20世紀も終わり、時代はついに21世紀。クラブカルチャーの進化のスピードはますます加速していくだろう。そのスピードに乗り遅れないために、僕たちは、ますますの努力を積み上げなければならない。地球規模でのクラブカルチャーは、さらに拡大していくだろう。そのクラブカルチャーの現状を把握するためには、それに追いつき、世界のクラブシーンを一歩リードするためには、クラブの歴史を知っておく必要があると思う。世紀の変わり目のこの貴重な瞬間に、これからの進化のために必要な歴史を、過去に戻って考えてみたいと思う。21世紀最初の「THINKING EVOLUTION」はクラブの成り立ちについて考えてみたいと思う。
時は1000年前にさかのぼる。11世紀のロンドンには「イン」という宿泊施設があった。そこで宿泊客に食事と共に酒も提供するようになった。それが「パブリックハウス」(=公共の家)と言われるようになり、略して「パブ」と呼ばれるようになった。
時代は過ぎ、130年前、ロンドンでこの「パブ」が大きく広がり始めた。今となってはロンドンの名物である「パブ」には、この時代、主に生活に余裕のない農民や労働者たちが集まった。人を家に呼んでもてなす場所も食料もなかったので、「パブ」に集まったわけだ。庶民の社交の場、情報交換の場が「パブ」となったのである。
それに対して、上流階級の人たちは当然、大きな屋敷に暮らしていたので、人を招いてのパーティを開くことは容易にできたわけだが、「パブ」がブームとなると、上流階級の人たちは「パブ」の一部屋を貸し切り、同じ店に毎週、時間を決めて集まるようになる。これが「クラブ」と呼ばれるようになり、18世紀以降、その数は増大していった。
主に「クラブ」は上流階級の中でも、比較的、同じ価値観をもった人たちの集いの場として発展していったようだ。例えば、政治結社的要素の強いものから、賭博、ビーフステーキ愛好家の「ビフテキ・クラブ」、太った人たちが会員の「ファット・メン」、やせた人たちばかりの「骸骨クラブ」など、ありとあらゆる「クラブ」が現れ、発展していった(このようなマニアックさは現代のインターネットのホームページと似ている気がする)。
現在のDJがレコードをまわして、クラウドがフロアでダンスするという形態の「クラブ」とは直結した歴史ではないかもしれないが、ロンドンのこのような社会状況の中らか「クラブ」は生まれてきたようだ。「クラブ」があくまでアンダーグラウンドなのは、このような歴史から生まれてきたものだからではないだろうか。
そう、「クラブ」はアンダーグラウンドなものであった。しかし、1987年に始まったレイヴ・ムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」によって、クラブシーンには数万人、数十万人が集まるようになり、アンダーグラウンドではなくなった。そして、この世紀末、新世紀、クラブ・ムーブメントは地球全体に飛び火し、地球規模にアンダーグラウンドなシーンを築き上げている。ある意味、アンダーグラウンドがメジャーを超えてしまっている状態ですらあると言える。
21世紀、地球規模のクラブシーンはますます発展していくだろう。日本のクラブシーンは、地球規模のクラブシーンと比べると、まだまだ130年前の“「パブ」に集まっている小規模な集いの場”的な感じがする。日本でもクラブシーンの真の進化のための、巨大なアンダーグラウンド・シーンの形成は急務といえるだろう。