第50回
アイドルとクラブシーン Part 4
テクノ・ムーブメントと「シノラー・ムーブメント」


1995年、日本は空前のテクノ・ムーブメントに沸き始めていた。新宿の「リキッドルーム」でのマンスリー・テクノパーティ「クラブ・ヴィーナス」には、ジェフ・ミルズやリッチー・ホーティンなど、毎月、超大物テクノDJが来日し、“テクノのメッカ”となっていた。新宿の「オートマティック」や、青山の「マニアックラブ」、渋谷の「MO」などには毎晩、大勢のテクノマニアたちが集っていた。ソニーからは毎月10タイトル3カ月連続合計30タイトルの「ライジングハイ」「ワープ」などのテクノレーベルのCDが日本盤としてリリースされ、日本中どこでもテクノを聴ける環境が整いつつあった。また、MXTV(メトロポリタンテレビ)では、ジェフ・ミルズやローラン・ガルニエなどのビッグネームのDJのターンテーブル上の手元のみを撮影し続ける驚異の毎週1時間番組「ハート・ビート・ソニック」の放映が開始され、テクノマニアの間でそのビデオが大量に出回り始めていた。その年、「Windows95」の発売により、パソコンとインターネットが急速に普及し、テクノマニアたちのヴァーチャル・ネットワークが構築され始め、また、「プレイステーション」が発売され、ゲームソフトのBGMにテクノが多用され、多くの「オタク」たちがテクノマニアになっていった。
そんなテクノムーブメントの真っ只中の95年7月、衝撃の1人のアイドルがデビューした。篠原ともえ!デビュー曲「チャイム」は、なんと篠原ともえ+石野卓球名義のバリバリ・テクノチューン!しかも、リズムはジャングル+ドラム&ベース!元気ハツラツ、ジャケット狭しとジャンプしているCDシングルの表紙の中の篠原ともえに思わず“一目ぼれ”してしまった僕!
♪スピーカーにキスして ちょっといい気持ち~♪
いつも、クラブのフロアではスピーカーの前で踊りまくっていた僕にとっては夢のような歌詞だった。一番初めに「チャイム」を聴いたその瞬間から僕はすっかり“シノラー”になっていた。その後、「やる気センセーション」「クルクルミラクル」「ウルトラリラックス」とたて続けにシノラー・卓球コンビはスマッシュヒットを連発、お茶の間にシノラーの存在を定着させていった。
ピンクやオレンジなど、ド派手な蛍光カラーの半ズボン(!?)に大きなスニーカー、リュック姿のシノラースタイルは、当時の安室奈美恵=アムラー・スタイルに対して、クラブシーンをはじめ、ストリートシーンでも定着していった。もともと、そのシノラー・スタイルは、オランダやベルギー、ドイツなどでの「ラブパレード」を中心としたテクノ・ムーブメントのド派手なレイヴ・ファッションを源流としたものであり、野外のレイヴで目立つように蛍光色を使ったド派手なカラーが特色であり、あくまで踊りやすいようにスニーカーが基本のファッションなのであった。
そんなシノラーも、その後、嘉悦女子短期大学の女子大生となり、そして大人の女性へと成長していった。去年の夏、フジテレビ主催の「ガールズ・ポップ・ファクトリー」に出演している彼女を見たが、すっかり大人の女性になっていて驚いた。そこには、かつての“シノラー”の姿はもうなかった。9年前のあのテクノムーブメントで盛り上がっていたテクノマニアたちが再び盛り上がれるような大人のためのクラブ・ムーブメントがほしいと、篠原ともえが大人になった姿を見て、実感してしまった。