「日本のクラブシーンは、まるで学園祭のようだね」。
ある海外アーティストに、このように言われた。正直言って、ショックだった。でも、よく考えてみると、確かにそうかもしれない。ヨーロッパ各国やアメリカ、カナダなどのクラブシーンから見たら、日本のクラブシーンは、まるで高校や大学の学園祭のように見えるのかもしれない。そう、ビジネスとして確立していないのだ。まだまだ「なんとなく」といった感覚が“クラブっぽい”という風潮が日本のクラブシーンには存在している気がする。メジャーで商業的な音楽シーンと違って、アンダーグラウンドなクラブシーンは、必死で人生を賭けて働き続けるといった感じは、確かにない。なんとなく“ゆるい”感じが、日本のクラブカルチャーには広く認識されている気がする。または、ふだんの仕事や学校などのストレスを、週末のパーティで一気に発散する場、カラオケやボーリングと同じ感覚でクラブを楽しんでいる人もまた、多い気がする。確かにそれはそれでよいのだが、ヨーロッパ各国やアメリカ、カナダなどの国に確立されているクラブシーンとは、根本的にどこか違う気がする。
U.K.では1980年代後半に起こったレイヴ・ムーヴメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が、レイヴを禁止する法律「クリミナル・ジャスティス・アクト」によって禁止されて以降、ダンスミュージック・クラブカルチャーは急速にシーン自らをビジネスとして確立していった。当時、経済的、社会的に困窮して、社会に対して不満を抱いていた多くのU.K.の若者たちは、ウィークデイのストレスを発散させるために週末のレイヴに群がった。その過剰な発展の結末が、政府によるレイヴ禁止を招いたのだった。週末に楽しさを爆発させる分だけ、平日の好きでもない仕事をし続けるのは辛い。週末に楽しむだけのレイヴは、平日の自分の日常生活を何も改善させなかった。結局、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」は多くの若者の日常生活を改善できなかったのである。ドラッグ(エクスタシー)まみれのレイヴ・ムーヴメントは、多くの若者たちに、真の日常生活の改善をもたらさなかった。
そこで、彼らは考えるようになった。「クラブカルチャーで生活していきたい」。レイヴ時代には、みんなドラッグ漬けだったので、どんなトラックをDJプレイしてもクラウドは盛り上がったが、クラブカルチャーで生活するためには、1曲1曲のトラックが良質で、ドラッグを摂っていない多くの若者たちにも支持してもらえなければならない。そのために、アーティストたちは次々とドラッグをやめていった。音にこだわり、音に集中していくと、次々とクオリティの高いトラックが制作されるようになっていった。それまで、クラブに来ていなかった人たちさえ、ダンスミュージック・クラブサウンドを聴くようになり、シーンは拡大していった。そう、トラック制作アーティストがクラブシーンで生活していくためには、商業的でメジャーでPOPなトラックを、仕事として割り切って無理に制作する必要はない。ダンスミュージック・クラブカルチャーのシーンの中にいるクラウドたちと共に、その他のシーン(ロックやHIP HOP、レゲエなど)の中にいる人たちを巻き込んでいくことが、シーン拡大に結び付いていった。例えば、ソウルⅡソウルはハウスとレゲエを融合させ、ダンスミュージック・シーンの中にレゲエ・シーンを取り込んだ。ケミカル・ブラザースやプロディジーはテクノとロックを融合させ、ダンスミュージック・シーンの中にロック・シーンを取り込んだ。
トラック制作アーティストと共に、レコードやCDのジャケットのデザイナー、フォトグラファーも作品制作が仕事となり、「自分の好きな事をやって、それを仕事にしたい」という欲求は満たされていくようになる。もう、好きでもない仕事をやる必要はない。レコードやCDが売れるようになると、専門のレコードショップを始める人も出てくる。メジャーで大規模なCDストアでは網羅できないような専門的なクラブカルチャー専門のレコードショップは独自の流通網を形成する。こうして拡大していくシーンは、レコードやCDの売上、パーティ動員数の向上につながり、ビジネスとして成立していく。それにまつわる雑誌、ラジオ、テレビ番組も始まり、広告媒体も増えていく。トラック制作アーティスト、デザイナー、フォトグラファー、エディター、ライター、プロモーター、オーガナイザー、そして、DJやVJ。頑張れば、メジャーで商業的な音楽業界ではなく、もっと身近な成功が存在する。こうして形成されたシーンの中で、多くの若者たちは成功を目指し、切磋琢磨を繰り返す。そして、トラックの、デザインの、写真の、パーティの、DJの、各種媒体の質はどんどん向上し続け、ハイクオリティなシーンがつくられる。
メジャーで商業的な音楽シーンとクラブシーンが決定的に異なるのは、メジャーで商業的な音楽シーンとは、自ら流行をつくり出して、それを繰り返し続けていくのに対し、クラブシーンとは、その質を向上し続け、築き上げていくものではないだろうか。このように築き上げられてきたシーンは、確実に世界に通用する。そうすると、国内だけでなく、市場が世界へと拡大する。それぞれの売上は驚異的なものとなる。これがU.K.のダンスミュージック・クラブカルチャーが辿ってきた、ビジネスとして確立してきた流れであろう。このような流れを生きてきたU.K.のアーティストから見たら、確かに日本のクラブシーンは学園祭かもしれない。この言葉の意味は重い。もう少しこの言葉について真剣に考えてみたいと思う。