1999年、東京のクラブシーンは危機的な状況を迎えていた。多くのクラブがクローズしてしまったり、営業時間の短縮を余儀なくされた。どれも、警察による介入が理由だった。警察の介入を恐れ、営業を自粛するクラブも多くあった。風営法違反で摘発されるクラブもあれば、食物を取り扱う衛生士の資格を有する者がいないとして取り締まられるクラブもあった。しかし、どのクラブも警察が介入してきた理由は、そんなことが原因ではないことぐらい知っていた。
その主たる原因は、“ドラッグ”であった。警察は、常にドラッグ(大麻等)の取り締まりには厳しい対応をしているが、1999年は特に厳しかった。一人が麻薬等所持で逮捕されると、厳しい取り締まりの末、“いもずる式”に仲間や売買ルートが割られていく。1999年は、主にレイヴでの売買が警察の目にとまった。それと同時に、レイヴ会場でのドラッグの取り締まりも強化されていた。
特に、サイケデリック・トランスのレイヴでのドラッグ使用率は高い。そのようなレイヴに私服警察が現れ、所持品検査の末、ドラッグ所持により現行犯逮捕されるというケースも増え始めた。クラブやレコードショップに置いてあるフライヤーで場所を選定し、調査してまわる私服警察もいたという。一部、レイヴァーの間で話題となった「ゴアパン刑事(デカ)」(!!)は冗談ではなくなってきた。そのようなレイヴの主催者は、クラブやレコードショップにフライヤーを置かなくなっていった。99年秋にもなると、制服の警官が堂々とレイヴ会場に現れる光景もみられた。それは、まるで、ちょうど10年前のイギリスでの光景「クリミナル・ジャスティス・アクト」(野外でハウスやテクノなど、繰り返す音楽を聴いている10人以上の団体を解散させる権利を警察に与えた法律)を見ているようだった。
さらに、そのような状況に追い打ちをかけたのが、昨年秋にテレビ放映された、あるニュース報道だった。“野外でダンスする若者たちは、みんな麻薬中毒者”だという偏った視点で編集されたその番組は、警察に勇気を与え、世論もまた、それを後押しする結果となった。その結果、東京のクラブシーンはどうなったか。クラブの数が減少することにより、パーティの数が減り、クラブに足を運ぶ人の数が減った。クラブに行かなくなると、レコードショップでレコードを買おうという意欲がなくなる。レコードショップの売り上げが鈍ってきた。レコードショップを協賛につけていたパーティは、協賛を得づらくなった。さらに、一般企業をスポンサーにつけていた比較的大きなパーティのダメージは大きかった。一連の報道により、クラブに行っている若者みんながドラッグ中毒ではないかと懸念され、スポンサーを降りる企業も出始めた。
ここで、みんなに考えてもらいたい。東京のクラブシーンについて、考えてもらいたい。なんで、このような状況になってしまったのか。警察を恨んでも仕方がない。それは後ろ向きな考えだ。ドラッグの取り締まりの一貫で、警察はクラブに介入してきた。それによって、踊りに行きたいパーティがなくなってしまったり、楽しみにしていたDJプレイが聴けなくなってしまったりしてしまった。多くのクラブ関係者も困ってしまった。しかし、そのみんながドラッグを摂っていたわけではない。ドラッグを摂っていたのは、ほんの一部の人たちだけだ。
ドラッグは自分自身が楽しむものであり、他人に迷惑をかけないのがマナーだ。自分がドラッグを摂っていて暴れたり、倒れたりしないという意識はあり、そばにいる周りの人たちに迷惑をかけていないという自覚はあるかも知れない。しかし、それがクラブシーン全体に迷惑をかけていると考えている人はどれぐらいいるだろうか。ドラッグを常用する一部の音楽のジャンルが、テクノやドラム&ベースのように、ほとんどドラッグを摂らないジャンルが行なってきたパーティのハコを減らし、迷惑をかけていると認識している人はどれぐらいいるだろうか。
21世紀の東京のクラブシーンの進化について考えるとき、ドラッグ問題は、とても重要な課題の一つだと思う。