ロンドンの「Home」、リヴァプールの「Cream」、そして昨年、惜しまれつつもクローズしてしまった世界最高のサウンドシステムを有したニューヨークの「Twilo」など、世界のほとんどの超有名クラブのサウンドシステムを手がけているのが、スティーヴ・ダッシュだ。彼がいなかったら、今の世界規模のクラブシーンは存在しなかったとまで言われ、全世界のクラブ関係者から尊敬されている。古くは、あの伝説として語られているニューヨークのクラブの老舗「STUDIO 54」をはじめ、ハードハウス界の帝王ジュニア・ヴァスケスがみせる世界最高のDJプレイを可能にした「Sound Factory」など、時代を築いてきたクラブには、ほとんど彼の手がけたサウンドシステムが導入されていると言っても過言ではない。日本で唯一、そのスティーヴ・ダッシュのサウンドシステム「PHAZON」(フェイゾン)を導入している、渋谷のクラブ「WOMB」のさらなるパワーアップのために来日した彼に、世界最高のサウンドシステムが生まれるきっかけとなった数々のエピソードを聞いてみた。
私は、1960年代後期、ベトナム戦争に従軍し、アメリカ空軍のジェット戦闘機のレーダーを修理する仕事に従事していました。R&R(レスト&リラックス=休暇)中に日本を訪れ、ベトナムで音楽を聴くために、日本のオーディオを買いました。品質の良さで世界的に有名なAKAIやSANSUIのオーディオです。ベトナムに持ち帰って聴いていると、すぐに壊れてしまいました。当時、私のいた基地は発電するためにジェネレーターを使っていました。そのジェネレーターが不安定だったのです。私はエンジニアだったので、この原因をすぐに理解し、自分で修理して使っていました。するとやはり、R&Rで日本に行ってオーディオを買ってきた多くの仲間たちが次々に私のところに来て、みんなで口をそろえて「オーディオの調子が悪い。見てくれないか」と言うのです。私はその原因がジェネレーターだということを知っていたので、すぐにみんなのオーディオを、それに対応できるように修理しました。みんなは私に、修理代金を払ってくれました。これが私のサウンドシステム・エンジニアとしての仕事の第一弾です(笑)。
ベトナム戦争が終わり、無事、アメリカに戻ってきた私は、ひょんなことからディスコを経営する会社のエンジニアとして働いていました。フィラデルフィアに新しく「CAIO」というディスコをつくるというので、それに携わることになりました。私の担当はメインフロアのサウンドシステムではなく、ソファから音の振動が伝わるボディソニックを完備することでした。このボディソニックは日本のパイオニアの製品で、マニュアルが日本語で書かれていて、大変困ったのを覚えていますね。その「CAIO」のメインフロアのサウンドシステムは別のエンジニアが担当していたのですが、オープニングの当日、私はそのシステムを見て唖然としました。JBLとGLIのスピーカーだったのですが、これがなんと家庭用だったのです。私はオーナーにすぐに言いました。「このスピーカー、大きな音を出したら壊れてしまうよ!」。「CAIO」のオープニングの夜、私は当時の彼女(今の妻)を連れて、楽しんでいました。すると、彼女が急に顔色を変えて「なんだか、焦げ臭いわよ!」と叫びました。私はふとスピーカーのほうに目をやると、なんと煙りが出ているではありませんか。私の不安は的中しました。このサウンドシステムをつくったエンジニアは先にどこかに逃げてしまいました。オーナーは私の助言を認め、私が急遽、この「CAIO」のサウンドシステムを再構築することになったのです。
その後、私は「サウンド・インベストメント」という会社でエンジニアの仕事をしていました。ペンシルヴァニアに新しい「メルトダウン」というクラブをつくるというので、その仕事をすることになりました。しかし、私の担当はライティング(照明)でした。私はライティングの仕事はどちらかというと好きではなかったのですが、引き受けました。そしてオープニングの夜、仲間たちと楽しんでいると、なんと「CAIO」のオープニングの夜と同じように、またもや、サウンドシステムが壊れてしまったのです。この「メルトダウン」のオーナーであるフィルは、私がサウンドシステムに詳しいエンジニアだということを知っており、すぐに私のところに来て「スピーカーをなんとかしてくれっ!」と頼んできました。結局、私はこの「メルトダウン」のサウンドシステムをつくることになったのです。
しばらくして、そのフィルから連絡がありました。「ニューヨークでいい場所を見つけたので、クラブをやろうと思う。パートナーとしていっしょにやらないか?」。こうして二人で始めたのが、「Sound Factory」だったのです。その後、フィルとは「Twilo」をはじめ、数多くのクラブを手がけました。どうも、私の人生は、クラブのオープニングの夜にスピーカーが壊れてしまうことから始まっているようです!(笑)」。
この後、スティーヴ・ダッシュは世界中の数百という膨大な数のクラブのサウンドシステムを手がけることになったわけだが、その中でも、彼が到達したサウンドシステムの頂点とでもいうべき、最高のシステムが「PHAZON」だろう。「PHAZON」の特徴は、ツィーターと呼ばれるスピーカーを天井から吊るすこと。Lowの音はふつう、波長が長いが、天井から吊るすことによって、短い音しか届かない。フロアで踊る人たちに音が近いので、臨場感が出るのである。また、フロアの周りに備えられた数多くの大型のスピーカーからの重低音と、天井から吊るされたツィーターによって、フロアで踊っている人たちは、上と下から、まるで音に包まれたような感覚になるのだ。もう一つの特徴は、決して音が大きくないこと。例えば、ジュニア・ヴァスケスの8時間以上の超ロングDJプレイをフロアで体感していても、耳を痛めないように、最新の人間工学に基づいて開発されているのである。この点について、スティーヴは次のように話している。
前号の「FLOOR-net」のこの「Thinking Evolution」の連載の中でも書いてあったようですが、クラブの通いすぎによる「突発性難聴」の多発は、日本だけでなく、全世界で問題になっています。クラブのサウンドシステムのエンジニアのみなさんにお願いがあります。一つ一つの音に気をつかい、バランスを調節することによって、このような、フロアで踊る人たちが「突発性難聴」になる可能性は防げると思います。やはり、Highの音を出し過ぎると、耳に対するダメージは大きいと思います。決して大きな音を出さなくても、本当にいい音を出せば、このような最悪の事態は防げます。クラブは本来、楽しむところです。そのクラブで耳を痛めていたのでは本末転倒です。クラブに携わる一人として私は、多くの人たちをよろこばせたいと常に思っています。今後、テクノロジーはますます進歩していくことでしょう。それとともに、サウンドシステムも進化していくと思いますが、いつの時代でも、基本は人をよろこばせることが最も大事だと実感しています。