僕たちの重要なファッションアイテムの一つ、ニット類が店頭から減っているのに気がついているだろうか。
それは、“地球温暖化”が原因だというのは本当か?
デジタルに溺れた生活は新たな戦争を引き起こすという噂は本当か?
今、僕たちは、僕たちの本当の進化について考える。
僕たちの重要なファッションアイテムの一つ、ニット類が最近、ファッションショップの店頭から急激に減っているのに気がついているだろうか。秋冬物のセーター類、春夏物のサマーニット類など、例年であれば、おしゃれの重要アイテムとして大活躍するはずのニット類を目にすることが少なくなってきている。
なぜだろうか。まず、考えられるのは、冬が寒くなくなってきたこと。以前であれば、コートやブルゾンの下にはセーター類を着ることが多かった。ところが、最近はどうだろう。コートやブルゾンの下にはスウェット類、ときにはTシャツやカットソー、キャミソール1枚なんていうこともあるだろう。それでも、電車の中やショップの中に入ったりすると暑いぐらいだ。また、夏、暑かったかと思うと、ある日を境に急激に寒くなり、冬になってしまったり、冬、寒かったかと思うと、ある日、急に夏みたいに暑くなったりすることが、最近、多くなったことに気がついているだろうか。
夏と冬の間にある季節、春がなくなりつつあるのだ。実は、これが“地球温暖化”の始まりなのだ。酸素を供給してくれる森林を過剰に伐採したり、自動車や工場などから出たりした二酸化炭素の増加が地球温暖化を招いている。地球温暖化とは、二酸化炭素が地球を覆い、熱を宇宙に逃がさなくなってしまうため、地球自体が温室のようになってしまう状態のことをいう。地球自体の温度が上昇し、北極や南極の氷がとけて海面上昇し、海岸沿いの都市が海に沈んでしまい、海水浴ができなくなってしまうなどと報道されている。
しかし、地球温暖化にはもう一つ、大きな特徴がある。局地的な気候の変化が生じるのである。ある地方では局地的な豪雨が降ったり、ある地方では全く雨が降らずに日照りが続いたりする。本来は寒い地方が、急に高温になったり、南国の地方が急に寒気に覆われたりする。1999年の夏のニューヨークやロシアの連日40℃という異常な高温は、まさに地球温暖化の大きな特徴といわれている。日本では、本来涼しいはずの北海道が、1999年の夏は観測史上最高の気温を記録した。
アパレル業界では、このような気温の変化に敏感に反応し、ここ数年、店頭からニット類の生産を減らしているメーカーが増えているという。その結果、店頭からニット類のアイテム数が減っていたのである。
何か、淋しい気がしないだろうか。
例えば、その“地球温暖化”の情報を世界各国の人たちがやりとりしている。ブ厚い資料を作り、大量のFAXで情報交換をしたりしていた。そのブ厚い資料やFAX用紙はまざれもない森林を伐採して作られた“紙”なのだ。森林伐採は“地球温暖化”の原因の一つだ。確かに、そのことによって、地球温暖化、森林伐採の情報は世界に流れはした。今は“地球温暖化”の情報のやりとりはインターネットを通じて、日々、世界各国で膨大な規模で行なわれている。資料を郵送で送ったり、FAXで送ったりといった過去のやりとりより飛躍的に送受信できる情報量が増えたインターネットのやりとりは、一部の限定された人たちによって行なわれていた時代を超え、今では誰でも家庭に居ながらできるようになった。
気がついているだろうか。
インターネットを使うには電気が必要なことを。電気は現在その40%以上が火力発電によって賄われている。火力発電とは石油を燃やし、電気を得ること。その過程で炭素が放出される。その炭素こそが“地球温暖化”の原因の一つである。
しかし、インターネットをはじめとしたデジタル革命は産業革命以来の画期的なことだと言われている。インターネットによって世界中の人たちとのコミュニケーションをとることができるようになった。只一つの壁であった言語の問題も解消されつつある。声を認識してデータ化するシステムはここ数年、急速に進化し、今では日本語でしゃべった言葉を英語に翻訳してデータ化するシステムにまで進化した。そのシステムは携帯電話に活かす研究が進んでいるという。さらに、このシステムは日本だけにとどまらず、世界各国の言葉に対応できるという。そうなると、携帯電話一つで世界各国の人たちと言葉の壁を超えてコミュニケーションできるようになる。この画期的なシステムは世界中の圧倒的な情報量と、今まで触れたことのなかった価値観とコミュニケーションをとることによって、人間の意識の急激な進化をもたらすだろう。例えば、渋谷の公園通りのカフェに居ながら、フィンランドのレコードショップの店員から言葉の壁を気にせずに、新譜のレコードの情報を教えてもらうことができるだろう。例えば、原宿駅のホームで、アフリカのナイジェリアのサッカー仲間から次のワールドカップの有能な選手を教えてもらうことができるだろう。デジタル革命は地球人を一つにつなげることが可能なのだ。
その反面、デジタルはもう一つの側面を生み出している。アメリカ軍は1992年以来、“戦場の革命”を推進している。従来までのように、いかに大きな戦艦を持ち、いかに多くの戦闘機を有しているかが戦況を決するという時代は終わり、これからは、いかに戦場の情報を正確に握れるかが勝負だという。具体的には、衛星を通じて戦場の詳細なデータをデジタル化し、味方の軍同士でその情報を共有する。いわゆる、“戦場のデジタル化”である。デジタル情報によって得られた敵の動きによって様々な作戦を立てられ、また、臨機応変に戦略を考えることができる。いかに味方の犠牲を少なくし、敵の犠牲を多くするか。その究極の形が“戦場のデジタル化”だ。1992年の旧ユーゴスラビア内戦でのユーゴ空爆では、アメリカ軍が開発した“戦場のデジタル化”のシステムをNATO軍が初めて実践で使用した。核による攻撃は敵にはかり知れないダメージを与えるが、それと同時に核を発射した側は国際的な立場ではかり知れないダメージを受ける。そのような多大なリスクを負う戦争よりも、あらゆる面でできる限りリスクの少ない、ピンポイントで正確に敵を殲滅させる、より容易な戦争、それがデジタル革命で可能になったのである。
100年前に発明された“電気”は、トーマス・エジソンらが創業したGE(ジェネラル・エレクトリック社)によって世界中に普及した。1900年に開催されたパリ万博は当時、発明された電気を大いに世界中にアピールした。動く歩道、ネオンサイン、そして電灯。19世紀の暗黒の時代を忘れさせてくれる“明るい未来の象徴”、それが電気だった。電気は飛行機や船舶、自動車を急速に進歩させ、電話は世界中を一つにつなげた。しかし1901年、ヨーロッパの平和の秩序を保っていたイギリスのビクトリア女王の死は、フランスを治めていた息子とドイツを治めていた息子の仲を悪化させ、第一次世界大戦を勃発させた。夢と希望の飛行機は戦闘機に、船は戦艦に、自動車は戦車に、そして明るい未来の象徴だった電気は数々の兵器を量産する殺人システムと化した。この大戦で敗戦国となったドイツは、その復讐のためにアドルフ・ヒトラーを生み、再び、さらに激しい第二次世界大戦へと世界中が呑み込まれていった。
ここで考えてみてほしい。
現在のデジタル革命と100年前の電気の普及、あまりにもその状況が似ていないだろうか。地球を一つにつなげる明るい未来のはずだった電気。大量殺戮の手段として使われた電気。地球を一つにつなげようとしているデジタル。“戦場のデジタル化”で容易な戦争を可能にしたデジタル。人類の意識を進化させる大いなるデジタル革命を戦争の手段にしてはいけない。そのためには、技術の進化に劣らない、僕たち人間一人一人の意識の進化が不可欠だ。デジタルに溺れた生活は、人間をデジタルの奴隷にする。僕たちはデジタルの奴隷になってはいけない。あくまで、デジタルをコントロールしなければいけない。そのためには、僕たちの理性であるとか、そういう意識を忘れてはいけない。技術は平和に利用されるのも、戦争に利用されるのも、“紙一重”なのだ。
さらに、僕たちは考えなければならない。“戦場のデジタル化”も、地球を一つにつなぐ“デジタル革命”も、電気がなければ電源を入れられない。電気を得るためには石油を燃やし、炭素を放出し、“地球温暖化”を助長させなければならない。“地球温暖化”は春や秋といった心地よい日を奪い、そんな日に着たいニットというファッションアイテムを奪っている。僕たちは今、考えよう。これはいったいどういうことなのか。21世紀を目前にした今こそ、これからの僕たちの進化について考えてみよう。THINKING EVOLUTION!