第18回
「20年ひとむかし」


「10年ひとむかし」という言葉がある。しかし、文化に関してはどうも「20年ひとむかし」という言葉が当てはまるようだ。現在、まさに世の中は80年代ブーム。20年前の文化を最大限に取り入れた文化が全盛だ。クラブミュージックも、最近のプログレッシヴハウスやフィルターハウスなどは、80年代初期の比較的軽い音をサンプリングしたり、カバーしたりしたトラックが注目を集めている。
近日、「my generation」という映画が公開される。これは1969年に行なわれた「ウッドストック」と、1994年、1999年に行なわれた「ウッドストック」の貴重な映像を集めたドキュメンタリー映画。伝説の「ウッドストック」のプロデューサー、マイケル・ラングは、1969年から25年たった1994年に、もう一度、“現代のウッドストック”をやってみたいと考えるようになる。この映画はプロデューサー、マイケル・ラングの目線・行動に主眼が置かれ、ストーリーが進んでいく。ベトナム戦争反対、ヒッピー・ムーブメントなど、当時のさまざまな価値観が融合し、多くの若者たちが一つになろうとしていた1969年の「ウッドストック」には100万人という、もの凄い数の若者たちが集結した。予想をはるかに超えた入場者に、主催者側はほとんど対応することができず、開催途中からは入場無料のフリーコンサートになった(これがまた伝説として語り継がれる要因になったのだが…)。マイケル・ラングがその際の借金を返済するのに、11年という歳月がかかったそうだ。「ウッドストック」の華々しい伝説は今だに語り継がれているが、実は、借金返済に11年がかかった大赤字のフリーコンサートだったという事実が語り継がれることは、まずない。
そして、マイケル・ラングは、“現代のウッドストック”を、今度は赤字を出さないためにスポンサー探しに奔放する。ペプシ、ハーゲンダッツなどの大企業がスポンサーにつき、全世界で放映されることになった。1994年の「ウッドストック」にはナイン・インチ・ネイルズやレッド・ホット・チリ・ペッパーズ、メタリカなどが出演し、約50万人を動員した。しかし、Xジェネレーションとヒッピーたちを融合させるという目的で開催された94年の「ウッドストック」は、伝説にはならなかった。なぜなら、Xジェネレーションとヒッピーたちが一つになる理由は何もなかったのである。しかも、企業色が全面に出た、消費をあおるようなコンサートは、主催者側と参加する側の意識の隔たりを大きくした。
「20年ひとむかし」という言葉を裏付けるように、無理をして、1994年に「ウッドストック」を開催しなくとも、1969年の「ウッドストック」の精神(「サマー・オブ・ラブ」)を100%受け継いだ“現代のウッドストック”は、1969年からちょうど20年後の1989年にU.K.で、レイヴ・ムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」として復活していたのだ。1969年の「ウッドストック」を頂点とした「サマー・オブ・ラブ」ムーブメントは、ベトナム戦争反対という、当時の若者たちの心を一つにする価値観があった。1989年のU.K.は、強権なサッチャー政権下、不況が続くU.K.経済を回復させるために、容赦ない弱者切り捨ての政策がとられていた。第二次世界大戦でU.K.は勝利はしたものの、その痛手は大きく、経済復興のために、カリブ諸島各国から多くの移民を労働力として雇い入れた。その当時は、U.K.のために、彼らは大いに貢献したが、経済成長が頭打ちになった70年代後半からU.K.は慢性的な不況に陥り、彼らは次々と職を失い、困窮していく。彼らの二世、三世たちはその不満を発散する場所さえなく、さまよっていた。
そこに突如として勃発したのがレイヴ・ムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」だった。U.K.の若者たちは反体制という価値観で一つになったのだ。その後、全英に拡大していった「セカンド・サマー・オブ・ラブ」は、草原や山間地などでの不法開催、ドラッグ問題、そして、U.K.が政治的に最も恐れていた北アイルランド問題にレイヴ・ムーブメントが触れ始めたことなどが重なり、警察当局とレイヴァーたちとの抗争は次第に激しくなっていき、1990年、ついに「クリミナル・ジャスティス・ビル」という法律ができ、U.K.国内でのレイヴの開催は禁止となった。
そこで、「サマー・オブ・ラブ」の精神を受け継いだ多くのレイヴァーたちは、ヒッピーたちの聖地、インドのゴア地方に大挙して移動した。その地で、U.K.で発達したクラブ・ダンスミュージックと、インドのカルチャーが融合し、サイケデリックトランスが生まれ、アジア・テイストの文化が世界に浸透していった。1994年の「ウッドストック」にも、まさに世界中に拡まった「セカンド・サマー・オブ・ラブ」から派生したアジア・カルチャー色濃いレイヴァーたちが多く集まっていた。1994年当時、世界を動かす力を持っていたのは、Xジェネレーションや、今や“ヤッピー”になっている25年前のヒッピーたちではなく、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」から派生したクラブカルチャーそのものだったのである。
「20年ひとむかし」は音楽だけではなく、ファッションにも当てはまることのようだ。ファッション界は、今まさに80年代そのもの。パリ・コレクション、ミラノ・コレクションなどを見ても、トップデザイナーたちのインタビューでも、80年代に現代っぽさをアレンジすることが当然のようになっている。その中でも2001年秋冬コレクションで絶賛されたプラダやイヴ・サンローラン・リヴゴーシュ、ヘルムート・ラング、カルバン・クラインなどのコレクションをはじめとして多くのブランドが、80年代はおろか、60年代、さらには40年代の要素を取り入れている。
60年代は「2001年宇宙の旅」に代表されるように、世の中が夢の21世紀をイメージしていた時代であった。その21世紀に突入した現在を目指した60年代をリスペクトしようという流れで、今、その要素を多く取り入れているアイテムが目立つ。40年代は第二次世界大戦が終わり、世の中全てが疲労著しく、混沌としていた時代。大戦の傷跡深く、物が少なかったため、着る物も軍や兵士関連のものを普通に身に付けることが当たり前だった。女性も、女性らしい、きらびやかな格好は自粛し、兵士のようなカチッとした格好をすることを余儀なくされていた。その40年代当時の時代の空気が、実は、今に似ているという。IT景気で、空前の好景気が続いたU.S.の景気が、最近になり、失速し始め、経済も引き締めムードになってきている。今までの派手やかなムードとは対照的な自粛ムードが、2001年と1940年代を結び付けているそうだ。よって、派手なパーティドレスよりも、実生活に着られるような仕立ての良いアイテムを提案したプラダやヘルムート・ラングなどが高い評価を得ているのである。
インテリアでも「20年ひとむかし」は起こっているようだ。木調など自然素材やエコロジーがもてはやされた90年代とは打って変わって、今は、プラスチック製品が大盛況。シンプルさ、シャープさ、そして、ハイクオリティなデザインのプロダクツが次々と発表され、人気を博している。ヴァーナー・パントンに代表される近未来的でスペーシー、さらに、ポップカルチャーにも連動したプラスチックを素材にしたプロダクツが全盛だった60年代はもちろんのこと、インテリアに関しては、プラスチックの元祖であるベークライトが全盛だった20年代さえもリスペクトされている。90年代を通過した現在、エコロジー的素材である再生プラスチックであるポリプロピレンを素材にしたプロダクツを発表しているドイツの「オーセンティックス」が注目を集めているのが、現在の特徴といえる。
音楽、ファッション、インテリア。僕たちを取り巻くライフスタイルは“20年周期”で繰り返していることに気づくと、さまざまな事柄の意味がわかってくるようになり、日々の生活がより一層楽しくなってくるような気がする。