今年のカウントダウンも東京の多くのクラブで、大いに盛り上がったようだ。トランス一色に染まった「ヴェルファーレ」、テクノを全面に打ち出した「リキッドルーム」をはじめ、「WOMB」や、「恵比寿ガーデンホール」など、どこも1,000人を超えるクラウドたちが2003年の年明けをフロアで迎えた。なんだかんだ言われてもクラブ人口は確実に増えている。クラブの数も増えているし、クラヴァー人口も増えている。
このことの裏には、実はあまり語られることのない、ある流行の流れの現象があるのをご存知だろうか。それは、女の子たちの履く靴の流行と、クラブシーンの盛り上がり、クラヴァー人口の増減には微妙な相関関係があるということである。
去年から女の子たちの間では、ふつうにスニーカーを履くのが定着している。クラブが好きな女の子たちは当然だが、ごくふつうの女の子たち、はたまたOLの子たちも、上はスーツを着ていても、足元はスニーカーという格好をよく見かける。一昔前のような厚底ブーツを履いているような女の子たちはもういない。
以前、僕の目の前で、友人の女の子たちが話していた会話に非常に困惑したことがあった。ちょうど、厚底ブーツが流行っていた時期だったと思う。僕を含めた女の子数人とファミレスで食事をしていたときのこと、ある女の子の友人が、「今晩、××でパーティあるらしいヨ。U.K.から××が来日するんだって~!みんなで行かない~?」
「いいねー。それ、行こうヨ!」と別の女の子。
しかし、もう一人の女の子は、「私、今日、ブーツなんだよね。せっかく行ってもガンガン踊れないし、今晩はやめとくよ」
「そうか、ブーツなんだ~。だったら仕方ないね。じゃ、私もやめる」
「私も…」
こうして、その晩はクラブには行かず、みんなで食事だけして帰ることになってしまった。僕はその会話に入り込めず、目は点になり、口はポカンと開いたままだった。この子たちにとって、クラブでのパーティとは、そのようなことでキャンセルになってしまうようなものなのか。確かにブーツを履いている子は踊りづらいだろう。確かにその友達だけ置いていって、みんなで楽しむのは心もとないだろう。しかし、だからといって…。実際、僕はこのような体験をしたのは一度だけではない。何度もこのような会話を耳にしている。だから、厚底ブーツが流行っていた時代というのは「クラブ冬の時代」となってしまうのである。幸い、今は女の子たちの間でスニーカーが流行っているので、このような会話にはおそらくならないであろう。
例えば、1996年にも全国的なスニーカーの大ブームがあった。ナイキのエアマックスをはじめとする一大ブームだった。この時というのは、ちょうど、テクノ・ブームの真っ只中であり、ソニーからテクノに関する日本版のCDが毎月10タイトル以上発売され、ケン・イシイ、石野卓球、田中フミヤが世界に進出、大活躍し、多くのメディアがそれを報じ、ジェフ・ミルズ、デリック・メイ、リッチー・ホーティンなどが毎月のように来日し、そしてアンダーワールドやハードフロアが来日し、1万8,000人を富士山麓に集結させた日本初の大規模野外フェス「レインボー2000」が行われた時期だった。テクノの素晴らしさを体感した女の子たちは多くの女の子の友達たちをテクノのパーティに誘った。夜に食事をともにしていた友人たちに「今晩、こんなに楽しいテクノのパーティがあるから行こうヨ」と誘われたとしても、足元はみなスニーカーなので、「行こう!行こう!」となるわけである。その数はまさに“いもづる式”に増えていき、それまで男の子の比率が圧倒的に高かったテクノのシーンにおいて、女の子の比率が急速に高まっていったのである。実は1996年以前、スニーカーブームの前の女の子たちはみんなブーツを履いていた。案の定、この時期というのは、クラブシーンの中の女の子の人口は減っている。女の子の人口が減っているということは、クラヴァー人口そのものが減っているということを意味する。
それ以前には、1990年に、バンズのスニーカーの大ブームがあった。これは渋カジやスケーターたちの台頭と、女の子のファッションが複雑にリンクした、当時の新しいスタイルだった。トラディッショナルなカジュアルスタイルに、バンズのスニーカーを履くのがおしゃれだったし、それはあっという間にふつうの女の子たちにも広がっていった。この時期には、ちょうどハウス旋風が吹き荒れていた。この頃のハウスは、ヨーロッパのプログレッシヴハウスというよりは、どちらかというと、ニューヨークやシカゴなどのU.S.のハウスが主流だった。今となっては伝説として語られているクラブの殿堂「GOLD」でも、この手のハウスが大フューチャーされ、フロアにはバンズのスニーカーを履いたクラウドたちがひしめきあっていた。この時期のハウスの一大ムーブメントは、バンズのスニーカーとともにあったと言っても過言ではない。
このように見てみると、1990年のバンズ・ブームとハウス・ムーブメント、1996年のナイキ・ブームとテクノ・ムーブメント、そして現在の2002年、2003年のスニーカー・ブーム(アディダスが主流か?)とトランス/プログレッシヴハウスムーブメントというおもしろい相関関係があるのだということに気づく。女の子たちの間でブーツやハイヒール、ミューズなどが流行っている時期というのは、クラブシーンは「冬の時代」になってしまい、女の子たちの間でスニーカーが流行ると、クラブシーンの新しいムーブメントが起こる。クラブ大好きな僕としては、ずっと女の子たちの間でスニーカーが流行っていてくれればと心から願うのだが…!