前回のこの連載では、1998~2000年にかけてのエピックトランス/プログレッシヴハウスの地球規模の大ムーブメント以来、世界的なクラブシーンのムーブメントが起こっていないので、こんなときにこそ、自分にしかつくれない、世界を変えてしまうような、新しいジャンルとなる一曲をつくってみようという提案をし、では、世の中を変えられるようなムーブメントというのは、どのように起こっていくものなのかを、1994年~1995年にかけて、日本全国を圧巻したテクノ・ムーブメントを例にして述べた。「Yellow」でウィークリーに開催されていた「ART」というパーティ、石野卓球や田中フミヤの活動、「シスコ・テクノ店」のオープン、そして、ソニーレコードが放ったテクノ3大レーベル「R&S」「ワープ」「ライジング・ハイ」のそれぞれマストなベスト10、合計30タイトルのCDを3カ月連続でリリースしたことなどについて解説した。今回は、さらにテクノムーブメントを盛り上げた社会現象の数々についてみてみることにする。
1995年、東京を基盤とするテレビ局「メトロポリタンテレビ」(MXTV)で、驚異的な番組が始まった。ソニーが全面的なスポンサーとなった「ハートビートソニック」というその番組は、なんと一時間、クラブのDJブースの、さらにDJの手元だけを固定のカメラで撮影した、従来ではありえない(おそらく、今後も!?)、驚くべき番組だった。司会も解説も何もなく、ソニーのMDのCMの後に、突然、真っ暗なクラブのフロアの中にDJが写し出され、プレイがただひたすら続く。15分に一度、ソニーのMDのCMが入る、ただそれだけの番組。一番初め、何気なく、深夜にテレビのチャンネルを回していて、その番組を見た瞬間、僕は驚きで、まさに目が丸くなったことを思い出す。「何じゃ、こりゃ~!!」思わず、声に出してしまったことも思い出す。それから1時間、身動き一つせず、ひたすら、DJプレイを凝視し続けた。
毎週毎週その出演するDJも豪華絢爛だった。田中フミヤをはじめ、DJ TOMO、YO-C、ローラン・ガルニエ、そして何といっても、ド肝を抜かれたのが、あのジェフ・ミルズの登場だった。毎週1人1時間のDJプレイが見れるのだが、まさかジェフ・ミルズのあの神憑り的な宇宙人プレイを自分の部屋のテレビで、しかもまる1時間、研究できるとは、夢にも思わなかったのである。当時、まともにミックスさえもできなかった僕は、このジェフ・ミルズの矢継ぎ早にレコードを取り替えるスタイルを間近で見て、驚愕した。この番組をビデオに録画して何度も何度も繰り返し見続け、そして自分の部屋のDJブースに向かい、とにかくジェフ・ミルズの真似をして、ミックスの練習をしていた日々の記憶を思い出す。
この超マイナーな番組の噂が、あらゆるクラブで、もちきりとなっていった。僕はこの番組、特にジェフ・ミルズの回を友達にダビングしてあげまくった。いったい、何十本のビデオテープにダビングして配りまくっただろうか。おそらく、30本や40本ではきかない数だったのを覚えている。このビデオを見た多くの友達はすぐにテクニクスのターンテーブル2台とミキサーを買いに走っていった。そしてみんな、ジェフ・ミルズのDJプレイを自分の部屋で真似し始めたのである。本当にあの時の状況というのは、すごいパワーがあった。実際、僕のまわりの高校生たちは、大学や専門学校の入学祝いに、みんな、ターンテーブル2台とミキサーを買ってもらっていたし、就職して最初の給料で買った友人も多かった。とにかく、猫も杓子もみんなDJセットを購入し始めた時期だった。実は「ハートビートソニック」のほとんどの回を録画した僕は、今でもよくそれを見直してみる。今見ても、やっぱりこの番組はすごかったなぁと思うし、今見ても、十分に勉強になる。
ちょうどこの頃、ベルギーのレコードレーベル「R&S」と契約し、世界中に名が知れ渡り始めたケン・イシイが、ソニーと契約し、日本でもブレイクし始めた。特に「EXTRA」は、ジャパニメーションの金字塔「AKIRA」のメインスタッフだった森本氏によるオールアニメーションのビデオクリップが世界中で話題となり、U.K.では「MTV」大賞に選ばれたり、デンマークの超大型イベント「ロスキルド・フェスティバル」に日本人では初めて出演し、DJプレイをしたりと、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。ケン・イシイに触発されて、曲をつくる若者たちが急増し始めた。DJセットを買う若者も急増したが、それと同時に曲をつくる機材を買う若者も急増した。バンドを始めるときのように、メンバーを探す必要もなく、ヴォーカリストを探す必要もなく、機材とコンピュータさえあれば、自分一人で思うように曲をつくることができるテクノは、まさに現代の日本人の若者のスタイルに合った音楽制作の一つの形だったのだ。
こうして、テクノを聴く人、テクノをDJプレイしたいと思う人、そして、テクノをつくる人が急増していき、そのほとんどの人たちが、クラブのテクノのイベントへ向かうようになっていった。そう! テクノのイベントが凄いことになり始めたのである!
-次号へ続く-