来日した海外のアーティストやDJ、プロデューサーたちと話をすると、必ずといってよいほど、出てくる会話がある。
「最近のうちのところに来る若い連中はこんな凄い曲をつくりやがる!」
「僕のところの若い連中はまだまだ基礎ができてないな」
そう! 海外で有名になったトップアーティストやDJ、プロデューサーたちはみな、成功すると、まずはその得た利益によって「フリースタジオ」のようなものをつくり、そのシーンを支えるべき、次世代の若者たちに開放していたりするケースが多い。日本でも、ある専門学校が「DJ科」などを開設していたりするが、入学金や月謝をとるようなそんな利益主義のシステムではなく、あくまで、そのシーンを築き上げてきた人物たちがシーンを存続させていくために若い才能を生み出す場として、そのようなスタジオをつくったりするのである。たいがい、そのような場所には、つくった本人が持っているのと同じ、曲をつくるための機材が並んでいたり、または、本人が使い古した機材などがセッティングされていたりする。例えば、そのアーティストが何年も前に使っていて、使い古した機材を使って、今の若者たちが、そのアーティストが思いもしなかったもの凄い曲をつくってしまったなどという話をよく聞くことがある。多くの場合、そのアーティストが使っているスタジオと併設されていたりして、誰でも自由に使えることができたりする。当然、お金なんてかからない。若者がそのスタジオを使って、がんばって自慢の一曲をつくったりする。そうして、そのスタジオの持ち主であるアーティストにその曲を聴いてもらってアドバイスをもらったりする。もし、気に入ってもらえれば、ダブプレートにしてもらってクラブでDJプレイしてもらったりする。こうして、1人のアーティストが、自分で曲をつくるだけではなく、若い才能を次々と見出していくことにより、自らプロデューサーとなっていき、若者たちの新しい曲を次々とリリースしていき、レーベルをつくっていったりするのである。
こうして、プロデューサーになったアーティストというのは、自らプロデューサー業を務めていたとしても、本来はアーティストなわけで、自分のレーベルで抱えるアーティストたちの気持ちがよくわかるのである。日本の場合は、プロデューサーはプロデューサー、アーティストはアーティストと、完全に分離しているケースがほとんどで、よってお互いの“共通言語”が合わなかったり、意思の疎通が難しかったりするのである。それ以前に、日本では、成功したアーティストがスタジオをつくり、若者たちに開放するという活動をしている人がどれぐらいいるのだろうか。残念ながら、ほとんど耳にしたことがない。
クラブシーンというのは、メジャーな音楽シーンとは根本的に異なる。メジャーな音楽シーンの中にいるアーティストがプロフェッショナル(=商業主義)であるとするなら、クラブシーンの中のアーティストというのは、あくまでアマチュアであり、しかし、それはライフワークとして、人生をかけてのアーティスト(=芸術家)であるといえる。メジャーな音楽業界は、デビューしたい若者たちを集める方法、その育成機関、曲づくり、CDの流通経路、宣伝方法などが、もうすでに確立されている。そのシステムに疑問を持っていない人たちはそれでよいかもしれないが、ちょっとクレヴァーな人なら、そのシステムはおかしい、時代遅れなものだとすぐに気づくはずである。
この連載でも、繰り返し述べているように、クラブシーンというのは、クラブが好きな個人個人のさまざまな活動の連続によって築き上げられていくものなのだ。クラブシーンを成熟させている海外の多くの都市などでは、曲づくりをしたい若者たちを集める方法、その育成機関、曲づくり、レコードの流通経路、宣伝方法などを、あくまでアンダーグラウンドな手法で自ら築き上げ、そして、確立している。そのインディーズでアンダーグラウンドなシーンが拡大し、メジャーの音楽シーンを強襲しているのである。そのような根底には、前述したように、成功したアーティストが自らの収入によってフリースタジオをつくり若者たちに開放し、次の世代のアーティストたちを生み出し、そして、さらには、その若いアーティストたちが成功したあかつきには、その若者たちがまた、フリースタジオをつくり、さらに才能ある若者たちを生み出していくという好循環ができあがっているのである。日本にも、次のクラブシーンを担う才能ある若者たちがたくさんいると思う。その才能を埋もれさせてしまっては、あまりにも惜しい。日本のアーティストのみなさんにも是非とも、ここで述べたような活動を実行に移してほしいと切に願っている。