第61回
文化の18年周期説
~2005年、新しいムーブメントが発生する!?~
その2
今から18年前の1987年、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が発生した!!


音楽、ファッション、インテリアなどの文化は、18年周期で新しい波が訪れているという。これが「文化の18年周期説」である。それによると、今年2005年には、歴史上、特筆すべき、文化の新しいムーブメントが発生するという。その新しいムーブメントは今後10年を決定するらしい。今から18年前の1987年を思い返してみれば、今年2005年がどのような年になるか、いや、2015年までの近未来がわかるかもしれない。では、その1987年には、どのような新しいムーブメントが発生したかというと…。
1987年の夏、ロンドンのクラブ大好きな、ある若者4人が、スペインのリゾート地・イビサ島を遊びに訪れた。その若者たちは、イビサのクラブでプレイしているDJたちのその独特なスタイルに驚愕した。バレアレック・スタイルと呼ばれるそのスタイルは、フロアで踊れる曲なら、どんなジャンルでも使い、また、曲の踊りやすい一部分だけをループしたりして生まれており、曲のジャンルやカテゴリーというものを一切排除した、ロンドンの若者たちからしてみれば画期的な音楽だった。
その4人の若者たちは早速、ロンドンへ戻り、自らバレアレック・スタイルのパーティを開き始めた。当初、体育館を使って始めたそのパーティだったが、回を重ねる度に、噂は噂を呼び、入場するのに数時間かかる、とんでもなく行列ができるパーティとなっていった。実は、その4人の若者のうちの1人が、今や、全世界のクラブシーンのトップDJの代名詞的存在である、ポール・オーケンフォルドなのである! ちょうどその時期、「エクスタシー」というドラッグが出回り始め、それを摂りながら踊れる、単調なリズムが特徴の、アシッドハウスが多くのクラウドたちに支持され、バレアレック・スタイルの中で、アシッドハウスが一歩、抜きん出たかたちとなって、定着していった。
そのアシッドハウス・ムーブメントはロンドン中のクラブに飛び火し、凄まじい勢いでU.K.全土に拡がっていった。毎夜毎夜、クラブはアシッドハウス・ムーブメントを体感したい若者たちで溢れかえり、遂には、既存のクラブだけでは収まりきれない状態にまでなってしまった。そこで、廃墟のビルや高速道路の下などで、野外パーティがひんぱんに開かれるようになっていった。それが、レイヴ・ムーブメントとなって、数十万人規模で拡大していった。そのレイヴ・ムーブメントはいつの間にか、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」と呼ばれるようになった。1969年、ジミー・ヘンドリックスなどをリスペクトした、ベトナム戦争反対から火が付いた、100万人を動員した野外大コンサート「ウッドストック」をその頂点とする、サイケデリックなヒッピームーブメント「サマー・オブ・ラブ」になぞって、そう呼ばれるようになった。「エクスタシー」でトリップしたレイヴァーたちの心は、LOVE&PIECEで満ち溢れていた。
しかし、空き地や廃墟のビルなどを無許可で占拠し、「エクスタシー」が出回るレイヴは、社会から反感を買い、規模の増大とともに警察の取り締まりも厳しくなっていった。そして遂に、U.K.政府は、「野外でのレペティティヴビーツ(繰り返す音楽、いわゆるハウスやテクノのこと)を聴いている10人以上の団体を解散させる権利を警察に与え、逮捕された場合には黙秘権を認めない」という“クリミナル・ジャスティス・アクト”という法律を制定し、事実上、U.K.国内でのレイヴの開催は禁止となった。しかし、このレイヴ・ムーブメントはドイツに飛び火し、今度は、ドイツから全世界へ増殖していった。
「セカンド・サマー・オブ・ラブ」で最も多くDJプレイされたのは、デリック・メイの「STRINGS OF LIFE」だった。彼がアメリカのデトロイト出身だったことから、デトロイト・テクノというジャンルが生まれた。また、レイヴ禁止後、インドのゴア地方へ移動したレイヴァーたちがトランスを生み出し、そして、U.K.に残ったレイヴァーたちがドラム&ベースを生み出した。このように、1987年に起こった「セカンド・サマー・オブ・ラブ」によって、現在まで脈々と続くクラブミュージックの多くのジャンルが生み出されていったのである。
その源となった「サマー・オブ・ラブ」の勃発が1969年。そのちょうど18年後に、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」は発生したのである。1987年から18年後の2005年の今年、世界中のどこかで必ずや「サード・サマー・オブ・ラブ」が発生するに違いない! それが、世界中の人たちの、その後の、音楽、いやライフスタイルの全てを根本から変えてしまうかもしれない!!