「おニャン子クラブと『セカンド・サマー・オブ・ラブ』」というショッキングな出だしからスタートした前回の「アイドルとクラブシーン」Part1。1987年9月に解散した、伝説の、驚異のアイドルグループ、おニャン子クラブと、同じ年、同じ月にU.K.で始まった、現在のクラブシーンの源であるレイヴ・ムーブメント「セカンド・サマー・オブ・ラブ」の関係性について述べた。それ以降、日本のアイドルシーンは色濃くクラブ色が強くなっていった事実を、ここでは述べてみたいと思う。
1987年8月31日、当時、驚異的な視聴率を誇っていた、おニャン子クラブを大フューチャーした、フジテレビの大人気番組「夕やけニャンニャン」が終了。その翌週から「パラダイスGoGo!!」という番組がスタート。おニャン子クラブとは一線を画する、「乙女塾」なる企画がその中で始まった。「乙女塾」とは、「フジテレビタレント育成講座」の一講座名を、それを受講していたタレント予備軍の名称としたもの。その「乙女塾」から先陣を切ってデビューしたのが、三浦理恵子、羽田恵里香、瀬能あづさ、宮前真樹、大野幹代の5人組「CoCo」である。
大ヒット曲「EQUALロマンス」でデビューしたCoCoだが、そのCoCoの名曲中の名曲が「Live Version」という曲である。この曲、そのタイトルとは裏腹に、当時としては、まさにあり得ないぐらい良質のハウストラックなのである。当時、クラブシーンとアイドルシーンの両方を網羅していた強者たちはみな、ド肝を抜かれた必殺の一曲であった。どれだけ良質だったかといえば、伝説のクラブ、ハウスの殿堂、芝浦の「GOLD」の超強力サウンドシステムでプレイされても、十分に耐えうるジャパニーズハウスだったといえる。それがCoCoという、ポスト・おニャン子クラブを狙っていたアイドルグループの曲だったのであり、さらに、そのタイトルが「Live Version」とは、全く驚きの必殺トラックだったといえる。
また、CoCoの次に「乙女塾」からデビューしたのが、永作博美、松野有里巳、佐藤愛子で結成された「ribbon」だった。ちなみに、「乙女塾」の一期生には、後に「東京パフォーマンスドール」のメンバーとして大活躍する、市井由理がいた。彼女は1994年、「DA・YO・NE」が全国的に流行語となる大ヒットを飛ばした「EAST END+YURI」のYURIである。その市井由理が在籍していたアイドルシーンとクラブシーンの融合の極地「東京パフォーマンスドール」の活動については、次回で詳しく述べようと思う。ご期待いただきたい!