「東京のクラブシーン、どう思う?」
長年、ニューヨークで活躍していたDJに話を聞いた。「東京は夜遊びのチョイスがあまりにも多すぎるよ。クラブで踊らなくても楽しめることがたくさんある。オールナイトの映画を観たり、ゲームセンターでゲームをしたり、カラオケしに行ったり、ボーリングをしたり、24時間のマンガ喫茶だってある。こんな状況の中で、どれだけ多くの人の足をクラブに向けさせるか。これは難しい問題だよ」。
ニューヨークにだって、映画館やゲームセンターはある。それにしても、東京は夜遊びする選択肢がとても多いということはいえるかもしれない。確かにクラブで踊らなくても、楽しいことはたくさんある。音楽を聴くということひとつとってみても、クラブミュージックを聴かなくても選択肢はあふれるほどある。J-POPしか聴かない人もいるだろうし、海外のPOPSだけを聴く人、ロック大好きの人、ジャズやクラシック専門の人もいるだろう。
だが、概して言えることは、音楽に対して探究心がある人の数というのは決して多くはないということだ。日本人の大多数は、流行っている、みんなが聴いている音楽を、なんとなく聴いているにすぎないのではないだろうか。では、クラブに多くの人を集めることに何の意味があるだろうか。アンダーグラウンドで限られた人たちだけが楽しめる場がクラブであるという人もいるだろう。
しかし、ヨーロッパ各国やアメリカ、カナダ、ブラジルなどでは、ハウスやテクノ、トランスやドラム&ベースといったダンスミュージックは、今や決してアンダーグラウンドなものではない。かと言って、メジャーというわけではない。メジャーをしのぐほど、アンダーグラウンドが発展しているのだ。アンダーグラウンドと言うよりも、インディペンデントと表現したほうがよいかもしれない。
人が多く集まれば集まるほど、主催者側はパーティの質を充実することができる。より良いサウンドシステムを構築したり、レーザーを導入してフロアに異空間を演出したり、クラブに行かなければ体感できない空間を作り出すことができる。一度より良い空間を体感したら、必ず、それがやみつきになる。もう、後戻りはできないのだ。これが、成熟したクラブシーンの健全な発展の仕方だといえるだろう。
そのためには、どうしたらよいのか。映画やゲームセンターやカラオケやマンガ喫茶を否定しても仕方がない。クラブシーンとは、レコード会社やイベント会社につくってもらうものではない。クラブを愛するみんながいっしょに築いていくものなのだ。もし、映画を制作する立場にいる人は、クラブシーンを題材にした映画をつくってみよう。もし、ゲームをつくる立場にいる人は、クラブミュージックをBGMにしたゲームをつくってみよう。もし、漫画家の人がいたら、クラブを題材にしたマンガを描いてみよう。それぞれの立場にいるさまざまな人たちが、自分のできる範囲で、クラブにまつわる表現をしていくことが、クラブシーンを築いていく上で必要だと思う。映画やゲーム、マンガなどの題材にクラブシーンが多く登場するようになれば、今までクラブに足を向けなかった人たちも、足を運ぶようになるだろう。
昔、ロックも同じような状況にあったという。ロックのライブやコンサートにどれだけ多くの人たちを呼ぶか、20~30年前の若者たちは苦悩した。しかし、その頃の若者たちの多くも、今では社会的立場を確立し、映画、ゲーム、マンガ、テレビなど、ありとあらゆる世界で愛するロックを取り入れ、広く一般に浸透させている。
より進化したクラブシーンのために今こそ、自分にできることを、それぞれの立場でやってみるべきときだろうと思う。