのみで、外箱がありません。コーヒー豆もアルミホイルの袋だけで外箱はありません。ゴミになる紙箱の無駄をなくしている、好例です。最近では、牛乳の量り売り機も登場して大人気です。当然、牛乳パックはありません。普通に売っているのは、びんに入った牛乳のみです。それでも、自宅からびんを持ってきて、量り売り機で牛乳を買う人が増えています。買い物袋は有料制で、ほとんどの人が買い物カゴどを持ってきています。 
驚くのは、このような人たちが、特に環境に対して強い意識を持っているというわけではなく、ごく普通の人たちだということです。スーパーも、ごく普通のスーパーだということです。
スーパーの入り口にドンと設置してあるのは、空き缶、空きびん、空きプラスチックボトルの自動回収機。買い物に来たお客さんは、まず、家で出た、このような資源ゴミを回収機の投入口に入れます。そうすると、デポジット金額(缶やびんの分の預かり金)の記録されたレジシートが出てきます。そのレシートを、買い物をしたお金を払う時にレジに出すと、その分の金額を割り引いてくれるのです。空き缶は50オーレ(11円)、空きびんは60オーレ(13円)、大型空きプラスチックボトルは4クローネ(88円)です。
空き缶自動回収機の裏側を見てみると、缶をつぶして段ボールにストックされています。いっぱいになると、回収業者さんが来て、アルミ再生工場に、そのまま運ばれます。空きびん自動回収機は、1本ずつ回転テーブルに乗せると、バーコードで読み取り、ベルトコンベアで運ばれ、ケースに自動的に詰められます。空きプラスチックボトルも同じです。そして、回収業者の人たちによって、それぞれの再生工場へ運ばれます。
これらの廃棄物を運ぶときも、また、スーパーなどの商品の搬入にも、日本では当然のように、トラックを使いますが、スウェーデンでは大気汚染防止のために、できる限り貨車を使います。プラスチックボトルはこの流通のときに使うプラスチックケースに再生されます。日本では段ボールを使いますが、スウェーデンでは、プラスチックの再生商品に需要をつけるため、こちらのほうを選んだのです。
スウェーデンでは企業が環境保護、リサイクルの取り組みに積極的なのが、特徴です。飲料水のびんは大半が規格化されており、店に並ぶびん商品のほとんどは330ccの、緑か透明のもので、リサイクルしやすく、デポジット制で回収しやすくなっています。

飲料水の缶は、ほぼ100%がアルミ製です。表1のように、1990年に、スウェーデンでつくられた8億5,000万個の飲料缶の全部がアルミ製なのです。イタリアとギリシャが90%以上とアルミ缶率が高い他は、どの国も低くなっています。ちなみに、アメリカも95%と高く、逆に、日本は32%という数字です。

電気を喰うアルミをなぜ、環境大国スウェーデンが選んだのかというと、高価なアルミのほうがリサイクルに乗りやすいからだそうです。それも、表2をみれば、うなずけます。1990年のスウェーデンのアルミ缶回収率は83%です。ヨーロッパの平均回収率は18%ですが、スウェーデンを除くと8%になってしまい、スウェーデン以外のヨーロッパの国々ではアルミ缶の回収はほとんどされていないということになります。
スウェーデンでは、ほとんどのスーパーマーケットが、自動回収機を店頭に設置しています。消費者の意識だけでなく、企業、行政も積極的に取り組んだ結果が、数字に表れているのです。

スウェーデンの企業の取り組み

スウェーデンを代表する企業に、自動車メーカーのボルボがあります。ボルボはおそらく、世界の自動車メーカーの中でも、最も環境について考えている企業のひとつだといわれています。
日本車の耐用年数は4〜5年ですが、ボルボの車は15〜20年です。しかも、生産の段階から、バンパーをはじめ、半分以上の部品がリサイクルしやすいように設計されています。日本の自動車メーカーはバンパーを1つリサイクルさせるのに数万円のコストがかかるシステムをつくってしまい、とうとう、やめてしまいました。
また、車のブレーキには、今まではアスベストが使われていましたが、アスベストが発ガン性物質であることがわかった後は、スウェーデンでは完全使用禁止になりました。もちろん、ボルボも使用を一切やめました。日本の自動車メーカーもスウェーデン向けにはアスベストを使わない車を輸出していますが、国内用には、今でもアスベストを使った車を生産しているのです。アスベストを使わないブレーキをつくるほうがコストが高いからです。しかし、ボルボの車は輸出用にもアスベストは使っていません。アスベストの使用が禁止されていない日本へも、きちんとアスベストを使わない車を輸出しています。
そのボルボがスウェーデン環境研究所、スウェーデン産業連盟と協力して、商品をつくるための材料がどれぐらい環境への全体的な負荷があるかを計算する特別なシステムを開発しました。 
EPS(環境優先戦略)と呼ばれるこのシステムは、各種素材の製造、使用、処分の結果、環境に影響を与える物質が、大気、土壌、河川に排出されるとき、何が排出されるのかを確認し、排出によって引き起こされる損害の程度を評価することによって、いわゆる「環境指数」を算出することができるのです。
製品をつくるということは、原材料の採取から始まる各製造段階を経て、最終製品の生産に至るまで、環境に影響を与えています。製品を使うということは、販売から保有期間を通じて、環境に全体的影響を及ぼします。例えば、車を運転すれば、排気ガスが発生します。洗車をすれば、水を汚染します。廃車にしてスクラップ処分にするときにも環境に影響を及ぼします。
環境保護の手段は、今までは、工場の製造工程での、大気や水系への環境に影響を与える物質の排出に重点が置かれていました。しかし、製造工程が環境に及ぼす影響は、製品のライフサイクル、つまり、製造から廃棄に至るまでに環境に与える全影響のうち、比較的、小さい部分しか占めていません。実は、製造工程以外の段階での環境への影響が大きいのです。製品を全体的にみるには、環境への全体的な影響を評価することが必要です。そのためには、原材料とエネルギーの使用と、製品のライフサイクルの間に排出される、すべての種類の汚染物質を詳しく知る必要があります。そこで開発されたのが、EPS(環境優先戦略)システムなのです。
EPSシステムが使用する基本的な手段は、環境に及ぼす影響を、明確な数字の形にして示す、いわゆる「環境指数」の定義です。環境指数は、ある素材1kgが環境に及ぼす影響をELU(kg当たりの環境負荷)という単位で表示します。この環境指数は、スウェーデン環境研究所の長年の調査によって算出された、信頼のおける決められた数値です。
EPS : 環境指数(ELU / kg)× 量(kg)=環境負荷値(ELU)
例えば、ポリプロピレンを素材とするバケツ1個は、どの程度、環境に影響を与えるでしょうか。重さは0.7kg、ポリプロピレンという素材の環境指数は0.97ELU / kg、製造する際の圧縮行程の環境指数は0.05ELU / kgです。計算はただ数値を代入すればよいだけです。
環境指数(ELU / kg)× 量(kg)=環境負荷値(ELU)

ポリプロピレン : 0.97ELU / kg × 0.7kg=0.68ELU
圧縮工程 : 0.05ELU / kg × 0.7kg=0.04ELU
0.68+0.04=0.72ELU
よって、ポリプロピレンを素材とするバケツ1個が環境に及ぼす負荷は0.72という数字で表されます。
ボルボとスウェーデン産業連盟とスウェーデン環境研究所が開発したこのEPSシステムは、今では、スウェーデン産業連盟の働きかけで多くの企業が採用しています。生産段階から、リサイクルだけでなく、環境全体への負荷を計算し、なるべく、環境に影響のないように生産工程を考えるこのシステムは、すでに、多くの実績を上げているそうです。まさに、体系的に物事を考える国、予防療法の国・スウェーデンならではの、素晴らしいシステムです。使いっぱなし、捨てっぱなしで、目先のことしか考えられない対処療法の国・日本とは大きな差があります。
実際、スウェーデンで暮らしている日本人が日本に帰ってくると、まるで、日本人が遅れているように見えると言っていました。それほど、日本とスウェーデンでは考え方に差があるようです。ゴミ問題ひとつ解決できない日本、それに比べて、スウェーデンはかなり進んだ国という印象を受けます。その理由を、以下では、詳しく説明したいと思います。日本と比べて、どこがどのように違うのか、じっくり考えてみましょう。

スウェーデンという国

100年程前(明治20年代中頃)、スウェーデンはヨーロッパで最も貧しい国でした。あまりにも貧しく、1800年代の人口350万人のうち、約3分の1が移民としてアメリカに渡ったといわれています。なぜ貧しかったかというと、スウェーデンは北欧の極寒地帯で自然条件が厳しい上に、国内で、石油や石炭、天然ガスなどの化石燃料が採れなかったからです。このため、他のヨーロッパ諸国に比べて、工業化が遅れたためです。そんなスウェーデンが、現在のようなGNP(国民総生産)の高い福祉国家になったのには、さまざまな理由があります。
しかし、この当時から、すでに平等という価値観を実践していた進歩的な国でした。1888年に行なわれた階級分析調査では、なんと国民の94.4%が労働者階級に属していたのです。その感覚は今でも、確実に根づいています。スウェーデンでは、首相であろうが、大臣だろうが、会社の社長だろうが、地下鉄に乗ったり、自分で車を運転して通勤しています。首相官邸などもなく、首相もごく普通のアパートに住んでいるし、フットボールや映画にもお供なしで、バスや地下鉄に乗って気軽に出かけるのです。
また、スウェーデンは、1813年のナポレオン戦争以来、約180年間、全く戦争に参加しておらず、いかなる軍事同盟にも参加せず、「中立国」としての立場を守り通した結果、十分な社会資本を蓄積することができました。その社会資本を利用して、早くから教育に力を入れました。そして、工業化に必要なエネルギー源は、石油や石炭に頼らず、国土の50%は森林地帯という自然条件を利用した水力発電でまかないました。
このような条件がそろった結果、最も貧しい国・スウェーデンは、最も豊かな福祉国家となることができたのです。そこまで築き上げたのは、1932年(昭和7年)から1976年(昭和51年)まで、実に、44年の長きにわたって政権の座にあった社会民主党でした。
社会民主党は政権の座について以来、この貧しい国を福祉国家にすると言い続け、その言葉どおりに福祉国家の建設を着実に実行してきました。その基本となっている価値観は、国民に安心感を与えるということだそうです。安心感を与えるということは、不安を取り除くということです。不安には、死の不安、病気の不安、事故の不安、仕事の不安、社会の不安、老後の不安など、いろいろありますが、そのいかなる不安をも、できる限り取り除き、安心して暮らせる国をつくろうというのが、スウェーデンの福祉国家としての基本的な方針なのです。

スウェーデンは「予防療法」の国

スウェーデンには、国をあげての大きな、ひとつの目標があります。それは「健康」です。国民全員が人生で「健康」が最も大切だと思っているのです。国のすべての政策が「健康」に向かっています。子供の頃の教育から「健康」が最も大事ということを教えるので、国民全員が潜在的に、そのような意識をもっているのです。
日本では「健康」というと、“肉体的な健康”を思い浮かべますが、スウェーデンの考える「健康」は、単に肉体的な健康だけではなく、“精神的な健康”をも含んでいるのです。
国の目標が「健康」なので、それを侵さないためには、未然に「健康」を損なう要因を防ぐ、いわゆる「予防」が必要です。「健康」という目標に向かって、国をあげて、あらゆる「予防対策」が講じられます。
1960〜70年代、日本では急速な工業化に伴い、水俣病やイタイイタイ病など、さまざまな公害病が問題になりました。公害防止のために、1965年から1975年の10年間に毎年1兆円もの投資が行なわれたそうです。このコストも莫大なものですが、それにも増して、忘れてはならないのが、多くの被害者の方々がいるということです。亡くなった方々もいらっしゃるし、今でも苦しんでいらっしゃる方々もいらっしゃいます。まさに、国に国民の「健康」を第一に考えるという価値観がない結果、招いた悲劇です。 
日本では公害という現象に最初に気づき、問題を提起したのは、治療の現場で働く医師でした。医者が公害の原因を突き止め、技術者が工学的な公害防止対策を立ててきたのです。まさに、“対処療法”として典型的な事例といえるでしょう。事が起こってから初めてそれについて考える、行き当たりばったりの、目先のことしか考えられない「対処療法」です。
それに比べて、スウェーデンでは科学者が環境の変化に警告を発して、技術者が工学的な防止対策をとります。医者が問題提起をするということは、環境汚染が、もうすでに人間にまで達しており「治療」の状態にあるということを意味します。それでは、「健康」という国の目標はやぶられたことになります。そうならないように、人間にまで環境汚染が達する前に「予防対策」をとるのです。
このような「予防対策」は、目の前のコストだけを考えればコストが高くなるように思われますが、社会全体のコストを考えれば、治療よりも予防のほうが安上がりということは、1991年6月28日付けの読売新聞の「公害は事前防止で安上がり・水俣病では被害総額の100分の1で」という記事でも指摘しています。予防のためのコストに毎年1兆円という莫大な金額はかからないはずです。「予防」は被害が生じてから対策を行なうより、経済面でも、はるかに合理的なのです。
「予防」ということから、スウェーデンでは、科学者が非常に重要な立場を占めています。国としての政策を決定するときにも科学者の発言が非常に重要なものになっているのです。ある物質を製品として製造するとき、多少でも、それが環境に対して危険な影響を与える可能性がある場合には、科学者が問題を提起し、すぐに国会で、その製品は製造禁止処分となります。「予防」という立場から、少しでも、国の目標である「健康」を害する危険性がある場合は、とりあえず、やめてみて、別の方法を考えるのです。先ほど紹介したEPS(環境優先戦略)システムも、そんな背景の中で、スウェーデンの科学者によって考え出されたシステムです。ある製品を製造するとき、環境に対して、どのくらい影響を与えるか、なるべく影響の少ない素材・工程を選ぶというこのシステムは、「予防」という考え方を確実に実践しているといえます。
しかし、いくら科学者が「予防」を考えて、早期に問題を提起したとしても、それが国の政策に反映されなければ、意味がありません。科学者と政治家の協力が大切です。その点、スウェーデンの故バルメ首相の次の言葉に、それがよく表れています。
「科学者と政治家の役割についてだが、科学者の役割は、事態があまり深刻にならないうちに、事実を指摘することにある。科学者は政治家にわかりやすい形で問題を提起してほしい。政治家の役割として、もし、環境について何かをしなくてはならないという場合に、政府の政策の最も端的な表現は予算だ。予算の編成に、そういう政策の意図が反映されることが必要なのだ」。
スウェーデンの産業のすべてが、世界の水準から抜きん出て、優れた公害防止の技術や装置を持っているのかというと、そういうわけではありません。そのような技術については、日本のほうが優れたもの、大規模なものも多くあります。しかし、結果としてはスウェーデンのほうが、公害を出さないという基本的な目的を達成しています。それは、なぜでしょうか。
スウェーデンの環境保護のための技術は、“単なる公害防止機器や技術”というより、“社会システムの有機的な組み合わせの一部”になっているのです。スウェーデンの環境保護に対する基本認識は、企業経営、労働組織、行政、立法、司法、住民の意識などのネットワークの中に幅広く組み込まれているのです。
スウェーデンはまた、「健康」を守るために「予防」するという観点から、世界100カ国以上の自国の大使館に科学部を設置し、世界各国の環境情報を収集しています。その情報をもとに、自国で対策を立てるのはもちろん、事件が起こりそうな時は、その国や各世界団体に勧告します。「健康」を守り、「予防」するには、自国だけの問題ではなく、世界的、地球的規模で「予防」していかなければいけないという基本的認識があるのです。そのことを思い知らされたのが、1986年に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故でした。
爆発と共に飛び散った放射能は、風に乗って、真っ先にスウェーデンに降り注いだのです。世界はつながっています。いくら、自分の国だけをガードしても、どうにもなりません。自分の「健康」を守るためには世界全体、地球全体を考えなければいけないのです。あの事故は、スウェーデンにそのことを痛切に考えさせる契機になりました。
スウェーデン運輸大臣のM.オデル氏は、次のように話しています。
「スウェーデンの人口密度は非常に低いため、多くの場合、酸性雨などの環境汚染物質は風によって運ばれてきます。例えば、スウェーデンがすべての輸送機関の使用を廃止するよりも、欧州で排ガスを10%削減したほうが、スウェーデンの酸性雨問題を解決するには効果があります。スウェーデンの土壌の多くは汚染されやすいため、近隣諸国に環境対策を行なうよう説得するには、スウェーデンがよい手本となる必要があります。そのため、スウェーデンは欧州でも最も厳しい環境基準を採択しています。これらの基準は、環境汚染と経済的メリットの関係を組み合わせて実施しています。例えば、窒素酸化物(NO2)は、1kg当たり約55クローネ(約1,000円)を基準とし、発電所などからグリーン・タックス(環境税)として徴収しています。その結果、二酸化炭素(CO2)や硫黄酸化物(SO2)までもが相乗的に削減されたのです」。

スウェーデンは「福祉国家」

スウェーデンは、「福祉国家」として有名です。先ほど述べたとおり、44年間、スウェーデンの政権の座についていたのは、社会民主党です。その社会民主党が打ち出した理念が、「安心感」でした。
安心感を与えるということは、不安を取り除くということです。そのために、「予防療法」がとられてきたのです。常に、予防していれば不安はなく、安心して生活できます。また、人間は誰でも人生において弱い時期があります。それは「幼児期」と「老年期」です。また、病気や事故にあった時は、誰もが不安になり、他人の助けを必要とします。そんな不安を取り除こうとして築かれたのが、今のスウェーデンの福祉システムです。医療費をはじめ、子供の教育、老後の生活に至るまで、そのほとんどについて、無料でサービスを受けることができます。
しかし、この福祉社会を支えているのが、非常に高い税金であることも事実です。実際、若者や他の政党からは批判の声も上がっています。スウェーデンでは高給取りからは、たくさんの税金をとり、収入の低い人からは少なくとります。非常に高い収入があり、それに応じた税金を納めていた人でも、行政から福祉サービスとして受ける見返りは、そうではない人と同じです。このように、平等の原則がきちんと守られているので、高い税金を払うことに反対している人もいますが、大多数の人は、それなりに納得しているのです。それに、自分が事故や病気になったときのことを考えると、やはり、この福祉社会は素晴らしい制度だと実感するそうです。
いくら「健康」について考えて「予防」をしても、不安のない福祉社会に住みたくても、やはり、経済基盤がしっかりしていなければ何もできません。今の世の中は、経済で動いているのです。企業が倒産したり、赤字を抱えて税金が払えない産業があったりすれば、税収が減少するわけですから、福祉社会は成り立たなくなります。ですから、失業率が高くなったり、不景気になったりすることは当然、望ましくないことです。
スウェーデンでは「競争」は、日本のように好ましいこととは考えられていません。産業や企業が「競争」をして生き残っていくということを好まないのです。競争するということは勝者がいる反面、敗者もいるということです。敗者ということは、犠牲者ということですし、犠牲者には、必ず何らかの不安がつきまといます。このような不安も、スウェーデンでは取り除こうとしています。
それでも、スウェーデンは日本や欧米の先進国と同じように、資本主義の国です。産業に占める国営企業の割合は5%にすぎません。企業活動に対する政府の規則も、最小限に抑えられているので、市場原理がよく働いています。資本主義体制をとってはいるものの、「平等」という価値観を重要視しているので、「機会均等」など、社会主義的な要素も入っています。スウェーデンは資本主義と社会主義を織りまぜた国といえるでしょう。
スウェーデンは、日本のように「使い捨て」社会ではなく、長い期間、故障なく、安全に使える製品をつくります。例えば、ボルボ社の車は、日本車が5年しかもたないのに比べて、4倍の20年もつ計画でつくられています。よりよいものを長く使う…、これがスウェーデンの産業の特徴です。よりよい商品は、もちろん、製造するにはコストがかかるので価格も割高です。しかし、10年、20年といった長い目で見れば、このほうが、結局は安くなるのです。この考え方は「予防」のほうが「対処」よりもコストが安いという考え方と同じです。スウェーデンはすべてをこのように相対的、体系的に考えているのです。消費者は2、3年で壊れてしまうような安物は買いません。10年、20年使える、高いけれども、性能のいい製品を買うのです。そのため、企業間で猛烈な「価格競争」をしなくてもいいので、大量生産をしないですみ、それなりの市場原理が働くのです。

スウェーデンの政策

スウェーデンは「世界で最も豊かで住みやすい国の一つ」といわれ、膨大な数の移民を受け入れています。すでに人口の約9〜10%がスウェーデン以外にルーツを持つ国民となっていて、2010年には、生まれてくる子供の2人に1人は外国から流入してきた市民の子供になるだろうと予測されています。そこには、何の差別もありません。「平等」という考え方があるだけです。世界のすべての人が幸せでなければ、自分も幸せにはなれないという、体系的な考え方ができる国ならではのことでしょう。労働災害などの健康被害が、国の福祉制度の下で救済されるという社会システムが確立しているのです。
それらを実行する「政策」をつくるのは、国の最高機関である国会や政府です。いくら、国に素晴らしい理念や考え方があっても、それを実践することができなければ意味がありません。その点でも、スウェーデンは世界に誇るべき、素晴らしい制度を持っています。それらを支えるのは、国会議員を選ぶ選挙のたびに、投票率が90%を超えるという国民の国会に対する参加意識です。そうして、選ばれた国会議員から成る国会なので、国民の意見が十分に反映され、国民による国民のための政治が行なわれるのです。

スウェーデンでは、一つの政策を決めるのに、どのような手順で進んでいくのでしょうか。環境問題の行政と政策を例にしてみましょう。図1に、スウェーデンと日本の環境行政の政策手順を『いま、環境・エネルギー問題を考える』の中で、小沢徳太郎氏がまとめた表を参考に、まとめてみました。
日本の場合、環境問題は原則的に環境庁の所管ですので、環境庁長官が必要に応じて、その諮問機関である中央公害対策審議会に諮問し、その答申を受けます。答申に基づいて環境庁は政策を立案し、実行に移します。同様に、エネルギー問題なら通産省、教育問題なら文部省が同じような手順で政策を決定し、実行します。各省庁が調査報告書を依頼するのは、多くの場合は大学や専門家の人たちです。ところが、とかく専門の人というのは自分の専門分野しかわからず、物事を体系的にみることが苦手です。各省庁はそうした偏った意見に基づいて政策を立案してしまうのです。そこには、一般国民の意見はほとんど入る余地はありません。だから、さまざまな問題が起こってしまうのです。
また、それぞれの問題は単独で起こっているのではなく、複雑に絡みあっていることが多いものです。体系的にみていかないと何も解決しません。一つの問題を解決しても、また、別の問題が、どこからともなく発生するのです。リサイクルの問題も、まさに、そうです。日本のこのような縦割のシステムでは、何も根本的には解決することができないのです。
これに対して、スウェーデンの場合は、日本のように、問題によって担当の各省庁が変わるということはなく、基本的には各省庁の長である大臣の集合体である内閣主導型の政府が調査委員会に調査報告書の作成を依頼します。その調査報告書は国会で審議された後、行政機関、産業界、労働組合、消費者団体、環境保護団体などに、コピーが送付されます。そして、それぞれの機関・団体などの立場からの文書による意見を求めます。場合によっては、隣接諸国にも送り、相手国の意見を求めることもあります。返ってきた意見を政府がまとめ、再び、国会に上程します。こうして、国会で承認を得た政策を政府が実行に移します。
このように、国で決められる政策はスウェーデンの場合、日本と違って、広く国民に知らされ、意見を求められます。常に、このような手続きをとるので、国民はいろいろな問題を知らされ、自然に国が抱える、さまざまな問題について体系的に考えるようになるのです。このような政策決定の手順は、行政、学者、市民、産業界、政治家など、社会を構成する国民各層が参加する仕組みになっており、同時に、情報公開とチェック機能を果たしています。日本はこうしたシステムになっていないために、国民の意見がほとんど反映されず、せっかく、つくった政策も、その目的を果たせないことが多いのです。スウェーデンの政策策定手順は、日本に比べて時間はかかりますが、いったん決まってしまえば、国民の協力が得られ、失敗することはほとんどありません。こうした、国民中心の政策決定システムがあるので、国民が中心の「健康」という国の目標と「予防療法」、そして、不安をなくす福祉社会を築くことができるのです。
スウェーデンの福祉社会を維持していく上で、重要な制度があります。それは「オンブズマン制度」です。 
国民の意見を反映して、時間をかけてつくられた政策も、それを実行する末端の自治体が、きちんと実行しなければ意味がありません。そして、その仕事をするのは、中央や地方の自治体の公務員の人たちです。この人たちが決められた政策を、きちんと実行するかをチェックするのが「オンブズマン制度」です。この制度は、1810年にできたといわれているので、180年以上の歴史があります。
閣僚、国会議員、地方議会議員の人たちは、このオンブズマン制度の対象外です。なぜかというと、これらの人たちは、国民が選挙を通じて自らの意思で選んだ人たちだからです。それに対して、公務員は、国民の意思では選ぶことができません。そこで、オンブズマンが国民に代わって公務員をチェックするのです。
スウェーデンのさまざまな行政組織には、オンブズマン制度をはじめ、さまざまな形のチェック機能が働く仕掛けになっています。それに比べて、日本はどうでしょうか。このように、行政をチェックする機能はほとんど働いていないといえるのではないでしょうか。

リサイクルってなにの?答え

スウェーデンというと、「福祉国家」「リサイクル大国」「平等の国」「選挙投票率90%」と、いいイメージが多く、スウェーデンを真似しようとする国は多いのですが、ほとんどの場合、成功しません。それはなぜかというと、福祉、リサイクル、平等というものを表面でしか、とらえていないからです。本質がわかっていないのです。
スウェーデンの本質とは、福祉国家であるがために、「健康」という国の目標があり、それを守るために「予防療法」を実践し、それらを形作る国民参加型の「政策」があるのです。これらを理解していないと、根本的なところはわかりません。
スウェーデンでは、国民の中に公共的なものに反感をもつという伝統は、ほとんどありません。例えば、疾病手当の受給額が10%あるいは20%引き上げされても、医療負担が少し増えても、スウェーデンの人たちは、損をするだろうとは考えません。重い病気を治すための研究費に使われることは情報公開されますし、それによって、その病気が治るだろうということを確信しているからです。そこには、医療と国民の信頼関係があります。その信頼にこたえるために、医者はできる限りの努力をするです。
これが、日本ではどうでしょうか。医療費が上がれば、医者が儲けているのではないかと、まず、疑いにかかります。今まで多くのスキャンダルや脱税事件などがあるので、国民は医者を信用していないのです。信用していないから、医者もまた無責任な態度をとってしまうのです。
日本では、病気になって初めて病院に行きます。これは「対処療法」の典型です。しかし、病気になった時点で、もうすでに、不安な気持ちになります。これは、スウェーデンでは、よくないことなのです。だから、不安にならないように「予防」をするのです。医者と科学者が協力して「予防」に努めれば、医者も自分が病気にならずに済みます。すべては、自分に返ってくるのです。
日本のリサイクルはゴミ処理の延命としてしか見られていない一面があります。ゴミが人体に与える影響(ダイオキシンや塩素などの有害物)を考えていないのです。ゴミとなる商品をつくるための資源の浪費も、環境破壊です。森林を破壊すれば、空気が汚染されます。空気が汚染されれば、私たちは病気になります。自分で自分の首をしめているのです。日本の場合、国や公的機関が体系的に考えるシステムになっていないので、体系的ではないバラバラの政策しか立てられないのです。ひとつの問題は解決されても、その歪みで、また、新しい問題が発生してしまうのです。これでは、問題を解決したことにはなりません。実際、東京都清掃局の職員の人も、
「東京都の清掃費2,500億円は、ゴミを右から左に動かしているだけ、目の前からなくなれば、それでいい」
と認めています。
国や各省庁、公的機関で働いている人たちは、「どうなれば、どうなる」という体系的な教育を受けていません。そういう人たちが、国の政策を立てて、実行するので体系的にはならないのです。根本的に教育からして問題があるのです。ある意味で、日本はそのほとんどが体系的な教育など受けていません。体系的にものを考えられないのは、当然です。受験、偏差値など、目先のことしか考えられないような教育を受けてきたのです。目の前のことしか考えられないのは、当然です。
この本の中で、リサイクルの矛盾点をいくつか挙げてきましたが、いずれも、何かをやると、必ず、別の問題が発生して、やればやるだけ、環境破壊になっていくということを検証してきました。これは、まさに、体系的に考えることができない例といえます。「健康」を守るという目標がないので、そうなってしまうのです。「健康」を守るために「環境」を守る。そのためにリサイクルする…、このような基本的な体系的な考え方が、まずは必要です。
スウェーデンは、当たり前のことを当たり前にしてきただけです。子供の頃、教わった、「使った物は片付ける」…、これが規模が大きくなると、「工場から出た排水は、工場で処理して、きれいにしてから、海に流す」となるのです。基本は同じです。当たり前のことをしないから、問題が起こるのです。
「ゴミは道路に捨てない」、「人に迷惑をかけない」…、子供の頃、こう教えられました。これを守らないと、悪い子だとおこられました。大人になった私たちは、どうでしょうか。守っているといえるでしょうか。大人のほうが「悪い子」が多いのではないでしょうか。「人に迷惑をかけない」ことを守らないということは、自分がよければ、他人はどうでもいいということです。迷惑をかけてもいいということです。日本がよければ、他の国はどうでもいいということです。日本が儲かれば、ブラジルやインドネシアの環境が破壊され、現地の人たちがいくら苦しもうがかまわないということです。問題は、「目の前で起こらなければいい」のです。
しかし、環境が破壊されれば、たとえ、それがブラジルのように遠い国であっても、いつか、必ず、私たちに被害が返ってきます。第1章でも、お話したように、地球は大きくても、私たち人間が住んでいる環境は狭いのです。他の場所で、何か起これば、すぐに、自分の所にも、その被害は及ぶのです。また、逆にいえば、自分の身近なところで行なった、よいことは、遠いところへも、すぐに、よい影響を及ぼすということです。
目標を決めて、体系的に正しいリサイクルをすれば、必ず、ブラジルやインドネシアにも、よい影響を及ぼすのです。そうすれば、自然環境は守られ、結果的には、自分の「健康」が間接的に守られるかもしれません。
現在、行なわれているリサイクルは、必ず、やらなければなりません。これまで、いくつかの、ちょっとおかしいリサイクルについてふれてきましたが、それでも、リサイクルは必要なのです。もし、現在、行なわれているリサイクルが全くなかったとしたら、焼却炉におけるダイオキシン問題、最終処分場欠乏の問題等、もっと多くの問題が、より深刻になっていたことでしょう。
ただ、ここで言いたいのは、もっと考えてみようということなのです。地球にやさしくするために、自分にやさしくするために、そして、家族や友達やみんなにやさしくするために、さらに、もう一歩、進んでみようということなのです。
「いい環境」があれば、「健康」でいることができます。
「健康」であれば、「幸せ」に生きることができます。
「幸せ」に生きるということは、「いい人生」を送ることができるということです。
これで、
「あなたはなぜ、リサイクルをするのですか?」
と質問されても大丈夫です。
この本に書かれてきた事実は、誰が悪いということではありません。1人ひとりの気持ちの持ち方ひとつで、これから、どうにでも変わるものなのです。