第65回
文化の18年周期説
~2005年、新しいムーブメントが発生する!?~
その6
今から18年前の1987年、伝説の超未来的巨大クラブ「トゥーリア」の存在があった!!


音楽、ファッション、インテリアなどの文化のサイクルは、18年周期で繰り返しているという。これが「文化の18年周期説」である。それによると、今年2005年には、歴史上、特筆すべき、文化の新しいムーブメントが発生するという。その新しいムーブメントは今後10年を決定するらしい。18年前の1987年を知れば、今年を知ることができる…。
今から18年前の1987年。日本クラブ史上、類を見ない、世界中のクラヴァーたちがうらやましがるような、まさに、クラブの理想郷を現実に映し出したような、夢のクラブがオープンした。そのクラブの名は、「トゥーリア」。六本木の交差点に程近い路地を曲がった場所にオープンしたそのクラブは、クラブと呼ぶには似つかわしくない、クラブと呼ぶには程遠い存在だった。あえて例えるとすれば、“別世界”“異空間”と呼ぶにふさわしい存在だった。ビル1個、丸ごと1つのクラブとして存在していた「トゥーリア」。
その絶対的コンセプトは、“近未来の宇宙船”。エントランスを入った瞬間から拡がるその世界観は、入った者全てを瞬く間に、まさに“近未来の宇宙船”の中へいざなってくれる。何といっても驚きは、エントランスをはじめ、ロッカールームからトイレに至るまで、ビル1個丸々、隅々までの壁面、天井、床など、その全てが未来の廃退した宇宙船の中に迷い込んだふうに、一面、洞窟のような質感を出しながら、白一色で統一された、異質な空間を創り出していたことだ。しかも、床には、白い砂が敷き詰められているほどの徹底ぶりだ。ディズニーランド&ディズニーシーのアトラクションよりも精巧に手を込んでつくられていた。
さらに驚くべきは、そのダンスフロア。なんと、5フロア、ぶち抜け! そのフロアのあまりの高さに、天井が見えない!その見えない天井の、どこからともなく現われる、超未来的な光り輝く小宇宙船。それは、この「トゥーリア」のフロアの照明マシンだった。超巨大ミラーボールはもちろん、数えきれないほどのライティング、そして全方向から飛び散るレーザービーム。まるで、七色に光るUFOのような存在のその照明マシンは、これだけで、数億円するという噂が当時、流れていた。その、先が見えないほど高い天井に続く壁面のちょうど中間あたりに存在するのが、DJブース。DJブースというには程遠い、まるで、宇宙船の司令室、または、大きなコックピットと呼ぶにふさわしいものだった。3フロア上から、フロアを見下ろすDJブース。なんと、贅沢なのだろう。
当時、クラブといえば、「P.ピカソ」、「オデオン」、「ピッポフェロー」など、小~中規模のものしか存在しておらず、動員数も300人がやっとという時代だった。しかし、「トゥーリア」のキャパは圧倒的だった。一体、どれぐらいの動員が可能だったのか、想像もつかない。3,000人か、5,000人か? 今でも、日本で「トゥーリア」より大きいクラブの存在を、僕は知らない。
さらに、「トゥーリア」の驚くべきところは、日本初の“ハウス専門のクラブ”だったことだ。1987年の日本といえば、カイリー・ミノーグやバナナラマといったユーロビート全盛期で、「マハラジャ」をはじめ、日本中に大ディスコブームが吹き荒れていた時期だった。クラブでは、まだまだニューウェーブが主流で、藤原ヒロシがパンクやHIP HOPを通過して、ハウスをDJプレイし始めた時期。そんな時期に、世界でも類を見ない超巨大、夢の殿堂的クラブ空間「トゥーリア」が、“ハウス専門の空間”としてオープンしたのである。シカゴハウス、アシッドハウス、黎明期のイタロハウス等々…、そこでは、ハウスであれば、どんなジャンルでもプレイされた。
「トゥーリア」のオープンは、日本中を社会現象の渦に巻き込んだ。クラヴァーも、学生も、ビジネスマンも、OLも、主婦や子どもたちに至るまで、「トゥーリア、行った?」が日常会話の枕詞になるぐらいだった。芝浦にあった倉庫を丸々1個改造してしまった伝説的クラブ「GOLD」や、“ジュリアナ現象”なる流行語を生み出した「ジュリアナ」など、これまで日本に、超巨大クラブはいくつか存在したが、「トゥーリア」よりも凄い存在を、僕は知らない。
しかし、「トゥーリア」の話題が日本中を圧巻している真っ只中の1988年1月6日、突然の悲劇が訪れた。「トゥーリア」のフロアの天井から吊るされた重さ数トンはある巨大照明マシンが1Fのフロアに墜落。フロアで踊っていた7名が死亡する大惨事が発生したのである。このニュースは新聞の一面を飾り、テレビでも繰り返し報道され、この事故の原因究明のための特別番組がいくつも放送された。当然、その日以降、伝説中の伝説のクラブ「トゥーリア」は当然、クローズ。その圧倒的だった存在は、たった数カ月で“真の伝説”となったのである。しかし、「トゥーリア」のクローズ以降、ハウス・ミュージックは一気にメジャーとなり、クラブやディスコでDJプレイされるようになった。あの、ユーロビートの殿堂「マハラジャ」でさえ、ハウスがプレイされるようになったのである。「トゥーリア」のクローズは、現在までの日本のクラブシーンの中で、ハウスの拡散を至らしめた、非常に貴重な現象だったのである。