以前、この連載で、「10年ひと昔」という言葉があるが、音楽、ファッション、インテリアなどの文化に関しては、「20年ひと昔」という言葉がぴったり当てはまるということを述べたと思う。
最近、およそ20年という、あいまいな数字ではなく、実は、歴史は「18年周期」で繰り返されているということを知り、驚愕している。この「18年周期」いう数字、日常生活で意識すればするほど、あまりにも多くのことがぴったりと当てはまってしまい、コワいぐらいに感じてしまうのである。
今年2003年の18年前はというと1985年。まさに80年代真っ只中、80年代そのものといってもよい年だ。音楽、ファッション、インテリアなど、現在の驚異的な80年代ブームは、まさに1985年そのもの。街で多くの女の子たちが着ているファッションは誰がどう見ても、80年代、それも確かに1985年に流行ったアイテムで溢れているし、先日、発売された80年代中期のユーロビート、ディスコソングのコンピレーションアルバム「DISCO FINE」はなんとオリコンアルバムチャート4位にランキングされる大ヒットとなった。さらに、偶然か意図的かは定かではないが、1985年にオープンした六本木の伝説のディスコ「マハラジャ」が、今年8月、再び、オープン。バブル景気の象徴であった「マハラジャ」が復活したということで、当時の常連たちも、伝説としてしか知らなかった現代の若者たちも、その多くが集まった。
そして、その「18年周期説」を信じざるを得ない、最も驚くべきことが、あの阪神タイガースのリーグ優勝である。確かに前回の優勝は18年前の1985年。この偶然の一致には、本当に恐れ入る。はたまた、僕自身、毎日の日常生活の中でも、1985年の再来と思われることが多々続いており、日々、驚いている。
18年前の1985年、歴史上、極めて重要な出来事があった。1985年10月の「プラザ合意」である。実は、この合意により、円高ドル安に拍車がかかったのだ。円が高くなり、ドルが安くなるために、海外から見れば日本製品は高くなり、日本国内から見れば外国製品が安く買えることを意味する。当時の日本政府は、外国が日本製品を買わなくなり、日本人も外国の製品に目を向け、日本製品を買わなくなり、日本は史上最悪の大不況に陥るのではないかと大いに懸念した。そのため、日本政府はその危機を回避するために、徹底して日本国内のあらゆる需要を喚起させる「内需拡大」政策を採り始める。それによって、土地の価格が高騰し、国民全体が株や各種投資に目を向け始め、1986年以降の急激なバブル景気が始まったのである。よって、まさに1985年10月の「プラザ合意」が、日本のバブル景気とその後の長い不景気を生んだのである。
そして、今年2003年、10月が不景気の底打ちとされ、もうすでに経済界では除々にではあるが、日本の景気そのものは回復してきている。あとは、国民がそれを認識するかどうかという状態にある。実は、音楽やファッションやインテリアだけではなく、経済も今まさに18年前、1985年と全く同じ状況にあるのである。
もし、この「18年周期説」が的を得ているとなると、来年、2004年はとんでもない年になりそうである。2004年の18年前はというと、1986年。この年、何があったかというと、あの旧ソビエト連邦でのチェルノブイリ原子力発電所の大事故が起こった年なのである。チェルノブイリの爆発により、旧ソビエト連邦国内はもとより、北欧各国、ヨーロッパの多くの国が放射能の被害を受け、地球中が大パニックになった。この事故によって、当時のソ連のゴルバチョフ書記長がペレストロイカ(旧ソ連の改革)を推し進める決意をし、それが4年後のソ連解体、東西冷戦の終焉へとつながった。まさに人類の歴史が大きく変わる、その原因そのものとなった大事件だったわけである。
クラブの世界でも、1986年は大きな転換期の前夜祭のような年であった。1987年に、若き日のポール・オーケンフォルドらは、スペインのイビサ島を訪れ、そこで定着していたバレアレック・スタイルのパーティをロンドンに持ち帰り、早速、そのパーティを始め、それが瞬く間にアシッドハウス・ムーブメントとなり、その規模が日増しに大きくなっていき、レイヴ・ムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」となり、そこから、テクノ、プログレッシヴハウス、サイケデリックトランス、ドラム&ベースなど、現在のクラブミュージックのほとんどが生まれた。
また、ちょうど同じ頃、ニューヨークでは、伝説の「パラダイス・ガレージ」がクローズ、“ガレージ・ミュージック”は広く拡散していき、その後、ハードハウスとして進化していく。「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が始まったのは1987年だが、「18年周期説」を考えてみると、1987年の18年前は1969年に当たる。その年は、まさにフラワームーブメント「サマー・オブ・ラブ」の年そのものと合致するのだ。ベトナム戦争反対というスローガンをベースにしたサイケデリックなこのムーブメントは、ジミー・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンなどが大リスペクトされ、1969年に100万人を動員した伝説のコンサート「ウッドストック」をその頂点としていた。
「18年周期説」を考えると、1969年の「サマー・オブ・ラブ」から、ちょうど18年目の1987年に「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が起こったとすると、またまた、びっくり仰天である。ということは、1987年から18年目の2005年に、正真正銘の「サード・サマー・オブ・ラブ」がこの地球上のどこかで自然発生的に起こるということだろうか。それもまた楽しみな気がする。
1969年の「サマー・オブ・ラブ」は、ベトナム戦争反対という社会的背景から生まれた。1987年の「セカンド・サマー・オブ・ラブ」は、U.K.の当時のサッチャー政権の経済政策の失敗による若者たちの生活の困窮の中から生まれた。2005年に、もし「サード・サマー・オブ・ラブ」が生まれるのだとしたら、今度はどのような状況の中から、どのようなものが生まれ、そして、どのような音楽的、文化的、そして精神的な影響を与えてくれるのだろうか。「18年周期説」が正しいのだとすれば、ここらへんのところに目を向けて、世界中のさまざまなシーンをきちんとチェックしていきたいと思っているのだが…!