第64回
文化の18年周期説~2005年、新しいムーブメントが発生する!?~
その5
今から18年前の1987年、伝説のアイドルグループ、おニャン子クラブの解散があった!!


音楽、ファッション、インテリアなどの文化のサイクルは、18年周期で繰り返しているという。これが「文化の18年周期説」である。それによると、今年2005年には、歴史上、特筆すべき、文化の新しいムーブメントが発生するという。その新しいムーブメントは今後10年を決定するらしい。18年前の1987年を知れば、今年を知ることができる…。
今から18年前の1987年。日本音楽史上、類を見ない伝説のアイドルグループ、おニャン子クラブの解散があった。1985年4月に、フジテレビ系列で「夕やけニャンニャン」というテレビ番組がスタート。片岡鶴太郎ととんねるずの司会によるその番組は、毎日、夕方5時からの1時間放送だったにも関わらず、最高視聴率、なんと18%という“おばけ番組”だった。
そこから飛び出してきたのが、素人アイドルグループ「おニャン子クラブ」だった。「夕やけニャンニャン」の中に「ザ・スカウト~アイドルをさがせ!!~」という1コーナーがあり、毎週5人の素人の女の子たちが水着姿などで登場し、週の最終日である金曜日に、おニャン子クラブに入れるかどうかが決定するというシステム。そのコーナーで合格すると、念願のおニャン子クラブに入れるという仕組みだ。そこに登場する女の子たちの大半が現役の女子高生。よって、おニャン子クラブの構成メンバーのほとんどが、ふつうの高校に通う、ふつうの高校生だった。日本中の若者たちは、まるで、教室のとなりの席に座っているような、ふつうの女の子に、ブラウン管ごしに恋をしたのである。これが、おニャン子クラブの大ヒットの要因であった。その当時、アイドルといえば、松田聖子や小泉今日子、中森明菜のように、まさに雲の上の存在だった。しかし、おニャン子クラブは、あくまで、等身大のアイドルだったのである。おニャン子クラブには、現・木村拓哉夫人の工藤静香をはじめ、タレントとして大活躍中の渡辺満里奈、女優として活躍している国生さゆりなどを中心として、52名のそうそうたるメンバーが在籍していた。
1985年7月、おニャン子クラブのデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がリリースされ、そのセンセーショナルなタイトルと歌詞が社会現象となるが、それが逆に追い風となり、おニャン子クラブは瞬く間にスターダムにのし上がったのである。1986年1月1日発売のおニャン子クラブの“顔”的存在、新田恵利のソロデビュー曲「冬のオペラグラス」がオリコンチャート女性新人歌手初の初登場第1位を獲得。以後、4週連続第1位(しかも、以後、4曲連続初登場第1位!!)という、物凄い記録を打ち立てた。さらに凄いのが、1986年は、全52週中、実に36週、年の69.2%のオリコンチャート第1位が、おニャン子クラブの曲で占めるという快挙を成し遂げたのだ。
そんな、人気絶頂の最中、1987年8月31日、大人気のまま「夕やけニャンニャン」、突然の放送終了。と同時に、おニャン子クラブも解散することとなった。9月20日、国立代々木競技場での「全国縦断FINALコンサート」最終公演にて、おニャン子クラブは、日本中の多くのファンに惜しまれながら、解散していった。おニャン子クラブ解散後、まるで、おニャン子クラブの亡霊にとり憑かれたかのように、日本中の若者たちは、自分のお気に入りのアイドルを模索し始めた。ある人は、三浦理恵子ら5人のアイドルグループ、COCOに、ある人は、永作博美ら3人のアイドルグループ、Ribonに、ある人は、森高千里に、ある人は、宮沢りえに…!!
こうして、日本中の若者たちが、おニャン子クラブに一極集中だった時代から、アイドル拡散の時代に入ったのが、今から18年前の1987年だったのである。現・NIGO夫人の市井由里や篠原涼子らの東京パフォーマンスドールや、制服向上委員会など、おニャン子クラブをめざして、多くのアイドルグループ生まれた。そして、当時、おニャン子クラブの大ファンで、自分の手でおニャン子クラブをつくってみたいという夢を実現させてしまったのが、つんくである。つんくは、見事、モーニング娘。という現代のおニャン子クラブをつくり上げた。
そして、18年たった今、モー娘ブームも一段落し、日本の若者たちは、新しい自分だけのアイドルを探してはいないだろうか。それとも、今年、「18年周期説」でいうと、何らかの新しい動きが起こる可能性もあるのだろう。