小学館創立60周年(1982年)に創刊され、河野景子、藤原紀香、長谷川理恵、伊東美咲、米倉涼子、長谷川京子、蛯原友里、押切もえ、山田優など、カリスマモデルを数多く輩出、毎月57万部を発行し、日本のファッション界をリードしてきた「Can Cam」。
その上位姉妹誌として、20代後半のOL等を中心とした、コンサバ系ファッション誌「Oggi」が1991年に創刊。
1989年、「Can Cam」編集部にて、「Oggi」創刊の準備に携わる。
「週刊文春」のカリスマ編集長・花田紀凱や、女性ファッション・カルチャー誌「CREA」のサブカルチャー編集長・斉藤禎等、
スター編集長らが勢揃いし、1991年に創刊した、国際派ジャーナリズム雑誌「マルコポーロ」。
毎月、篠山紀信の撮りおろしによる表紙も話題となった。
その創刊準備の編集ブレインとして携わる。
1990年夏、発行されるや、マスコミ業界をはじめ、日本中の噂となった、
777本の東京の噂を収録した単行本「東京の噂」(発行/クラブハウス、発売/日本経済通信社)。
その初期段階での企画から、多くの噂の執筆までを担当。
当時、空前の大ヒットとなった「東京の噂」シリーズの続編で、タレント、CM、テレビ局、ニュース、そして、芸能界の一大黙示録を777本収録した「TVの噂」の企画、編集、執筆の全てを担当。
結果的に、大御所「東京の噂」をしのぐ大ベストセラーに。
西武、PARCO、LOFT等、若者文化を牽引し続ける西武グループの“活動企画書”ともいえた、時代と社会を分析するマーケティング情報誌「アクロス」。
その「アクロス」編集部にて、さまざまなマーケティング・市場調査を行なう。
1980年代の全世界のカルチャー、ファッション、音楽、デザイン等、その全てに多大な影響を与えたといわれる、イギリスのカルチャー誌「i-D」。
その日本版「i-Dジャパン」が、1991年、「エスクワイア」等を発行していたUPUから発行。
その創刊編集ブレインとして携わる。
1990年代初頭、全盛になりつつあった東京のストリート・カルチャーを牽引した幻のフリーマガジン「FUSE」。
その月刊誌で、さまざまな企画、編集、執筆を行なう。
特に、モーニング娘。をはじめ、ハロープロジェクトのプロデューサーである、つんくがリーダーのシャ乱Qの無名時代、強力にプッシュ、バックアップしたことでも有名。
その他、このフリーマガジンからビッグになったアーティストは数えられないほど存在する。
「何のために会社に入ったのかわからない」「自分はいったい何がやりたいのか」「どうすれば幸せになれるのだろうか」
といった悩みを、ニューエイジ感覚のアプローチで解決に導くストーリー仕立ての単行本
「SERE~本当の自分が見つかる本~」を企画、執筆。
一流企業「アルファ・エレクトリック」に入社した山下俊樹だが、
いろいろな不安を抱いて、迷いの日々を送っていた。
ある日、鈴木璃子という同世代の、可愛くも不思議な女性が現れ、俊樹に言う。
「肯定的に楽しく生きよう」「相手の気持ちになって考えよう」俊樹はそんな彼女に魅かれ、職場でも彼女の言葉を実践し、成長していくのだが…。
社会人として第一歩を踏み出した山下俊樹のオフィス、恋愛のストーリーと、社会の常識と矛盾をニューエイジ感覚で解説した、
新しいスタイルの自分さがしのフィクション小説。
「流行通信」や「スタジオボイス」など、
ファッション誌やカルチャー誌を発行するINFASパブリケーションズが出している、
日本唯一のファッションビジネス誌「WWDジャパン」。
世界のトップデザイナーたちが愛読しているアメリカのファッションニュース紙「WWD」の日本版。
その特別企画の編集・執筆を行なう。
ルイ・ヴィトンやグッチ、シャネル、プラダ等のメガブランドが青山・表参道に出店し始めた最中、
日本のファッションブランドの今後の展開の方向性を鋭く示し、話題に。
2000年代の全てのファッション、デザイン、音楽、文化、思考そのものを決定づけた、
フランスのハイ・ラグジュアリーファッション誌「Numero」。
その日本版の発行の権利を得るため、発行人である、ユダヤの資本家・アラン・アヤシュや、
全世界のファッション界の大御所で「Numero」の編集長であるバベス・ジアンと交渉。
その結果、世界で初めて、「Numero」のフランス本国以外の国での発行権を得、
日本のファッション界の進展のために尽力を尽くす。
その後、2007年、「Numero TOKYO」として扶桑社より発行。
音楽、デザイン等、さまざまな業界から注目を集めた、クリエイティブ・ドライバーズ・フリーマガジン「Venue」を立案、通信教育講座のユーキャンから発行。
立ち上げ、企画、編集、デザイン、そして、出版配布までの全てをプロデュースし、実践。
若い女性をターゲットにした、おしゃれな車の雑誌というコンセプトに、多くのファンが共感。
発行部数は20万部を超えた。
2010年代初頭、東京をはじめ、全国の主要都市において、高校生による、高校生に向けたファッションショーを企画・開催するファッションチームの活動が活発化していたが、その中でも、シーン最大級と呼ばれていたのが、ファッションチーム「MOCHA」。
代表の大川尚久をはじめ、その大半が高校生を主体とした10代の若者たち。
モデル、デザイナー、パタンナー、ヘア・メイク、演出、音楽、照明、宣伝、集客まで、その全てを自分たちだけで務め上げる。
そのような、ファッションチーム「MOCHA」を大人で唯一、強力サポート。
ファッションショーをもっと身近な存在にしたい、誰もが、みんなでいっしょに作り上げることができ、誰もが気軽に足を運べるような状況にしたい…、そんな思いを実現させるため、定期的に開催していたファッションショー「MOCHA Collection」。
特に、2013年10月14日、渋谷の「club asia」での開催は、満員御礼の記念碑的盛り上がりの内容で、伝説として語られている。
このファッションチーム「MOCHA」からは、その後、ファッション雑誌「チョキチョキガールズ」の専属モデルとして長らく表紙を飾り、原宿を広告ジャックしたり、ファッション雑誌「Can Cam」「SHe」「soup」等で活躍し、数多くの映画にも出演するようになった横田ひかる等、多くの逸材が輩出された。
高校生を主体とした10代の若者たち総勢50名というシーン最大級のファッションチーム「MOCHA」の表現媒体としての、全20ページ、オールカラーのフリーマガジン「MOCHA mag」を制作。
全ての企画立案、写真撮影、テキスト、デザインに至るまで、発行人兼編集長として、まとめ上げる。
当時、東京中のおしゃれに敏感な高校生たちの間でカルト的な話題となった。
光り輝く東京の新しい魅力を世界に伝えるクリエイティブ・プロジェクト「CALLING TOKYO」を自ら、写真撮影を実行し敢行。
静まり返った夜の東京を舞台に、おしゃれな10代の女の子たちのファッショナブルな日常生活の記憶を、トリミングやデジタル処理を一切施さない本来の写真の表現である“ストレート・フォトグラフィー”にて記録するという活動を開始。
現在、インスタグラムでのフォロワー数100万人を超え、ファッション雑誌「ViVi」「NYLON」「装苑」「JELLY」「nonno」、資生堂のテレビCM、「TOKYO GIRLS COLLECTION」等に出演し、ファッション・アイコンとして大人気のmichiを、彼女が高校生の時、いち早く発掘し、「CALLING TOKYO」にて写真撮影をしている等、「CALLING TOKYO」に登場した多くの10代の女の子たちのほとんどが、それぞれの自己実現を果たしている。
「CALLING TOKYO」の本格的な活動のオープニングとして、2015年4月29日、カルチャーとファッションの殿堂「ラフォーレ原宿」内の、世界的ファッション誌「ハーパーズ・バザー」や、カンヌ映画祭でのパルム・ドール受賞監督の巨匠デビッド・リンチ、日本を代表する女性写真家・蜷川実花等の写真展を行なった「ラフォーレミュージアム原宿」にて、「CALLING TOKYO Presents CREATIVE INSTALLATION 1997 ~1997年に生まれた3人の少女たちの記憶と記録~伊藤吉徳 第一回写真展」と題する写真展を開催。
自身が撮影した約50枚の大型写真によるヴィジュアルと、ダンスミュージックのコラボレーションにて構成された驚異のインスタレーションは大好評を博した。
自身の撮り下しによる、全64ページ、オールカラーのポートフォリオ作品「CALLING TOKYO 1997」を制作・出版。
世界を代表するファッション誌、イギリスの「i-D」や、フランスの「Numero」、オランダの「Self Portrait」等、22誌の編集部に直接、届けており、絶賛の声をいただき、愛読されている。
自身の撮り下ろしによる全32ページ、オールカラーのフリーマガジン「CALLING TOKYO」Vol.1及びVol.2を制作・発行。
原宿のファッションショップ200店舗にデリバリー。
一気に原宿の街で話題となった。
フリーマガジン「CALLING TOKYO Vol.001 Precious Issue 1997 featuring LIZ-NA Brilliant Urban City」の全ページを見る
フリーマガジン「CALLING TOKYO Vol.002 Precious Issue 1997 featuring MIU The Modern Concept」の全ページを見る
東京大学大学院卒業の建築家・橋本憲一郎が、2015年から新たにファッションを学ぶために、文化服装学院に通い始め、自らファッションデザイン、制作活動を開始し、ファッションブランド「miracle mill」を立ち上げ、その制作されたファッションアイテムの写真撮影を行なう。
橋本憲一郎が制作した「miracle mill」のファッションアイテムに合わせ、自身がスタイリングの企画を立案し、モデルやヘア・メイク・アーティスト等のトータル・ディレクションをし、写真撮影まで一人でこなす。
10歳のときから、故郷である埼玉県秩父市において、江戸時代中期から200年以上の伝統を誇る秩父歌舞伎の演目を上演、13歳になり、アニメ番組専門チャンネル「アニマックス」の主催する「全日本アニソン・グランプリ」にエントリー、ファイナルにまで残り、ストリートファッション雑誌「KERA」への掲載や日本最大級の高校生を主体としたファッションチーム「MOCHA」の2期メンバーとして、渋谷の「club asia」でのファッションショー「MOCHA Collection」等に出演してきた、1997年生まれのCAN-LA。
その後、アイドル育生プロジェクト「クリムゾン印刷」がプロデュースするアイドルユニット「BELLRING少女ハート」のオーディションに合格、メインメンバーとなり、「ZEPP TOKYO」や「赤坂BLITZ」、台湾等の海外遠征にて活躍していた最中、そのCAN-LAが編集長を務める全16ページ、オールカラーのフリーマガジン「Fizz」を制作、その発行人となる。
コンセプトは、「2017年、雑誌は衰退の一途を辿るこの時代、SNSがすべての今、フォロワーばかり気にしてるくせに え? オシャレって何?浅い世界、馬鹿馬鹿しいと思う。狭い世界、行き止まっていると思う。
SNSなんてもう古い! こっちはとっくに飽きてんの! ハッシュタグをつけるよりパーティーを開こう! 『Fizz』はSNSからの解放を宣言する。
世界には無限の色があるのに、保守的な色に包まれた人が多すぎる。「黒は似合いすぎてしまう。だから黒を着ると脱げなくなる。」だってさ。
こんなもの呪いだと思うね。呪われた世界に色を取り戻してやろうじゃないの!
好きな色を着て出かけよう。似合わなくたっていいじゃん! 自分から似合いに行けばいいんだ。
誰もついてこれないところまで、「ただ私になる」。そうすれば、いつのまにか周りはみんな、私のファンでしかない。
ねえ、ほんとに 人と違うことしたくない? オシャレって楽しいじゃん! もっと楽しめると思わない?
次買う服のこと考えるだけで体がふつふつと泡立って弾けそう!!
気泡性のココロを持つオシャレが好きなすべての女の子に突き刺す刺激的なファッション雑誌、それが『Fizz』!
時代という敵は強いけど、パンクとロックで戦おう!!」。
文化服装学院に通う、1997年生まれの、10代の女の子、4人が立ち上げ、編集長の角遥香、副編集長の西谷蕗、編集の岩瀬莉砂渚、戸畑萌で、企画立案、写真撮影、テキスト、ディレクション、デリバリーまで全てを手掛けた、全36ページ、オールカラーのフリーマガジン「FANATIC」の発行人となる。
原宿、下北沢、高円寺等、ヴィンテージ・ショップをはじめ、ファッション・ショップ、約200店舗を独自にネットワーク化、その絶大な協力を得て、それまでにはなかった、東京のリアルなストリートファッションカルチャーをまとめ上げた、その高いクオリティは内外から高く評価され、ファッション誌「装苑」での紹介をはじめ、「ラフォーレ原宿」や「伊勢丹・新宿店」、きゃりーぱみゅぱみゅのワールドツアーのステージ衣装を手掛け世界的に大人気となったファッションブランド「HEYHEY」や、「フジロックフェスティバル」への出演をはじめ、全米ツアーや全欧ツアーも大成功させているソニーミュージック所属の4人組ガールズバンドCHAIとのコラボレーションも実現。
アメリカ、イタリア、イギリス、スウェーデン等からの取材やコラボレーションの依頼が殺到、その唯一無二の存在感はワールドワイドに拡がりを見せている。
「FANATIC Vol.1 特集 思い出そう あの頃の気持ち。本当の自分でいたいから。」の全ページを見る
「FANATIC Vol.2 特集 平和のための反抗」の全ページを見る
「FANATIC」が主催する各号発行記念パーティー「TAMARIBA NIGHT」。
その第1回目は、2017年5月10日に、渋谷の「Ruby Room」にて、第2回目は、7月23日に、第3回目は、12月2日に、渋谷の「WOMB LOUNGE」にて開催、その全てにおいて、ゼネラル・オーガナイザーを務める。
いずれのパーティーも、会場に入りきれない程の満員御礼状態で、大盛況、大成功を納める。
東京の最先端のファッションフリークたちが数多く集結し、クリエイティブとアートとの響宴を心行くまで楽しむ一夜となった。