日本の長い不況も10年を越え、「構造改革」という言葉がメディアから毎日のように流れている。景気のよかった80年代後半のバブルがはじけ、企業への就職は困難を極め、あげくの果てにはリストラの嵐が吹き荒れている。90年代、多くの若者たちは、そんな社会に対して自己防衛の手段を打ってきた。そう、技術的な専門性を身につけるといった具合に。
企業や社会を信用できなくなってきたら、残るは自分自身を信じるしかない。企業に就職するためにがんばるより、“手に職”をつける若者が増えたのが90年代の大きな特徴といえる。例えば、カメラマン、コンピュータを駆使したデザイナー、そしてDJ等々。折りしも、90年代はU.S.でソフィア・コッポラやXジェネレーションなどが、身の回りにあるかわいいものを被写体にしてフィルムに収めるというスタイルを確立し、日本でもHIROMIXなどの影響で、多くの若い女の子たちが、技術力というより自分の持っているセンスで写真を撮り“手に職”をつけていった。地球規模のIT革命はコンピュータを購入しやすい価格にまで下げ、技術とセンスさえあれば誰でもが、コンピュータを使ってデザイナーになれる時代になった。社会に対する不信感が増大した90年代はこのような“手に職”をつける手段が増えたことにより、若者たちの最悪の不況感は免れたといえる。
専門性が追求されたのはこのような仕事に関する事柄だけではない。“クラブ”そのものも90年代、大いに専門的になった。80年代、クラブはサブカルチャーの一部だった。ファッションやデザイン、映画やアートなどのサブカルチャーと並んで音楽とクラブも存在していた。だからクラブで踊るのが好きな人は、ファッションにも関心が高く、デザインやアート、そして映画にも詳しく、それは趣味が一つ同じなら、ほぼ価値観は共通していることを意味していた。しかし80年代後半にU.K.で起こったレイヴ・ムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」によってクラブカルチャーは、サブカルチャーとは完全に分離した。独自の歴史、ルーツ、価値観を形成し始めたのだ。それはハウスを生み、テクノを生み、トランスを生み、ドラム&ベースを生んだ。
そんな独立したクラブカルチャーが、90年代に日本でも浸透していった。特に1995、1996年のテクノ・ムーブメントは日本のクラブカルチャーの歴史の第一歩だったといえるだろう。もともと、デザインやファッション、アートといった画一的なサブカルチャーに対する反発から発生した「セカンド・サマー・オブ・ラブ」。そこから生まれたテクノは、それと同じ価値観を保持し続けたまま、日本でも派生していった。日本でもサブカルチャーの一部だったクラブは、クラブカルチャーへと独立したのだった。ただ、踊るためのみにあるクラブのパーティ。そのスタイルが確立したのだ。“クラブ”そのものも専門的になったといえる。その中で、1988年から藤原ヒロシなどが打ち出したDJを職業にするというスタイルは、本来のクラブカルチャーの定着とともに確立していったといえる。
日本人みんなが専門性を追求した90年代は終わり、時代は21世紀。“手に職”をつけて自己防衛はしたが、社会全体からみれば、景気は一向によくならない。この10年間ずっと不景気のままだ。専門家ばかりでは世の中はダイナミックに回っていかない。みんなが専門性を追求した現在、個々は素晴らしいスペシャリストとなっているが、それはあくまで“点”の一つでしかなく、今、必要なのは、その“点”と“点”を結び、“線”とする存在であるといえる。“点”をスペシャリストと呼ぶなら、“点”と“点”を結びつける存在はジェネラリストとでも呼べるだろう。“点”と“点”を“線”で結び、それを“面”にしてこそ、経済の循環が生まれるのである。そのためのジェネラリストの存在が今、大変重要なのである。80年代後半のバブル景気は世の中がダイナミックすぎて、ジェネラリストがたくさん育ち、スペシャリストが育たなかった。その教訓で90年代はみんながスペシャリストになりたがったのである。しかし、2000年代の今、ほとんどいなくなってしまったジェネラリストの復活が不可欠になっている。
例えば、イタリアの有名ブランド、プラダ・グループは80年代の不景気を打破するため、芸術や文化とファッションを結びつけ、プラダ財団を設立、芸術や文化をファッション化、ファッションを芸術化した。90年代後半にはヨット競技に進出し、スポーツとファッションを融合し、「プラダ・スポーツ」を打ち出し、スポーツをファッション化、ファッションをスポーツ化した。そして今、建築とファッションの一体化を推し進めている。建物自体、建物の中にいること自体が自己のファッション化という定義のもとに。こうして新しいファッションの価値観をつくり続けているプラダ・グループはまさに“点”と“点”を結び、“線”にして、さらに、“面”として経済を循環させているといえるだろう。
今、日本のクラブシーンの中でも必要なのはジェネラリストである。極度に各ジャンルごとに専門化しきったクラブシーンにおいて、その中だけをかき回していても、ダイナミックなうねりにはならない。他のさまざまな業界と融合し、新しい魅力ある価値観をつくっていくことこそが、今、求められていることなのである。そのためには、DJやVJやデザイナーがいくら頑張っても限界がある。オーガナイザーやプロデューサー、プロモーターといったジェネラリストが“専門家”として、DJやVJ、デザイナーやカメラマン、はたまた、クラブミュージックとファッションブランド、スポーツや自動車業界、飛行機会社や旅行代理店、学校や自治体などとコラボレートして、そこに新しい価値観をつくり、クラヴァーたち以外の多くの人たちにクラブで踊る楽しさを実感してもらい、クラヴァーたちに他の業界に興味を持ってもらう。クラブシーンの活性化とは、一定規模のクラブ市場で“パイ”を分け合うことではなく、いかにしてクラブ市場以外の人たちを、クラブシーンに巻き込むかということだと思う。さまざまな業界とコラボレートすることができるジェネラリストが増えていけば、クラブシーンには好景気が訪れることだろう。
日本の景気を回復させる「構造改革」とは、政府が、小泉総理がやってくれるものではない。僕たち日本人一人一人が自らの意思で、自らの力で実行していくべきことなのだ。日本経済において“個人消費の落ち込み”が激しいという。“個人消費”が少ないということは、お金を出して買おうとする魅力ある商品がないということを意味する。逆にいえば、つくり手が魅力ある商品をつくっていないということになる。今、日本のクラブシーンには魅力ある専門性を備えたスペシャリストがあふれている。あとはジェネラリストがその素晴らしい素材をいかに多くの業界を巻き込み、多くの人たちに知らしめるかだ。それもクラブシーンの本質に沿って、あくまでアンダーグラウンドに。本来のクラブカルチャーとは、用意されたパーティに参加するのではなく、自らパーティに関わり、もしくは自ら立ち上げ、自らがシーンをつくっていくものだ。誰でもがスペシャリストにもなれるし、誰でもがジェネラリストにもなれる。とにかく、友達同士、みんなでパーティをやってみよう。いろいろな業界にいる友達を巻き込んでみよう。それが個人個人の、クラブシーンの、そして日本経済のダイナミックな「構造改革」につながっていくのだから。